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失楽の予見者  作者: 桐央琴巳
第一部 「失楽の予見者」
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第三章 「禁手」1

「言ってしまった」


 朝一番、仕事始めの書庫を訪ねて来るなり、キセラシオンは悲壮感漂う表情で、まだ働かない頭をしたアルセイアスに挨拶もなく打ち明けた。


「言ってしまった……。リテセラシアの情に、つい、甘えて。あなたを愛していると告げてしまった」

「……いきなりそんな告白を聞かされたところで……、ラシオン、痴れ者とでも罵って差し上げれば満足ですか?」

「容赦ないな、セイアス」

「慰めて欲しいなら、人選を誤っておいでです」


 普段の若者らしく頼もしい姿は見る影もなく、よろよろと席に付いたキセラシオンを、生欠伸を噛み殺しながらアルセイアスは邪魔くさげに見下ろした。


「それでも、お前以外には口外できんよ、こんなことは……。父や長老たちに知られたら、神を畏れぬうつけ者と半殺しにされかねない案件だ。なあセイアス、私はこれからどうすればいいんだろう……?」


 どうするもこうするも考えるまでもなかろうに、机に突っ伏してしまったキセラシオンに嘆息しながら、アルセイアスは不承不承、彼と向かい合わせる椅子を引いた。


「どうもなさらないのが一番では」

「どうもしない?」


「ええ、ラシオンが、巫女嗣に懸想していらっしゃるものは仕方がない。ですが、だから? 大神と花嫁を争えるものではない、巫女嗣を吾妹にすることはできないと、以前におっしゃっていたのはラシオン、他ならぬあなたでしょうに。何の弾みか存じませんが、たかだか愛の告白をしてしまったくらいで、その現状を変えられると思うのは驕りでしかない」


「お前、本当に、血も涙もないのな」


 キセラシオンは恨めし気に、アルセイアスを上目で見やった。慰めてやる気など毛頭起きず、アルセイアスはひんやりとした眼差しを返した。


「目が覚めましたか? もっと言って差し上げましょうか?」

「いいや、十分だ。正しいよ、お前が……。御前から強制的に下げられただけで、何の処分もなかったことがあの人の答え……、何もなかったことにしたいという気持ちの顕れなのだろうな……」


「強制的、とは?」

「ああ、その、なんだ……、リテセラシアに暗示の技を掛けられた――のだと思う。気づけば自分の室で休んでいて、昨日神殿から辞したという記憶がない」


 頭の中に靄がかったようなキセラシオンの発言に、アルセイアスは呆れた。どうしようかと悩むまでもなく、リテセラシアから意思表示は、明確になされているではないか!


「あの道徳意識の塊のような巫女嗣が、人の心に干渉する、【心】(イオス)の禁じ手を使われるとは。それはラシオン、あえて申しますがあなたの失言に、相当気分を害されたということなのでは?」

「……だよなあ」


「ついでにあなたの記憶を消去して、綺麗さっぱりなかったことにすることもできたでしょうに、それをなさらなかったのは戒めかもしれませんね。もう二度とするなという」

「きっついな……」


 はーと大きな溜息をつきながら、キセラシオンは再び机に突っ伏した。許されざる想い人から、してはならない告白をきつく突っ撥ねられたキセラシオンが、アルセイアスには憐れではあるが羨ましくもある。


「逐一落ち込まないで下さい、鬱陶しい。きっぱりと失恋できてよかったではありませんか。ラシオンに妻問いを受け、強い子を産みたいという【力】(キリス)の娘は大勢いるでしょう。同眸の男は、遅かれ早かれあちこちで胤を蒔けと強要されるようになるのですから、最初から三、四人まとめて引き受けて、妻たちの諍いに巻き込まれ悩まされて、触れもできない女性のことなどとっととお忘れになってしまいなさい」


 偉そうに、どの口で垂れる高説か! マリアセリアを組み敷きながら己は一体何をした? マリアセリアの瞳の奥から、マルシレスラに眺められていることを想像し、まだ青いマリアセリアの肉体に、過激な情欲をぶつける無体を働いたのではなかったか? 思わず名を呼び違ってしまいそうになりながら、触れてはならない人の代わりに――。


「妻問いをすれば、気持ちはそちらへ動くものか?」


 キセラシオンの呻くような問いかけに、アルセイアスは自嘲から立ち戻った。忘れるどころか膨れ上がって幾つもの禁を破ってゆく、こんな邪恋は口が裂けても誰にも言えない。


「……相手にもよるかと思います。助言して差し上げるなら、最初の女性は重要ですので、投げやりにならず第一夫人選びは慎重に。私は妻たち以外を知りませんが、女性の肌というのは一人一人違って良いものですよ」


「三人も知っていれば十分だろう。ところでどう違うんだ?」

「教えませんよ。私の美しい吾妹たちは、あなたには縁付くことのない人妻でしょう」

「先達の意見を拝聴したまでだ。ちなみに昨夜は誰だった?」

「マリアセリア」

「へえ」

「と、申しましたら、憎らしくなりますか? ラシオン?」

「お前なっ……!!」


 マリアセリアの容貌がマルシレスラに似ているということは、すなわちリテセラシアにも似ているということだ。罪のお裾分けをしてやりたくなった、アルセイアスの意地悪にまんまと嵌り、キセラシオンはあたふたとした。



「セイアス」

 そこへ書庫の入り口の方から、当のマリアセリアの細い声が割り込んだ。アルセイアスの動きに釣られて、そちらを向いてしまったキセラシオンだが、あらぬ想像を浮かべてしまったばかりのやましさから、すぐさま気まずく顔を逸らした。


「お早うございます。どうしました? セリア」

「お早うございます、セイアス、キセラシオン様。あの、レスラ姉様が、セイアスの竪琴をご所望です」


「竪琴を? 今からですか?」

「はい。昨日の今日で、どうにもまだ気が晴れない。すさんだ心を洗うため、セイアスの楽をお聴きになりたい、と――」

「お珍しく、しおらしいことを」


 悪態をつきながら、それでもアルセイアスは、マルシレスラの呼び出しに応えるべく腰を上げた。悩む余地もなかったキセラシオンの恋愛相談に、乗ってやっているよりもよほど有意義だ。


「首のお呼び立てとあっては行かぬわけには参りません。ラシオン、あなたはどうなさいますか?」

「このまま一人で書庫にいるさ、狩りの記録を綴りに来たんだ。いくつか資料を見たいのと、書き物は正直得意でないから、セイアスに(すけ)てもらうつもりでいたんだが」


「そういったご用なら、竪琴を取りに部屋へ寄りますので、セルクシイルに代わりを頼んでおきますよ。これまでの狩りの記録は、そちらの棚に収めていますので、よろしければご覧になってお待ちください」

「悪いな、助かる」

「いいえ、礼ならばシイルに。首のご用命が終わり次第に、私も書庫へと戻りますので」



*****



「セルクシイル様は、司書の代わりもなさるのですね。長嗣の第一夫人というのは、やはり特別なのですね」


 キセラシオンを書庫に残して、立ち寄り地であるセルクシイルの室にアルセイアスと二人向かいながら、マリアセリアは羨みもあらわにそう言った。

 セルクシイルの室はまた、アルセイアスの室でもある。ゆえに腕が鈍らぬように、アルセイアスが一日一度は爪弾くことにしている竪琴は、通常そこに置かれている。アルセイアスはマリアセリアとパキラリウムの室には『通い』、セルクシイルの室には『帰る』のだ。その大きな違いが、マリアセリアの心を切なくする。


「第一夫人だから特別というよりも、セルクシイルが特別なのですよ。シイルに司書代行が務まるのは、兄が手取り足取り教えたからです。助手に置くには、竪琴狂いの弟よりも、愛しい吾妹の方がよろしかったようで。読み書きはともかくとして、書物の整理や保管の仕方については、私がシイルに教わったようなものですね」


「そう……、でしたか。あの、セイアス、私も、司書のお仕事を覚えたいと言っては駄目ですか?」

「セリアには、巫女の目のお役目がおありでしょう。それに私が行けない夜には、機織りも頑張っておいでとか」

「そう、なのですが……」


 マリアセリアの気持ちを、面倒事を避けたいアルセイアスには察してやるのが億劫だった。とはいえまた、拗ねさせてしまうのも不味いと思うので、許容できる案を付け足してみる。


「まあ、共寝の時間を削ってでも、セリアが学びたいというならば話は別ですが」

「それは嫌です!」


 思いがけずきっぱりとした口調で、マリアセリアはアルセイアスの提案をはねのけた。それは三日ごとの逢瀬の夜には、寸分惜しんで営みたいと宣言されたのも同然で、アルセイアスの方がたじろいでしまう。


「吾兄」

「はい」

「私の室にいらっしゃるのは、昨夜ではなく、今夜ですよね」

「え? ああ――、はい」


 書庫でしていたキセラシオンとの会話を、果たしてどこから聞かれていたものかとアルセイアスはぎくりとしたが、マリアセリアの意図はまるで違ったらしい。


「お待ちしております、今夜」

 そう言ってマリアセリアは、アルセイアスの衣服をきゅっと掴んだ。


 あの背徳的な夜を越して以来、マリアセリアはどうしたものか積極的になった。

 激しく求められ、攻め抜かれるのも、悪くなかったと受け止めてくれたのならば男としては嬉しいが、どうもそういうことではないような気がする。何が彼女を駆り立てているのか、アルセイアスにはわからないが。

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