継母は二十年、私を「荷物」と呼びました。遺言状にも、そう書いてありました
継母は私を、名前で呼ばなかった。
「ミルカ」
それが、あの人が私を呼ぶときの言葉だった。
ミルカ、起きなさい。ミルカ、食べなさい。ミルカ、早く。
北の国から嫁いできた人で、こちらの言葉はいつまでも下手だった。口数は少なく、笑わず、いつもかまどの前で背中を向けていた。
八つのとき、私は学校の先生に頼んで、北の言葉の辞書を見せてもらった。
ミルカ。
――荷。運ぶもの。
その日から私は、あの人に返事をするのをやめた。
父が川で死んだのは、その翌年だ。
血のつながらない子どもを、あの人は放り出さなかった。かわりに、それまでどおり「荷物」と呼び続けた。
十六で私は家を出た。
町で写字の仕事を見つけ、十年、一度も帰らなかった。
帰ったのは、葬式のためだ。
◇
「では、遺言状を読み上げます」
村の集会所で、公証人が眼鏡を押し上げた。
継母の遺言は、北の言葉で書かれていた。あの人は最後まで、こちらの文字を覚えなかったらしい。
公証人の隣には、県庁から来た通訳が座っていた。都仕込みの、きれいな北の言葉を話す若い男だ。
「原文は一行だけです。訳を読みます」
通訳は咳払いをした。
「『家と畑とかまどは、わたしの荷物に』」
集会所がざわついた。
「荷物に、とは」
「故人の所持品に含める、という意味でしょう」と通訳は言った。「家も畑も身の回りの品と同じ扱いにせよ、と」
公証人は頷いた。
「相続人の名がありません。異国の方が名指しなく亡くなった場合、遺品は法の定めにより、嫁ぎ先の家長へ渡ります」
家も畑も、父が死んだあと借金のかたに取られかけたのを、あの人が機を織って買い戻したものだ。あの人の持ち物で、私のものではない。
そして父が死んでからの家長は、父の弟のドルフ叔父だった。
叔父は、いちばん前の席で膝を叩いた。
父が死んだとき、麦の一袋も寄こさなかった人だ。
「まあ、そうなるわな。よそ者の女に身寄りはねえし、そっちの娘は血がつながっとらん」
叔父は私を振り返って、気の毒そうな顔を作ってみせた。
「エマ、お前も悪く思うなよ。法だ」
「思いません」
本当に、思わなかった。
荷物に、家は要らない。
あの人は最後まで、私の名前を書かなかった。それだけのことだ。
「異議がなければ、七日後に名義を移します。それまでに家の片付けを」
公証人が帳面を閉じた。
◇
十年ぶりの家は、かまどの匂いがした。
片付けは私がやることになった。叔父は「金目のものだけ分けておけ」と言って帰っていった。
金目のものなど、何もなかった。
嫁入りのときに持ってきたという木箱が一つ。中は空だ。あれは、私が七つの冬に空になった。
隣の家から火が出た夜のことだ。
父は川に出ていて留守だった。あの人は寝ていた私を毛布ごと抱えて、裸足で雪の中へ飛び出した。木箱も、銀の匙も、何ひとつ持たずに。
「ミルカ、ミルカ」
と、耳元で繰り返しながら。
火は隣で止まったけれど、開け放した戸口から泥棒が入って、木箱の中身は消えていた。
私はそれを、長いこと、こう覚えていた。
荷物みたいに抱えられて、荷物、荷物と呼ばれた夜、と。
かまどの上の棚に、帳面が一冊あった。
家計簿だと思って開いた。
違った。
こちらの文字だった。
子どもが書いたような、ひどく下手な字で、同じ文が何度も何度も書いてあった。
『おかえり』
『おかえり』
『おかえりなさい』
横に、北の文字で小さく書き込みがある。読み方の覚え書きらしい。
次の頁。
『さむくないか』
『さむく、ないか』
次の頁。
『きょう、がっこうは、どうだった』
これは二十回書いてあった。
二十回書いて、あの人は一度もそれを言わなかった。
言わなかったのではない。
私は帳面を持ったまま、土間に座り込んだ。
思い出したからだ。
六つの秋。あの人が嫁いできて間もないころ。あの人は門口で、帰ってきた私に言ったのだ。
「イェマ、おかえり」
エマ、と言えなかった。北の人の舌では、どうしてもそうなるらしい。
一緒にいた子どもたちが、腹を抱えて笑った。
イェマ、イェマ。お前のかあちゃん、変な言葉。
次の日から、私は学校で「イェマ」と呼ばれた。
泣いて帰って、私はあの人に言った。
――もう、しゃべらないで。
あの人は、それを守ったのだ。
二十年。
◇
「おい、ユーリャさんはいるかい。塩を持ってきたよ」
戸口で声がして、私は顔を上げた。
背負い箱を担いだ、ひげの男が立っていた。
毎年秋になると北から来る塩売りだ。子どものころから知っている。継母が、こちらで唯一、故郷の言葉で話していた相手だった。
「……死にました。五日前に」
塩売りのグリゴは、背負い箱を下ろして、長いこと黙っていた。
それから土間に上がって、かまどに向かって北の言葉で何か言った。祈りだと思う。
「あんた、エマちゃんか。大きくなった」
「遺言の片付けをしています。家は叔父のものになるので」
「は?」
グリゴは眉を寄せた。
「あの人が、あんたに遺さなかった? そんなはずがあるか」
「遺言状にそう書いてあったんです。家と畑とかまどは、わたしの荷物に、と」
私は笑ってみせた。うまく笑えなかった。
「最後まで荷物でした。ミルカ、ミルカって、二十年」
グリゴの顔色が変わった。
「……誰が訳した」
「県庁の通訳です。都で学んだ人で」
「都の言葉じゃ、そりゃあ荷だ」
塩売りは、土間に唾でも吐きそうな顔をした。
「あの人は北の、海っぺりの村の出だ。おれと同じ。あっちじゃミルカは荷物じゃねえ」
「じゃあ、何です」
「火事のときに」
グリゴは、空の木箱を見た。
「家が燃えたら、ほかは全部置いていけ。ミルカだけ抱いて逃げろ。おれたちは母親にそう教わる。ミルカってのは、そのときに抱えるもんのことだ」
「…………」
「鍋でも金でもねえ。たいていは、子どものことだ」
私は木箱を見た。
七つの冬に、空になった箱を。
あの夜、あの人は、ほかを全部置いてきたのだ。
教わったとおりに。
「じゃあ、どうして」
声が掠れた。
「どうして名前で呼んでくれなかったんですか。あれきり、一度も」
グリゴは答えるかわりに、私の手の帳面を取って、最後の頁を開いた。
そこには、一語だけが、頁いっぱいに書いてあった。
『エマ』
『エマ』
『エマ』
百はあったと思う。
余白に、北の文字で書き込みがあった。
グリゴが読んだ。
「『言えない。どうしてもイェになる。また笑われる。あの子が恥をかく』」
塩売りの声が、少し震えた。
「『ミルカでいい。ミルカなら、まちがえずに言える』」
◇
七日目の朝、私は集会所の扉を開けた。
「異議があります」
公証人が顔を上げた。叔父が舌打ちをした。
「エマ、往生際が悪いぞ。法だと言ったろう」
「法のとおりで結構です。遺言の訳が違います」
私は遺言状の写しを机に置いた。
「『わたしのミルカに』。これは物ではありません。人です」
通訳がむっとした顔をした。
「辞書にはっきり、荷、とあります」
「都の辞書には」
グリゴが後ろから進み出て、北の海辺の言葉で何か言った。通訳は半分も聞き取れないようだった。
公証人は両方の顔を見比べて、ため息をついた。
「言葉の意味は、私には裁けません。ですが法は単純です。遺言の『ミルカ』が物を指すなら、家は家長へ。人を指すなら、その人へ。――人だと言うなら、それが誰なのか、示していただきたい」
叔父が鼻で笑った。
「そんな名前のやつは、この村におらんぞ」
集会所が静かになった。
私は、息を吸った。
八つの日から、一度も返事をしなかった名前だ。
呼ばれるたびに、聞こえないふりをした名前だ。
「私です」
声は、思ったより大きく出た。
「私が、ミルカです」
「証拠は」
「毎日、そう呼ばれていました」
「お前がそう言ってるだけだろうが」
「いいや」
後ろの席で、誰かが立った。
魚屋のおかみさんだった。子どものころ、私を「イェマ」と囃した子の、母親だ。
「あたしゃ聞いてたよ。毎日夕方、門口でさ。『ミルカ、ごはん』って。この子が家を出るまで、一日も欠かさずだ。荷物をごはんに呼ぶ人が、どこにいるんだい」
「うちもだ」鍛冶屋の親父が言った。「朝は『ミルカ、起きなさい』。あの人の声はよく通った」
「この子が町へ出たあともね」
向かいの婆さんが、ゆっくり立ち上がった。
「夕方になると門口に出て、街道のほうを見てたよ。呼びはしなかったけどね。口だけ動かしてた。ミルカ、って」
私は、知らなかった。
十年、あの人は、門口に立っていたのか。
公証人は三人の名を帳面に書き留めた。それから遺言状を取り上げて、今度は自分の声で読んだ。
「『家と畑とかまどは、わたしのミルカに』」
眼鏡の奥の目が、こちらを見た。
「相続人、エマ。――訳を、訂正します」
叔父は何か言いかけて、集会所じゅうの目に気づいて、やめた。
通訳は辞書を鞄にしまいながら、小さな声でグリゴに尋ねていた。
その言葉、綴りを教えてもらえますか、と。
◇
その晩、私はかまどに火を入れた。
十年ぶりだ。火のつけ方は手が覚えていた。
鍋は、あの人のやり方で煮た。塩はグリゴの置いていった北の塩だ。
帳面は棚に戻さなかった。卓の上に開いて置いた。
『きょう、がっこうは、どうだった』
二十回書かれた文の下に、私は返事を書いた。
『笑われました。でも、もういいです』
それから、明日発つというグリゴに頼んで、一つだけ北の言葉を教わった。
「母さん」は、海辺の村では「マーチ」と言うそうだ。
私の舌では、どうしても「マーツィ」になる。
グリゴは三度直して、四度目に笑って、あきらめた。
「下手だなあ。向こうで言ったら笑われるぞ」
「笑われてもいいです」
言えないからと黙るのは、もう、うちでは一人で十分だ。
門口に立って、暮れていく街道を見た。
二十年、あの人が見ていたのと同じ道だ。
私は荷物と呼ばれていたのではなかった。
家が燃えても置いていかないものの名で、毎日、朝と夕方に、呼ばれていた。
「ただいま、マーツィ」
発音は、たぶん笑われるくらい下手だった。
かまどの鍋が、ことりと鳴った。




