SCENE12 タク その4
「何でこうなるんだよお……」
おれはコーナーポストのすぐ外側で、頭を抱えた。
「んなこと言っても、今さらしょうがねぇだろ」
コーナーポストのすぐ内側で、小さな丸いすに座ってふんぞり返ったイデが言う。
昨日、勢いに任せて喧嘩屋として登録してしまったイデだったが、その数時間後に早くも初試合が決まった。しかも昨日の今日である。いくらなんでも急すぎるなと思ったら、対戦相手が……。
「よりにもよって、何でセージなんだよお……」
おれは反対側のコーナーポストに手をかけて立つ、締まった体を見やる。
『賭け試合に勝って、一気に五千万獲得作戦』が泡となって消えていくような気がした。
発作の心配があるとはいえ、昨日見せ付けられたイデの強さは強烈に印象に残った。だからこそ、俺はイデが喧嘩屋になると言うのを止め切れなかった訳で……。
なんだかんだ言っても、俺だってイデならば、そんじょそこらの相手には負けないだろうと思ったし、これで五千万が手に入るなら、と期待してしまったのだ。
しかしその期待もセージが相手では……。
「セージだろうが誰だろうが、出てきた相手は叩きのめすのみ!」
イデはというと、初めての対戦が相棒であるセージになってしまったことに、心痛めてるのかと思いきや、これがまたムカつくぐらいに普段と変わらない。
「だって、あのセージなんだよ? いくらイデでもさ……」
「おい、テメエ、オレを見くびるなよ。オレはセージが今まで勝てなかった唯一の男だ」
「……でも、負けてもいないんでしょ?」
イデは押し黙る。あてずっぽうで言っただけだったが、図星だったらしい。
「と、とにかくだな! 前にヤツとやりあった時には決着がつかなかったんだ。だから今日は返って決着をつけるいい機会だ」
「何で決着つかなかったの?」
おれは半眼になって聞く。
「そ、それはだな~。その~」
「発作おこしたんでしょ?」
また黙る。またしても図星か。
「それって決着つかなかったんじゃなくて、セージに見逃して貰ったって言わない?」
「うるせぇな、タク! だいたいだな、オレがこんなところに出て来てるのは誰のためだと思ってんだ!」
それを言われると、言葉もない。ハイそうです。オレのためです。
「それで、金はキチンと賭けたんだろーな」
「へっ? あっ、う、うん、か、賭けたよ」
グリンとイデが首を背後へ、おれの方へと向ける。疑わしげな視線だ。
「ホントーに賭けたのか?」
「も、モチロン……」
「いくら賭けた?」
「えーっと、それはあ……」
「ハッキリしやがれ!」
「に、二百万ぐらいかなあ……」
「はあ? 二百万だあ?」
イデが勢い良く立ち上がった。おれは一歩退く。
「何で一千万全額賭けねえんだ。五千万貯める気あんのか?」
「だ、だってさあ」
おれはセージをチラリと見た。並みの喧嘩屋が相手ならともかく、セージが相手ではいくらイデでも勝てるかどうかは微妙なところだ。イデは発作持ちだから、どちらかと言えば、コッチのほうが分が悪い。
それに全額賭けてしまえるほどの度胸は、おれにはなかった。
「バカだな。すっげえバカ。全額賭けてれば、五千万払っても、一生遊んで暮らせるほどの金が残ったかもしれないってのに……」
「で、でもさ、二百万でも、イデが勝てば五千万はいくよ」
「そういう問題じゃねえの。掛け金はお前のオレに対する信頼度を表しているワケ。お前の信頼度がそれっぽっちだったとは……。オレは嘆かわしい……」
ガクリとイデはわざとらしく項垂れてみせる。それはおれも悪いとは思うけど、背に腹はかえられない。
「おーい、タクちゃ~ん、イデく~ん!」
この場に似つかわしくない、間延びした声がした。背後を振り返ると、ユキエがリング周りに集ったギャラリーの波をかき分けて、こちらへやって来るところだった。
「お前、どこ行ってたんだよ」
「あのねあのね、ユキエ、冷た~い飲み物買ってきたんだあ。ホラ」
ユキエがそう言って差し出したのは、見るからに甘そうな「いちごみるく」。
「……オレはいいや」
イデは早々と視線を逸らした。
「お、おれも……」
「タクちゃんも、いらないの?」
うっ、その捨てられた子犬のような目で見上げてくるのはやめてくれ! 断るに断れないじゃないか。
結局、おれはイデの分まで「いちごみるく」を飲み干した。
あ、甘い……。




