読み切り
自信作だったので仕事のボツ案をTOX2のオープニング聴きながらリメイクしました。
続き書くかも。
生きるとは、剣を振り下ろすのと同じだ。
刃が落ちてからでは、もう変えられない。
鍛錬も、才も、武器も、覚悟も。
すべては振るう前に決まっている。
「故に、強者は弱者を虐げる権利がある。
弱き者共を踏み台に、高みに至る義務がある」
銀色の敵だった。
瞳、髪、服、声すらも刃金の銀だった。
その男はただ斬る者だった。
鳥が空を飛ぶのも、
魚が川を泳ぐのも赦さない男だった。
だから剣の錆にして殺し尽くした。
「お前たちもそうだろう?」
手と一体化しているのかと言わんばかりに、
手足のような存在感を持つ剣を向けてきた。
端正な顔立ちに、恐ろしいほどの剣気を放出していた。
「俺は……」
心は、敵と同じはずだった。
足下に転がっている部下たちの亡骸。
物言わぬ、口も開けない、青ざめた者達。
「────!!」
隣にいる主の存在を意識し、
尋ねられた剣士は躊躇った。
雲すらも斬られた空間、痩せた土地と乾いた風が
どこまでも吹き抜ける中で、
意識は、過去に飛んだ。
【剣豪執事が生まれて死ぬまで】
完全な空腹。
腹と背がくっつくほどの飢餓。
瞼からも脂肪が落ち、
指先さえもエネルギー不足でぎしぎしと、
油を差していない自転車のような音がする。
両親を強盗に殺されたばかりの少年は、
多くの物乞いと同じく、
死を待つだけの身だった。
「君、ひとり?」
しかし、そこで、世界で最も美しい光に出会った。
リンゴを差し出され、
返事をすることもできずに、
貪りついた。
まだ物を消化する力だけは残っていた。
「行くところがないなら、うちに来る?」
はぐれていた少女に、
血相を変えて従者が駆け寄ってきた。
ここを逃すと、自分は野垂れ死ぬ。
動物的直感によって、それを察した少年は、
荒々しく手を握り返した。
そうして、少年は屋敷に迎えられた。
当時、子どもという存在が珍しくなり始めていたため、
貴重な同年代の少年を、屋敷の主人は快く迎え入れた。
妻を病で亡くしたばかりだったので、
広い屋敷に娘と二人では、
使用人も張りがなかっただろうと笑った。
「剣を握ったことはある?
私が教えてあげるね」
少女は変わっていた。
とにかく剣を振っているのが好きだった。
朝から晩まで、全力の斬りから、
小手先の技まで、剣を振ってあらゆる遊びをした。
「わぁ……!」
執事になった少年でも、彼女の強さはよくわかった。
屋敷の令嬢、その弟同然として、主人にも屋敷の労働者にも扱われたが、
それでは足りないと思った。
「俺にこの屋敷の全てを教えてください」
「いいのかい? 君の年頃なら好きに遊んでもいいんだよ?」
主人は過保護だったが、
少年は押し切った。
「俺は偉くなりたいんです。お嬢様よりも」
言い過ぎかと、危うく思ったが、
元気があってよろしいとだけ言われた。
普通なら、身分の低い者は絶対に教わらないだろう、
経営学、領地を治める手段、銃火器の手入れの仕方、
防衛兵器を仕入れるための商人との交渉方法などを叩き込まれた。
このような厚遇にあっても、
少年はじきにこう考えるようになった。
「この屋敷、そしてあの女の全てを手に入れてやる」
彼の中には全てを憎む心と、障害は誰だろうと排除する凶暴さ、
そして必ずやこの屋敷、その跡取りであるお嬢様と敵対するという意志があった。
そうとも知らずに、
屋敷の主は少年に“執事”として、
地獄の鍛錬を課した。
血尿が出ても構わず続けた、
心身をいじめぬく修行。
屋敷のお嬢様は大人顔負けの剣の腕を持ち、
その素質たるや千年に一度の神の器とさえ称された。
物陰から、お嬢様の修行を観察した少年は、考えた。
「なるほど、俺がこの屋敷を手に入れるには、あの女を殺さなければならないか。
それでは、あの女と同じ教えを受けるようでは到底足りん」
自分にそう言い聞かせた。
屋敷に引き取られる前には、忘れてしまっていた言葉の出し方。
今では、自分を奮起させるにも使えた。
全てを手に入れるつもりだった。
最低でも、この屋敷の娘に勝って、跡継ぎになるくらいの力が欲しかった。
行動に起こすのは早かった。
屋敷の主人にただちに“全世界武者修行”の旅に出る許可を求めた。
「なんだって!? 息子同然の君を、厳しい外に追いやれというのかね!」
予想済みの反対。
しかし、こちらには秘策があった。
「お嬢様の病。遠き東の国ならば、治療薬があるといいます」
娘は、不治の病に侵されていた。
三日間の熟慮をもって、主人は愚かにも、
凶悪な野心を腹に燃やした男を野に放った。
「かならず帰ってきてね!」
こちらの姿が見えなくなるまで、
主と一緒に泣きながら手を振る娘。
「再会した時が死ぬ時とも知らずに暢気なものだぜ」
少年はせせら笑った。
それから五年。
特筆すべきことはないが、
ただ己の師匠を見定め、地獄を見て、
治療薬を持って屋敷に帰ってきた。
だが、屋敷も主人も滅んでいた。
「遅いよ……と言いたいところだけど」
一人、襲ってきた者達の残骸の上で、
静かに死を待っていた、お嬢様。
治療薬を口にしたお嬢様は、絶えず溢れていた血を口元から拭って微笑んだ。
「君がいてくれて、心強いよ」
剣邪という魔王が現れたらしい。
それは決まった形がなく、
ただ純粋な剣の災害だという。
かつての文明を滅ぼした決定的な原因。
銃火器も通用しない。
化学兵器も無効。
近接武器だけは通じる様子がある。
そして、おおむね、人型となって破壊と死を齎す。
「それだけじゃない。
奴は、殺した者達を従え、取り込む。
斬れば斬るほど、それは奴の強さに繋がるんだ」
「よく生きて…………」
「いっそ、父と一緒に斬られたらよかったんだけどね。
強くなりすぎていたみたい」
病に蝕まれる日々でも、
剣を手放さなかった聖女は、剣聖になった。
だから、自然災害めいた者が相手でも、命を拾ったのだ。
そのせいで、彼女は一人になり、生きる望みを見失っていた。
「こんなことなら、治療薬なんて探さなければよかった。
まあ、いずれにせよ、今の俺なら貴女を容易く殺せますけど」
「私を殺したいのかい?」
「名誉が欲しいんですよ。
剣聖の首ともなれば、ちょうどいい」
四肢を投げ出して背中も無防備に見せる今の彼女の背中は、たやすく突ける。
瓦礫となった広大な屋敷のてっぺん、
執事が息を殺して刺突の構えを取り、一踏みで心臓を穿とうとした。
踏み込んだ時には、お嬢様はそこから消えていた。
すんでのところで動きを止めて剣を収めると、
瓦礫の山の下から、涼しげな声が聴こえた。
「体を動かしたくなってきた。ついてきて」
そして、彼女は抵抗軍を組織し、
コネクションがあるということから、剣豪となった執事を参謀に指名した。
「面従腹背を側近に置きますかね、普通」
力を手に入れた少年は、呆れ返った。
剣聖には勝てない。病も完治した。
「俺は、いつか、貴女のすべてを手に入れますよ」
「うん、そうだろうね」
全てを喪った女は、力なく頷いた。
だが、こんな形で争ってもムダだ。
今の女を殺しても、抜け殻に引導を渡すだけ。
それでは勝利ではない。
この女がもう一度、何かを望むまで。
生にしがみつくまで待つ。
その上で奪わなければ、意味がない。
「わかっていないようですけれども。
俺は野心家なので“剣聖”を降した戦果を手に入れるまで、
貴女から離れませんよ」
この女に勝てる見込みはない。
千人と切り合っても息も乱さずに、
次々と急所に寸止めをし、戦意を挫き。
暴走する十メートル超の大型機械獣を相手にしても、
一太刀で破壊してみせた。
しかし、しかしだ。
戦場という存分に剣を振るう場所ならば、
剣聖の腕前を確かに観察し、
己のものにできるだろう。
そうすれば弱点を見つけ、背中から斬りつけるも容易。
「否、剣邪とやらを討伐した瞬間に、
背中から刺して、絶望に染まる顔をたっぷり見物するのもいいだろう」
そうして、参謀として彼女を支える日々は瞬く間に過ぎた。
青い空の下、怯える大気が水気を帯び、
命を斬られ続ける大地が乾いた砂となって、風に巻かれる。
遠くにいる、異様な迫力が、敵。
それを迎え撃つ、剣聖とその軍。
「ついに始まりますね。
あなた達と隣で戦えるなんて、剣士冥利に尽きます」
参謀である執事の後ろで、
部下が能天気なことをほざく。
「この戦いが終わったら、うちの息子に剣を教えてくれますか?
軍師殿の技がお気に入りなんですよ」
別の部下、こちらは名家の若頭首だった。
「断る。俺は金持ちと子供が嫌いだ。
それと、馴れ馴れしい善人。お前らみたいな」
「うちの執事をスカウトするのは控えてもらおうか」
青白い肌、紫色の唇。
微笑みを浮かべている瞳だけが強い眼光を湛えていた。
「君は最強の剣士になるんだろう?」
決戦が始まる直前、唐突に尋ねられた。
言葉に詰まった。
幼少の頃、一緒に遊んでいた頃に言った夢を、
彼女はずっと覚えていたのか。
ただ、この少女と張り合って持っただけの、
薄っぺらいものだった。
これほどの天才に並べられるわけもなかった。
まだ世間知らずな頃の、夢想だ。
「からかわないでください。
俺にそこまでの器がないことなど、
貴女にはわかるでしょう」
「病床の窓の向こうで旅立つ君を見送って以来、
君は無限の可能性を纏っているよ」
夢を叶えるには、しがらみが、やることが多すぎた。
真正面から歯の浮くことを言われてしまう。
頬が赤らみ、声が上ずるのを我慢した。
剣豪と呼ばれるに至った賤血。
彼を拾った家は、
愛情と敬意に満ちていた。
それが、何も持たずに、研鑽を無理にでも積み上げてきた少年の心を乱す。
「さあ、行こうか。
一緒に生き残ろう」
「俺は……」
何と言うべきか。
とにかく、言葉を絞り出したかった。
「俺は、貴女と、貴女の家のすべてを勝ち取りますから。
絶対に見ていてください」
「なら絶対に死ねないな」
イタズラっぽく笑って、お嬢様は振り返る。
「未来が楽しみになってきたよ」
大将である彼女が、戦場を駆ける。
追いかけようとし、胸に下げていたアイテムに気づいた。
師匠に託された、世界に一つとない秘宝。
「使う時は永遠に来ないだろうな」
そう独りごちて、後を追った。
そして、戦いは惨敗だった。
部下の死体で大地は埋め尽くされ、
血と煙で空気が赤黒く汚れた。
砲弾は斬られ、毒煙は斬られ、炎さえも斬られた。
剣で斬れるはずのないものまで、奴の前では斬られる側に回った。
剣邪と名乗る災害。
単独でこの光景を成した存在。
たちまちに二人だけの生き残りになるまで追い詰められたというのに、
対する相手には傷の一つもない。
人形であるかのように白磁めいた肌だった。
命がある存在にさえも見えなかった。
だが、この者がたしかに、突如として現れ、文明を滅ぼしたのだ。
人の形をしたそれは、
こちらの返答を待つ。
「どうだ。
我らの一部とならないか。
そうすれば、お前たちにもこの領域を見せてやろう」
敵からの提案。
言っていることは不透明だが、
端的に勧誘しているのだということは伝わる。
「そこの男。どうだ。全てを手に入れさせてやる」
ストレートにこちらに話を振ってきた。
白銀の剣身に映る己。
この剣の一部になる……どうなるかはわからないが、
“破滅”の力を手に入れられる。
──強くなれ。
──負けるんじゃないよ。
両親の最期を思い出す。
成すすべなく、ゴロツキに襲われ、殺された姿。
藻掻く暇もなく奪われた命。
あの無力な双眸を悪夢に見なくなるまで、
どれほどの時間がかかったか。
「俺は……」
だが、視線を少し下にずらすと、
部下が屠られ、転がっている。
お嬢様を、自分なんかを信じてともに戦ってきた愚か者達が。
さっきまで、一緒に未来を見ていた仲間が。
「お前は俺の仲間を殺した……!」
剣を握り直し、闘志を漲らせる。
目の前の敵を赦すなという気持ちが高まる。
「答えはNOだ」
「なら剣聖の方は?」
「御免被る」
気まぐれの勧誘は終わったのだろう。
空気が震え、空気が乾いてピリピリと乾く。
死なずにいられたのは自分らだけ。
なんとしてもここで奴を倒さないと、未来はない。
「俺が突撃し、暴れます。
隙を見つけたら、俺ごとでかまいません。
最大の一撃をかましてください」
「いつも通りの作戦だね」
「軍師は俺です。貴女が任命したんですよ」
「そうだね。頼りにしているよ」
大きく深呼吸をし、己の血管に流れる血流、
脈拍のリズム、筋繊維の調子を把握。
意識を集中すると、どれだけ深くに潜れるかを確認。
問題ないと判断して、小さく呟く。
「血骸」
真っ赤な閃光が獣のような獰猛さで、
達人の繊細な斬撃を繰り出す。
白銀は容易く受け止めるが、
他の者達の剣と違って、
反動が重く、鈍い。
受け止めるのに苦労している証拠だ。
「まだだ──血骸」
「ほぉ」
体内の血液循環が高速化し、
視界が燃えるような赤色に染まる。
体の奥深くに炎が宿り、
そこから全身を燃やしてのエネルギー。
「剣聖についていく才はないだろうな」と、師匠は言った。
それでも諦めなかった。
あの瞬間、自分に手を差し伸べた、
最も美しいものに並べられないくらいなら、死を選ぶ覚悟だった。
ムリを通して、血管が破裂。
皮膚が次々に裂けては傷を広げる。
骨の軋む音が鼓膜ではなく、脳に響く。
激痛という代償は、考えるまでもない程度のもの。
一撃十刃。
不可能を押し通した攻撃さえ、
剣邪はたやすく捌く。
まだ、相手は両手も使っていない。
「大したものだが、その動き。長続きはできまい。
それも、二段重ねしたともなれば、
全身の血が燃え尽き、眦ひとつも生涯動かせなくなるだろう」
「血骸」
「何がお前をそうまでする。
くだらん仲間意識などではあるまいな」
剣邪がついに両手を使った。
敵の推測通り。
この技は、自分の限界を、心臓の異常動作でこじ開けるものだ。
一度使うたび、世界が遅くなる。
血は熱を増し、肉は裂け、骨は軋み、命が剣速に変わる。
重ねれば重ねるほど強くなる。
そのぶん、人の領域からも遠ざかる。
全身の血管が破裂し、
己の血霧が全身にまとわりつく。
それを引きずって、跳ぶ。
何十合、何千合といなされても、
積み重ねてきたものを愚直に使う。
「暗百超刃…………!!」
「愚かな」
一瞬で無数の斬撃を全方向より浴びせ……
限界が先に訪れた。
目から、鼻から、口から、
固まりかけた血塊が溢れていく。
「弱き者への義理に拘って破滅するか」
白目を剥きかけたところに、目に入るのは。
斃れた仲間の骸。
家族、恋人、友を守れぬと知った無念が張り付いた死に顔。
「それらを積み重ね、踏み躙ることができれば、
お前もこちら側に届いたやもしれんな」
両手に力が入らない。
剣が手から零れ落ちる。
仲間。
貧しい者、豊かな者、
それらが混成となった抵抗軍で、
執事は参謀として容易く部下をまとめ上げた。
──スゲーっ! 参謀なのに前線で突撃してる!
──みんなー! 軍師殿が助太刀に来てくれたぞーー!
剣豪の技と、屋敷で授けられた人心掌握術を使えば、容易いものだった。
そんな、単純なバカどもだった。
「────血骸!!!」
「なんだと?」
執事剣豪のマント、
その赤が濃さを増していく。
紅をはためかせ、男は跳んだ。
剣邪の反応が遅れた。
その隙を逃さない。
両脚に力を入れ、ボクシングで言うクリンチの形で相手に飛びつく。
剣を振るうには間合いが必要だ。
こうも全身で張り付けば、
満足な斬撃を出すことは不可能。
「今です!!!」
剣聖が踏み込んだ。
音はなかった。
ただ、剣邪の銀の前髪が一房、空を舞った。
やっと白銀に届いた、一閃。
敵の動きが止まる。
ここからさらに叩き込めば、自分を巻き添えに倒しきれる。
だが…………これは執事の失態だ。
首だけで後ろを振り仰いで、彼女の一撃を見ようと思ってしまった。
そのせいで、目と目が合ってしまった。
「──惜しかったな。
だが、それがお前達の限界だ」
剣邪の影から這い登ってきた
亡者の剣客達が、
首を、肩を、二の腕を掴んで引き剥がす。
剣邪は、斬った者を取り込み、従える。
それはこういう意味でもあったのか。
次の刹那、胴体を逆袈裟に斬られた。
即死ではない。だが、致命傷に等しい。
吹き飛ばされたところをお嬢様が受け止めた。
……あと一歩だった。
こちらを無視していれば、とどめを刺せた。
「何故……何故、やらなかった!?」
運良くこちらの姿を隠す大岩に転がり込めた。
だが、それはどうでもいい。
本来なら、とっくに終わっていた命だ。
仲間のこと、無辜の民のこと、世界のこれからのこと、
全てを考えても、あそこで斬らない理由はない。
お嬢様の胸ぐらを掴んで、怒鳴った。
「君が死んでいたんだよ」
「俺なんかの命がなんだ!?
お前に拾われていなかったらとっくに、野犬の餌になっていた程度だ!」
「そんな風に自分を言わないで!」
滅多に感情を表に出さない剣聖が、
父である主人が斃れても
毅然としていたらしい彼女が、激昂した。
互いに睨み合う。
こんな状況だというのに、だ。
もはや二人の死は決まった。
全身の骨の髄まで絞り出しても、
《血骸》を使えない。
そうだ、と思った。
どうせ最後なら、と投げやりな感情が脳裏をよぎった。
最後に自分の気持ちをすべてぶつけて、
この女の絶望に染まった顔を見物してやろう。
「見殺しにして正解だったんですよ。
何故なら、俺は、ずっとお前を殺し、
当主の座を奪うつもりだったのだからなあ!」
「…………ん?」
信じられない、と言ったふうに、
世間知らずで脳天気なお嬢様が呆ける。
じきに、じわじわと現実がわかるはずだ。
そうすれば、自分がどれだけ愚かなことをしたのかが──
「元から屋敷を継ぐのは君だったでしょ。
だから帝王学とかたくさん仕込まれていたんだし」
「ククク、だがなあ!
俺はそんなのを待つほど悠長ではなかったんだ!
いや、これまでも繰り返し言ってきただろう!」
「………………???
私の治療薬を探して世界中を探し回ったのは……?」
「貴様を治して恩を売るつもりだったのさ!」
「“君に家を託したい”って縋る父を置いて?」
「それは────そうですね。
やっぱりムリがありましたよね」
内心まで自己暗示をかけていたのに、
どうやっても通じないようだ。
落胆に肩を落とし、うなだれた。
「どうして最後の最後にそんな大ボラを」
何度も“そう在れ”と自分に言い聞かせて振る舞ってきた。
通じていたかは、少しわからないが。
とにかくやるだけやってきた。
「貴女の、生きる目標になりたかったんです。
憎む相手でも、倒す相手でも、何でもよかった。
貴女が明日を見る理由になるなら何でもね」
「だってずっと次期当主に指名されていたでしょ、君は」
その通りだ。
だが、執事はずっと見てきた。
敵のない剣の才能、無尽の庭で突きを見上げる横顔。
何も残っていない屋敷に一人でぽつんと座る孤独な後ろ姿。
「このままじゃ、せっかく体が治っても、消えるように死んでしまいそうだと思って」
どれでもいいから、自分が敵……立ちはだかる壁になることで癒せればと思った。
剣で張り合うのはムリだと分かっていたから。
「ダメですね。俺」
「君がいてくれればそれでよかったんだよ」
こちらの手を握って、お嬢様は微笑む。
美しい。初めて出会った頃と変わらない尊さで、
彼女は自分の隣にいる。
「俺は、それでは足りなかったんです。
貴女が、この世界の頂点に立つのを見届けたかった」
隠れていた岩が縦に両断された。
敵が投げた剣一振り。
それだけで、この有り様だ。
初めから“まともなやり方”で届く相手ではなかった。
「早く出てこい。もろともに滅ぼされたいか」
敵が痺れを切らしたようだ。
やれやれ、せっかちなことだ。
「さあ、行こうか」
「あ、お手をどうぞ」
「ありがとう」
こうなってはいくら取り繕っても仕方がない。
二人、お嬢様と執事、並んで歩く。
剣邪の間合いに至るまではあと少し。
「せめて、他の嘘にすればよかったんだよ。
“この世界も男も女も全部手に入れてやるぞぉ”とか」
「俺がそれを目指したら、あなたはどうしてました?」
「最初か最後に、君のものになってたかな」
「いやですよ、貴女をそんな気持ち悪い一団に入れるの!」
「まあ、どういう集団にするかは君次第だから」
敵の間合いに踏み込む。
二人が剣を握り直す。
「実は、私も告白するんだけどね。
父が死んで、屋敷が焼けて、それでも生き残って、
一度、空っぽになったんだよね」
「それは……知っています」
そうなった様を、この目で見た。
「実は、私、凄く怠け者でさ。
剣を振るう以外は、君にちょっかい出してもらわないと、
何一つやる気にならないんだ」
「………………まあ、旦那様が馬の骨の俺を跡継ぎにしたがるわけですよね」
「だから、君が“私を倒して私のすべてを手に入れる”って言葉。
すっごくありがたかったよ」
はじめて聞く話だった。
怠け者だというのも、知らなかった。
ずっと、一緒にいるはずだったのに、世界に出たからか。
「君のおかげで、将来のことを考える気持ちになれたんだ」
「どんな将来?」という言葉よりも早く、
剣邪が両手で剣を振るう。
横一文字、避ける必要は皆無。
絶対の力量で放たれたそれは、
視界一面を呑み込む威力。
二人の斬撃を交差して迎え撃つが、
相手にそよ風も与えられずに、
胴体が皮一枚で繋がる千切れかけで転がった。
仰向けになって見上げる空。
血煙と煤が立ち上る隙間に覗く青い空。
細い髪の毛が指先をくすぐる。
顔を横に向けると、
こちらにもたれかかるようにして、
お嬢様が事切れていた。
少なくとも、彼女の最期の時まで、
一人にせずにはすんだわけだ。
「もしも……」
感情の窺い知れない声音で、
剣邪が言う。
「お前達がもっと早くから研鑽を積み上げていれば、
その刃、この白銀に傷を遺したやも……」
「何を勝ち誇ってんだ、クソ野郎」
────血骸。
「ぐっ!?」
口に、鉄の味が広がる。
憎い敵の首にかぶりつき、皮膚を喰い破る。
奇襲が成功した。
お嬢様の前では使わなかった。
剣士の技ですらない。
四肢を捨て、全身の反動だけで跳ね上がる、一度きりの捨身。
才も剣も足りないなら、最後は牙で届かせるしかない。
頸動脈を犬歯で噛みちぎると、
顔いっぱいに返り血がかかった。
窒息しかねないが、どうせこのまま死ぬ。
「ふっ、ふふふ」
確定した勝利をひっくり返されたのに、
剣邪には悔しさも怒りも、憤りも見えない。
むしろ、安堵したように笑い声を上げる。
「見事だ。お前が次の──」
何やら喋っているようだが、
血を失いすぎて、意識が朦朧とし、
聞き取れそうにない。
次々と、過去の記憶がフラッシュバックする。
お嬢様、旦那様、屋敷の人びと。
みんなと同じ所に行けるのだろうか。
不安はない。やりきったのだから。
意識の領域が狭まり、
暗闇の中で、静かに差すスポットライトが、
眠るように暗くなっていく。
「最後に、これを渡そう」
終末に思い浮かぶのは、
比較的どうでもいい、師匠との会話。
「もしも、お前に悔いが残るなら、
お前の宝と引き換えに、願いが叶う」
もう願うことはない。
そんなのも渡されていたなと、思い出したが、
彼女とまた会えるなら、それでいい。
強いて言えば、本当に、あるかないかで言えばだが、
あの人が、剣の頂に届くのを見たかった。
それだけ、それだけだった。
そうして、意識が暗転し、
心は闇に呑まれて、
冷たくも穏やかな死がやって来る。
沈んで、落ちて、
そして──
──空腹で目が覚めた。
腹が背中とくっつくのではないかという飢餓。
何もできない、瞬きすらおっくうな消耗。
最悪に不衛生な環境で、
身寄りもなく、蹲る日々。
過去の、光に出会う前の、孤児だった時。
逞しく仕上げた胸板も、腕も、脚も細くなり、
子どもの手足で体を抱きかかえる。
過ぎた消耗が、思考も体力も奪う。
ぼんやりとしたままに、そのまま横になって意識を手放そうと思った。
こんな所に、太陽の光が差した。
違った。護身用の剣が、路地裏の奥深くでも、
微かな日光を反射し、
光を放っていた。
仕立てのいい服、
だが動きやすい療養のための服。
「きみ、ひとり?」
首を傾げ、
少女は尋ねた。
ずっと、どれだけ遠く離れても、
瞼の裏に思い描き続けた姿。
「俺は…………」
“世界も男も女も全部モノにする”。
大ボラじみた約束は、
一瞬で頭から吹き飛んだ。
ただただ、視界が滲み、声が震え、
少女を見上げることしかできない。
生きるとは、剣を振るうのと同じだ。
そこまでにどれだけの鍛錬をし、
積み上げたものを技術に乗せられるかで決まる。
振り下ろしてからの変更は、赦されない。
「りんごあるよ。食べる?」
だが、もし──
「俺は……!!」
──二撃目が、赦されるなら。
「貴女のぜんぶを、もらってみせます」
リンゴを齧って、少年は不敵に笑った。




