SCENE13 撫子 その3
「いい? この一戦には、わたしの一生がかかっているの」
わたしは人差し指をセージの鼻先に突きつけて言い放った。
昨日、この試合が決まったときからさんざん言い続けてきたことだけど、それでもまだ言わずにはいられない。
言われたセージは、大仰なまでに息をついた。
「ちょっと、ちょっと! 何なのよその態度は! この試合の行く末によって、わたしの人生が暗黒時代に突入するかもしれないのよ。そこのところ、ちゃんと分かってる?」
「分かってるよ。分かってるから、こうしてここまで来てるんじゃないか……」
「やる気が感じられない」
「どうやる気を出せっていうんだ……」
セージはチラリと背後を、反対側のコーナーポストを見た。
そこには小さな丸椅子にふんぞり返った一人の男。それが今回の対戦相手、イデである。
聞くところによると、イデという男は、このセージの相棒であるらしい。ずっとセージのマネージャーをしていたそうだ。しかしそれが何でまた、今になって喧嘩屋登録したのだろうか。そこのところはイマイチ良く分からない。
しかし、今のわたしにはそんなことはどうでもいい。相棒と戦わなくちゃならないセージに同情する気持ちはあるけれど、この試合にセージが勝てば、パパにわたしとセージの仲を認めさせることが出来る。それは裏を返せば、伊集院との婚約話が白紙に戻るということでもあるのだ。
本当にセージとどうにかなりたいと思っているわけではない。とりあえず、伊集院との婚約が回避出来ればそれでいいのだ。
パパは今、ここから少し離れたところにいる。熱狂する観客を押しとどめているかのように、最前列の席にどっかりと陣取っていた。
そのパパに、しっかりとセージが勝つところを見せ付けてやらなければならない。
「大丈夫! あなた強いんでしょ。まだ賭け試合で負けたことないっていうじゃない。昨日までマネージャーだった人に負けるわけないでしょう?」
「それはどうかな?」
「どういうこと?」
「イデが相手じゃあ、勝てるかどうか分からないってことだよ」
「どうして? だってマネージャーだったんでしょ」
「そうだけど……。でも、イデは俺が唯一勝てないでいる相手だ」
「うそっ!」
わたしはまた反対側のコーナーへ目をやる。そこにいるのは痩せぎすの男。痩せてはいるけれども、筋肉はしっかりとついており、貧弱な感じはしない。けれどもガッチリとした体格のセージと比べると、見劣りすることは確かだ。それなのに……。
「そ、それでも、相手がどこの誰で、どれだけ強かろうと、絶対に負けないで!」
「無茶いうなよ……」
セージはまた大げさにため息をついた。昨日からどれだけのため息をついているのだろうか。セージはわたしが何かを言うごとにため息をついていた。ため息はつく度に幸せが逃げると言う。だとしたら、セージは昨日今日で、そうとう幸せを逃していることだろう。
「両者、前へ!」
リングの中央にレフェリーが進み出て、二人の喧嘩屋にそう命じた。
そのレフェリーの声にまず反応したのは観客たちだった。いよいよ試合が始まるという期待感が歓声となって溢れ出ている。どこからか流されているテンポの速い音楽が、よりいっそう場の雰囲気を盛り上げる。
口汚い野次、下品な音楽、気分が悪くなるほどのアルコールと汗の臭い、場を包む熱気。
そのどれもが初めて体験するものだった。わたしが今まで生きてきたところとは、まったく違う世界。
これが、捨島。




