第17話、西麻布隊の遭難
東京の山といえば?
そう尋ねれば、大抵の人は『高尾山』や『三原山』などの名前を挙げるだろう。
しかしダンジョンが世界各地に出現した今では、東京の山といえば六本木ミッドタウンの地下に見つかったCランクダンジョン『東京オーガ』を指すことが多い。
このダンジョンが有名なことには理由がある。
それは世界的にも珍しい『山岳型』のダンジョンであるからだ。
普通ダンジョン内は下へ下へと潜っていく形式が多い。
それは地下に向かうにつれて魔素が濃くなるからだ。
その内部は魔素の偏り具合やパターンの変化によって変化する。
洞窟型は勿論のこと平地型や森林型、果ては海のような場所まであった。
そうした中で、最も攻略が難しいとされているのがこの『山岳型』ダンジョンである。
詳しいメカニズムは解っていないが、ダンジョンを深く潜った先に広大な地下空間があり、そこには高山が聳え、その山頂に最も魔素が集まるボス部屋があるのだ。
『東京オーガ』もそうした山岳型ダンジョンの一つであった。
内部を踏破するためには、平均気温が0度を下回る洞窟を4000メートル地下に潜り、その先に聳える3000メートル級の氷山を登る必要がある。
しかも出現するモンスターのレベルは平均的なCランクダンジョンよりも上であり、踏破する際の難易度はBランクダンジョンに匹敵すると言われていた。
体内に大量の魔素を溜め込むことで超人的な身体能力を獲得した探索者たちといえども、踏破は容易ではない。
その山頂付近。
西麻布たちは、切り立った90度近い岩肌にポータレッジと呼ばれる崖用テントを張って休息していた。
止まない吹雪のために山頂への登攀を阻まれていたためだ。
彼女たちは既に半日、崖っぷちに吊り下げられたテントの中で過ごしている。
「西麻布さん……! もう食糧が……!」
極度の低温で真っ赤になった指先を震わせながら、金髪イケメン高校生である吉良が言った。
彼が背負ってきたリュックサックは軽い。
彼らが用意してきた一週間分の食料は、既に尽きかけている。
「仕方ないでしょ。こんな吹雪じゃ登れないもの」
早口にそう言って、西麻布が溜息を吐く。
その時だった。
不意に地響きのような音が聞こえ、テントが縦に振動し始める。
ハッとして西麻布がテントのファスナーを開けて外を見た。
直後、西麻布たちのテントの僅か10メートル先を、大量の雪が落ちていった。
雪崩である。
直撃していれば、こんなテントなどひとたまりもない。
「ひっひっ……!?」
死への恐怖に、テント内に居た一人の顔が恐怖で引き攣る。
その感情は即座に他のパーティメンバーにも伝わった。
「わ……私たち……大丈夫なのでしょうか……?」
同じく隊員の一人である黒髪ショートの20代女性探索者が、西麻布に上目遣いに尋ねる。
西麻布は答えない。
「……僕、どうしてこんな所に来てしまったんだろう……」
続けざまに吉良が呟く。
彼の顔に、かつての優秀な学生としての面影はない。
端正だった彼の顔は痩せこけ、目は死への恐怖で淀んでいる。
そんな情けない吉良たちの態度を受け西麻布は、
「チッ」
舌打ちをした。
もっとしっかりリーダーをしろと、吉良たちに責められているように感じたからだ。
「どうしてって、アナタたちが私に頼んだんでしょ?
泣き言とか今さら止めてくれる?」
「で、でも……!」
「私のせいみたいに言うの止めて」
西麻布がピシャリと言い放った。
皆その一言で沈黙する。
静まったテント内に響くのは、暖を取るためのガスコンロと、吹雪の音。
彼らにはその不気味な協奏音がまるで死神が歌っているかのように聞こえていた。
「……でも……! わ、わ、私たち、怖いんです!」
圧し掛かる雪のような沈黙を堪え切れず、とうとうパーティメンバーの女子が騒ぎ出した。
「西麻布さん、Cランクダンジョンなんて楽勝なんじゃなかったんですか!?」
「そう聞いたから俺たちついてきたのに!!」
それに釣られる形で他のメンバーも次々と口を開く。
ここに居るのは探索者専門学校のトップ6人。
その内西麻布と吉良を除く4人は、全員元社会人だ。
彼らはプロではないが、アマチュア探索者としてはかなり優秀な部類に入る。
実際地元では天才と呼ばれていたし、オーガを登頂できるだけのスタミナ値もあった。
そんな彼らがすっかり怖気づいている。
「は? 私カンタンなんて一言も言ってないんだけど?」
西麻布が長い金髪の先を指で弾きながら言った。
パーティメンバーが欲しがっていたのは、西麻布らしい強気な発言である。
『この程度のダンジョンなどカンタンだから安心しろ』と言ってほしかったのだ。
だが今の西麻布にそうした言葉をかけるだけの余裕はない。
彼女も限界だった。
「でも踏破できるって言ったじゃないですか!?」
そうした現状が恐ろしくなって、声高に女性探索者が尋ねる。
「できるわよ?
アナタたちみたいなお荷物が居なければね。
こんな場所でグズグズしてるのも、アンタたちが足を引っ張るからじゃない。
弱いしすぐ音を上げるしそのクセご飯ばっかり食べて。
ソロだったらとっくに攻略してたわ」
言って、西麻布が視線を外に向ける。
その言葉はウソである。
確かに西麻布のレベルは2000を越えている。
この場に集まっている連中はもちろん、プロ探索者と比べても上位に食い込めるほどのレベルだ。
そんな西麻布といえどもCランクダンジョンをソロで踏破できるだけの力はない。
その理由は様々あったが、最も顕著なのはスタミナ値の減少によるステータス低下だ。
今の西麻布は本来の実力の半分も出せていない。
「はあああ!? だったらなんで俺たちなんか連れてきたんですか!?」
「俺らが居ないと潜れないクセに! メシも足りないしスタミナだってそうだ!」
「そうそう! いくら元が強くたってスタミナ減ったらザコだもんな!」
「だから俺らが露払いしたり荷物持ちしたりしてきたんだろ!?」
「こんなところソロで登れるわけないよ……!」
そうした事実が分かっているからだろう。
パーティメンバーたちが一斉に西麻布を非難する。
「それ以上言うなら、全員この場で楽にしてあげるけど?」
言ってギロリ、西麻布が他の隊員らを睨みつけた。
その手は腰の細剣に掛かっている。
雪崩よりも恐ろしい西麻布の脅しに全員黙り込む。
「……ひっく……ううっ……!」
やがて恐怖に耐え切れず、とうとう女性探索者が泣き出してしまった。
テント内の空気は増々重苦しくなる。
「フン。
こうなることは全部事前に解っていたことじゃない。
スタミナ消費によるステータスの低下に、気分の悪化。
高いストレスによる苛立ち。
過酷な自然環境。
死ぬ可能性すらある。
いえ、むしろ死ぬ事が前提。
だから契約書も全員分作ってもらったし、遺書も書いてもらったわ。
当然私の遺書もね。
私は毎回使いまわしてるけど。
アナタたちが軽々しく挑戦しようとしたCランクはそういう環境なの。
この私ですら苦戦するレベルのダンジョンなのだから、アナタたちが今絶望しているのも当然のことよね」
西麻布はそんなメンバーたちを見下して言った。
まるで今自分たちが直面している氷壁のような、現実を突きつけられて誰も反論できない。
泣くことすら叶わなかった。
「……まあ、任せておきなさい。
明日は私がボスを倒すから。
ボスさえ倒せば魔素が一時的に消えて、この吹雪も止むでしょう。
それで皆で帰ればいいわ。
各々報酬を持ってね。
そしたらアナタたちみんな英雄扱いよ。
学生のうちにCランクダンジョンを踏破する人なんて、滅多に居ないんだから」
暫く経って、ようやく西麻布がメンバーを励ます。
西麻布としても、ここでパーティメンバーを失うわけにはいかなかった。
そもそも何故今回彼女が、吉良たちのような足手まといになりそうな連中を引き連れ、よりにもよって日本で最高難易度を誇るダンジョンのうちの一つを踏破しようとしているのか。
そこには彼女なりの理由がある。
学生だけのパーティで『東京オーガ』をクリア……それも全員生還……となれば、その噂は瞬く間に業界全体に広まるだろう。
世界中の大手探索企業や国家機関がこぞって彼女と契約したがるに違いない。
そうなれば自分の人生はほぼ勝ちが確定する。
そうした野心が西麻布の心を普段よりも一層ギラつかせていた。
「「……」」
一方パーティメンバーたちは、西麻布の強気な発言を受けても心細かった。
西麻布の野心……全員生還という最高の結果を求めている……ことは、なんとなくだが全員が承知している。
だから西麻布に任せてさえいれば自分の身も安全だろうと考える事はできた。
だが、不安は拭えない。
ここは難攻不落なCランク山岳型ダンジョン『東京オーガ』なのだ。
明日は死ぬかもしれない。
そう思うと心まで凍り付く。
「……すみません、西麻布さん……! 狼狽えてしまって……!」
「本当にごめんなさい。俺怖くて……!」
「西麻布さん、宜しくお願いします……!」
「私たち一生懸命やりますから……!」
各々そう思いながらも、西麻布に取り入って媚びるしかなかった。
西麻布を除く全員が考えていることは一つ。
生きて帰りたい。
暖房の利いた自分の部屋で、ぬくぬくカップラーメンを食べたり、家族や友人たちとくだらない話がしたい。
そんな慎ましい願望だった。
この氷壁にあっては、そうした最低限の欲望すら満たすことは難しい。
「全て私に任せて」
西麻布はそう言うと、何重にも着込んだ防寒具を布団代わりにして横になった。




