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「お姉ちゃんなんだから」と譲り続けた私が、妹の結婚式のスピーチで全部話すことにしました

作者: _mon_mon_
掲載日:2026/10/05

「お姉ちゃんなんだから」


うちで一番よく聞いた言葉は、たぶんこれだ。


うちは駅前の小さなケーキ屋で、母が焼いて、父が配達をして、私は七つのころから店番をしていた。


妹の花は、私より四つ下。


「お姉ちゃんなんだから」は、だいたい花のために使われた。


   ◇


「美咲、お願いがあるの」


花から電話が来たのは、六月の夜だった。来月、花は結婚する。


「結婚式のスピーチ、お姉ちゃんにしてほしい」


「え、私? 叔母さんに頼むって、お母さん言ってたけど」


「お母さんじゃなくて、私が頼んでるの」


花の声は妙に硬かった。


「それでね。綺麗な話じゃなくていいから。ちゃんと、お姉ちゃんの話をして」


「私の話? あんたの結婚式なのに」


「お姉ちゃんの話がいいの。お願い」


電話はそれで切れた。


私は店の二階の自分の部屋で、しばらく天井を見ていた。


自分の部屋、と言っても、六畳の和室だ。


花の部屋は、隣の八畳の洋室だった。


   ◇


最初の下書きは、ひどかった。


『新婦の姉の美咲です。花は小さいころから、何でも持っていく子でした』


そこまで書いて、消した。


二枚目。


『花とは四つ違いです。私は「お姉ちゃんなんだから」と言われて育ちました』


そこで手が止まって、気づいたら便箋の裏に箇条書きを始めていた。


お姉ちゃんなんだから、で譲ったもの。それから、諦めたもの。


・ショートケーキの、最後の苺(九歳)

・車の窓際の席(毎回)

・八畳の部屋(十二歳)

・修学旅行のおこづかいの半分(十四歳)

・東京の製菓学校(十八歳)


最後の一行だけ、ペンが紙に食い込んでいた。


花が十四のとき、心臓の手術をした。成功はしたけれど、退院してからも一年は無理ができなかった。店は母一人では回らない。父は配達で手一杯。


「美咲、お姉ちゃんなんだから」


母は泣きながらそう言った。母が泣くのを見たのは、あれが初めてだった。


私は合格通知を机の引き出しにしまって、そのまま店に立った。


十四年、立ち続けている。


   ◇


「スピーチ、進んでる?」


翌週、厨房で生クリームを泡立てながら、母が聞いた。


「まあ」


「ちゃんとしたこと言ってよ。親戚もいっぱい来るんだから」


母は泡立て器を止めずに言った。


「お姉ちゃんなんだから」


ボウルの中で、生クリームの角がぴんと立った。


「……分かった」


私は返事をして、ショーケースの前に戻った。


ちゃんとしたことを言おう、と思った。


本当のことを、ちゃんと。


   ◇


式場は、海の見える小さなレストランだった。


ウェディングケーキは母が焼いた。三段の、苺のショートケーキだ。うちの看板の。


花は白いドレスで、隣の新郎の健太さんは緊張で汗をかいていた。気のいい人だ。配達のトラックを洗うのを手伝ってくれたことがある。


「続きまして、新婦のお姉様、美咲様よりご挨拶をいただきます」


マイクの前に立つと、六十人ぶんの顔がこちらを向いた。


母は親族席で、背筋を伸ばして座っていた。父はもう目が赤い。


花だけが、まっすぐ私を見ていた。


私は便箋を開いた。


「新婦の姉の、美咲です」


声が少し震えた。


「花とは四つ違いです。我が家では、『お姉ちゃんなんだから』という言葉が、とてもよく使われました」


会場が少し笑った。たいていの家にある話だと思ったのだろう。


「今日はせっかくなので、お姉ちゃんなんだから、で花に譲ったものを、発表したいと思います」


笑いが、少し減った。


母の背中が、さらにまっすぐになったのが見えた。


「九歳のとき、ショートケーキの最後の苺」


「毎回、車の窓際の席」


「十二歳のとき、八畳の部屋」


「十四歳のとき、修学旅行のおこづかいの半分」


会場はもう、笑っていなかった。司会の女性が、どうしたものかという顔でこちらを見ていた。


最後の一行を読む前に、息を吸った。


「それから、これは譲ったのではありません。十八歳のとき、東京の製菓学校の合格通知。こっちは、諦めました」


しんとした。


厨房の奥で、グラスが一つ鳴った。


母は、膝の上で両手を握りしめていた。


私は便箋から顔を上げた。


ここまでは、書いてきた。ここから先は、書いていない。


「……全部、私が自分で手放したものです。誰かに取られたものじゃありません」


それは本当だった。言いながら、本当だと分かった。


「譲るのは、悔しかったです。でも、花が持っていくのを見るのは、嫌じゃありませんでした」


花の目が、少し揺れた。


「だから今日で、お姉ちゃんを辞めます」


会場が、ざわっとした。


私は新郎のほうを向いた。


「健太さん。これから花に何かを譲るのは、あなたの役目です。窓際の席も、最後の苺も。たぶん、けっこう取られます」


健太さんが、真っ赤な顔で深くうなずいた。何人かが、ほっとしたように笑った。


「それから」


私は親族席を見た。


「お母さん。私、来年の春から、東京の製菓学校の夜間部に通います。もう願書を出しました」


母が、顔を上げた。


「相談じゃなくて、報告です。お姉ちゃんじゃない私の、最初の報告です」


便箋を閉じた。


「花、結婚おめでとう。以上です」


拍手は、ばらばらだった。


それでいい、と思った。


   ◇


ケーキ入刀のあとは、ファーストバイトだった。


新郎新婦が互いにケーキを食べさせ合う、あれだ。司会が「新郎から新婦へ、大きなひと口を!」と盛り上げる。


健太さんがスプーンを持った。


そのスプーンを、花が手で止めた。


「ごめんね、健太。最初のひと口は、ほかの人にあげたいの」


花はケーキの一番上から、苺を一つ、指でつまんだ。


それを持って、ドレスの裾を引きずりながら、まっすぐ私の席まで歩いてきた。


「お姉ちゃん」


花は私の前にしゃがんだ。


「九歳と五歳のとき。私、泣いたでしょ」


覚えている。最後の苺が自分の皿に来たのに、花は火がついたように泣いた。苺が小さかったから泣いたのだと、母も私も思っていた。


「あれね、半分こって言いたかったの。お姉ちゃんの顔、見ちゃったから」


花の指先の苺は、少し震えていた。


「でもお母さんに、花ちゃんは小さいんだからって言われて、言えなかった。それからずっと、言えなかった。窓際も、部屋も」


花は、ほんの少しだけ笑った。


「東京も」


「……花」


「手術のあと、私、夜中に引き出しの合格通知、見つけちゃったの。お姉ちゃん、捨ててなかったでしょ」


捨てられなかった。それだけだ。


「私が言いたかったこと、お姉ちゃんが全部言っちゃった。ずるいよ。だから、これだけは私にやらせて」


花は苺を差し出した。


「二十三年分。遅くなってごめん」


会場じゅうが、静かに見ていた。


私は苺を受け取った。


指でつまんだまま、しばらく食べられなかった。


「……半分こ、する?」


「しない。全部お姉ちゃんの」


母のケーキの苺は、甘くて、少し酸っぱかった。昔から、そういう苺を選ぶ人だ。


健太さんが後ろで、空のスプーンを持ったまま、照れくさそうに立っていた。


   ◇


母と話したのは、式が終わって、店に戻ってからだった。


厨房の明かりだけをつけて、母は三段ケーキの残りを箱に詰めていた。


「美咲」


「うん」


「……私もね、言われてたのよ。お姉ちゃんなんだから、って」


母は箱から顔を上げなかった。


「三人姉妹の一番上でね。言われて育って、嫌だったのに、気がついたら同じことを言ってた。口が勝手に覚えてるの」


知らなかった。


叔母さんたちが母を「お姉ちゃん」と呼んでいるのは、ただの呼び名だと思っていた。


「東京のこと」


母の手が止まった。


「あれは、言っちゃいけなかった。分かってて、言った。あなたしか、いなかったから」


母は、泣かなかった。泣かないように、口を固く結んでいた。


「ごめんね。あなたにも、お姉ちゃんじゃない名前があったのにね」


厨房の時計の音が、やけに大きかった。


私は何か言おうとして、うまく言えなくて、かわりに冷蔵庫を開けた。


ショートケーキが一つ、残っていた。明日の店に出す分だ。


それを皿に移して、フォークを二本出した。


「お母さん。苺、どっちが食べる?」


母は、私の顔を見た。


それから少し考えて、言った。


「……美咲が決めて」


生まれて初めて聞く言葉だった。


私は苺を、フォークで二つに切った。


大きいほうを、自分の口に入れた。


「ずるい」


と母が言って、笑った。


小さいほうは、母の口に入った。


   ◇


来年の春から、私は東京で一人暮らしをする。昼は向こうのケーキ屋で働いて、夜は学校だ。


店番は、アルバイトを一人雇うことになった。母が自分で面接をして、自分で決めた。


「配達、土日は僕が手伝いますよ」


健太さんはそう言って、今では父のトラックを洗っている。


花は相変わらず、窓際の席に座る。


でも最近は、乗るときに必ず聞くようになった。


「お姉ちゃん、どっちがいい?」


私はたいてい、窓際を選ぶ。


   ◇


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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お姉ちゃんの心にはまだ色々と蟠り有りそうな予感。
合格通知を譲る…? 製菓学校に通うのを諦めた、であって、妹に譲ってはいないように思いました
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