犬一匹の値段
「なぁ、これをどう思う? 清志郎」
「どう思うって……お望み通り、返事がきたんだろ」
屋台で俺たちは朝飯のラーメンを食っていた。卵麺にあっさりしたスープ、具はチャーシューとワンタンと空芯菜にした。昼と夜はインスタントなので、朝は外食することに決めたのだ。
屋台の簡易テーブルいっぱいに外区日報を広げたコギトは紙面と睨めっこしていた。
「それはそうなんだが、本物のパラディーソからの返事だと思うか? ワナの可能性も捨てきれない」
「さぁな。本物かどうかは知らんが、これに頼るしかねぇんじゃねーの。少なくとも、また古めかしい単語が書いてあるのは確かだな」
「明日の朝四時に旧町田駅前の電話ボックスだってさ。お前が言う通り、今は、これ以外にオークションの手掛かりがない。公衆電話宛てに着信があるのか、誰か来るのかにもよるが、準備はしないとな」
早速、俺たちは作戦準備に取り掛かった。
……まぁ、これが今出来る精一杯というところか。その日は、夜の仕事も早々に切り上げ、明日の朝に備えた。
「早朝の旧町田駅前は人気がないとはいえ、電話ボックスをわざわざ指定してきたんだ、公衆電話宛てに着信がある可能性が高いとオレは思う」
「なんにせよ、散々練習した通りに受け答えする努力をするぜ。こう一度にやることが多いとよー、頭がグルグルしちまうんだよなぁ……」
「何、弱気になってんだ。お前とオレなら大丈夫だ。このオレがお前を信じるんだから、お前もお前を信じろ」
そう言われて悪ぃ気はしなかった。でも、俺には交渉に失敗した過去がある。敬助からコギトを買ったときだ。あの失態の結果、今この状況があるのだ。それでよかったのだと思ってねぇワケじゃねぇが、またやらかしたらどうしよう……とかなんとか俺が悩んでる間に、スヤスヤ寝息を立ててコギトは寝てしまっていた。さすが健康優良児を自称するだけはある。こういうとこ、羨ましいぜ。
八月の朝四時は真っ青な空に日が昇り始めていた。念のため、俺たちは一時間前から現地に到着済みだった。電話ボックスの前には俺が、およそ三百メートル離れた場所にコギトが待機していた。
俺はバカである。パラディーソ……いや、まだ本物とは限らねぇが、便宜上ここではパラディーソとする。そのパラディーソ相手に冷静に交渉可能な人材じゃねぇのは明らかだ。
そこで俺たちは架空のボスを作り上げることにした。あくまで俺は代理の下っ端だ。エラい人間ってのは陰に隠れて滅多なことじゃ表に出ねぇモンなのだ。そのボスの中身ってのはコギトである。
交渉中、インカムで俺はボスにいちいちお伺いを立てる作戦だ。
インカムは二つ購入した。旧式の遺物だが、まだスラムではよく使われている。このインカムには内部に音声処理チップが埋め込まれており、ボイスチェンジ機能があったのだった。どっかの輩が違法改造したんじゃねーかな。
携帯電話ではなくインカムなのは、すぐ両手が使える状態にしておきたかったからだ。
仮に直接ボスの声を聞かせろと言われてもインカムのボイスチェンジ機能のお陰でどうにかなるだろう。実際、俺くらいの歳だとナメられるだろうから、架空のボスの存在は都合がよかった。
コギトがすぐ傍にいると都合が悪かった。危険すぎる。何かあったときのためにナイフをもう一本買っておいた。一応コギトの護身用だ。何しろ、インカムで会話可能な距離にいるのに、俺の護衛なしだからな。
四時ピッタリになると、案の定、電話ボックスから着信音が鳴り響いた。早朝の静けさの中に異様な雰囲気が漂った。……落ち着け。緊張しながら、俺は受話器を取った。
「……ぱらいそか?」
『いかにも。そちらは地獄かね?』
電話の主は落ち着いた声色の男だった。
「そうだ。と言っても、俺は使いの者だ。こっちの質問は俺を通してボスが聞く。お前の質問も俺を通してボスが答える。いいな?」
『……承知した』
(電話がきた。ぱらいそだと名乗ってる)
──本物のパラディーソか確認しろ。
「ぱらいそってのは娼館のパラディーソか?」
『そうとも。私はパラディーソのオーナー、江守という者だ。貴殿の名は?』
意外にもあっさり認められた事実に驚いた。まだコイツが適当抜かしてる可能性もあるけど……。
(パラディーソの江守ってヤツだって言ってる。あと名前を聞かれた)
──適当に……お前の元ボスの名前を借りろ。
確かに、それなら俺でも間違えにくいな。ここにきてボスの世話になるとは……。
「……正宗って者だ」
『ほう……まぁ、貴殿のような外区の人間に名前なんか聞いたところで意味などなかったかもしれんな。本題に入ろう、エチカは今どこにいる?』
どういうことだ? 確かに、俺たちが打った広告の文言には『真なる叡智の果実は我が手中にあり』とあるが、これはあくまででっち上げだ。本物のエチカはパラディーソにいるはずじゃねぇのか?
(……エチカは今どこにいるかって)
──オレをオークションに参加させるなら教えてやる。
(ええ⁉)
──いいから言えよ。
ハッタリなのは俺にもわかる。でも、きっと動揺したら負けだ。
「ボスをオークションに参加させるなら教えてやる」
『……なるほど、承知した。貴殿のボスと直接話すことは可能か?』
承知されてものすごくホッとした。もしかして、この調子ならイケるんじゃねーの?
(承知した、だとさ。あと直接ボスと話したいってよ)
このとき受話器の先の男とコギトからの指示に夢中で、背後に忍び寄る何者かの存在に俺は気付いていなかった。
「……そのてめぇのボスってよぉ。ひょっとして、こんな顔かい?」
ヤバい。このダミ声は……俺の元ボス、エイト・プリンセスのオーナー、正宗その人のものだった。若い頃、ボスは金を工面するために左目と腎臓一つを売った過去があった。通称『隻眼の正宗』──髭面で長めの後ろ髪を結った眼帯姿の中年男。その顔を見間違えるはずがねぇ。殺られる前に、殺る。
振り返ると同時に身体が反射的に動いていた。インカムが耳を離れ、地面に落下する。すでに右手には、受話器ではなく、俺の手によく馴染んだナイフがあった。狙うはボスの死角である左側だ。俺とボスの体格差はほぼねぇに等しいが、ヤツが隻眼であることは大きなハンデとなる。
左腿を刺す──はずだった。すんでのところでボスはひらりと俺の攻撃を避けた。クソ、ミスった! このまま反撃されても文句は言えねぇ。俺としては万全を期して殺るための一手だった。まずボスの動きを鈍らせ、右目の視覚も奪い、首の頸動脈を切る。丁寧な殺しをするつもりだった。それなのに──。
そんな焦燥とは裏腹に、本能で俺の身体は次の一手を実行しようとしていた。俺は脳の動きより身体の動きの方が速ぇのだ。
ナイフを握った右手がそのまま空に突っ込みそうになるのをすぐさま軌道修正すると同時に、左手を腰に伸ばして結んでいたレインコートを解き、勢いよくボスの目の前に翻した。古典的な目くらましである。空振った俺の体勢をすぐさま立て直す必要があったからだ。踏み込んだ右足を軸にして、上半身を左側に方向転換する。強引に身体を捻ったから、筋肉が軋んだ。
でも、布切れ一枚なんかにボスは怯まなかった。回避するどころか、そのまま布越しに棒状のモノが俺の顔面へ突っ込んできそうになる。咄嗟にナイフで防ぐと、一瞬だがバチッと火花が散った。そして、重みのある衝撃が手首に伝わってくる。
これは、もしかして。打擲棒か⁉ 俺たち部下に仕置きする際、ボスは特注の電気警棒を好んで使っていた。その電気警棒のことをボスは『打擲棒』と呼んでいる。何回か俺も喰らったことがあるが、殴られる痛み以上に電気ショックによって身体の力が抜けちまうのがヤバい。リーチは六十センチくらいか。伸縮式だから、きっと服の中に仕込んであったんだ。
ナイフと電子警棒によって黒いレインコートが引き裂かれる。出来た隙間からボスの顔が見えた。クソみてぇな女衒の顔だ。……この顔。俺は、この顔がずっと怖かった。
電気警棒ごとボスが俺に接近してくる。左足でボスの足元をすくう──が、これも避けられた。これで俺とボスの間に距離が出来てしまった。武器のリーチは圧倒的に俺の方が短い。接近戦に持ち込まねぇと不利だ。しかし、俺は息が上がってるってのに、ボスは汗一つかいちゃいやしねぇ。クソ、この調子じゃボスより先に俺の体力が無くなっちまう。
「……へぇ。なかなかやるじゃねぇか、セイ。おめぇを用心棒にしなかったのが今でも悔やまれるぜ」
ボスは俺のことを『セイ』と呼ぶ。
「そりゃドーモ。しかしよー、たかが俺一人にわざわざアンタが直々にお出ましとは驚いたぜ」
俺たちは一定の間隔を保ちながら、睨み合っていた。平静を装いながら、無駄話で時間を稼ぐ。考えろ。考えろ、考えるんだ。今、俺に出来ること──コギトを連れて逃げる? いや、俺だけならともかくコギトと一緒じゃ逃げ切れるとは思えねぇ。それじゃあ、一か八か。
「セイ、俺はなぁ、おめぇを倅のように思ってたんだぜ? 時にはカワイイ倅にも教育してやるのが親父の務めってモンだろ?」
ウソつけ。どこに教育と称して息子を殺しに来る親父がいんだよ。
「そうかよ! 俺ぁアンタを親父だと思ったことは一度もねぇけどな!」
「……困った倅だ。誰がお前に運転を教えてやった? 仕事をやった? 食わせてやった? 全部この俺だろうが。恩を仇で返されるとはこのことだな」
いよいよボスの声色が冷たさを増した──来る。俺はタイミングを見計らって、どうにか地面に落ちているインカムを拾った。そして、思いっきり「逃げろ!」と叫んだ。もう通信が繋がってるかわからねぇ。それでも、コギトに伝えねぇと。
電気警棒が俺の背中に直撃する。身体が地面に叩きつけられた。チクショウ、痛ぇ! が、一瞬だったから、まだ電流には耐えられる。俺はナイフをボス目掛けてブン投げた。やはりボスは避けたが、隙が生まれた──今だ。そのまま勢いに任せて俺は起き上がり、コギトのいる位置から全力で逆走した。コギトが逃げれるように、可能な限り距離を稼ぎたい。
運が良けりゃ、コギトと再会することもあるだろう。命あっての物種……お互いの幸運を信じよう。
森野方面にがむしゃらに走っていると、背後で小さく機械音が聞こえた。すると突然、俺の足元がぐにゃぐにゃになった。地面がおかしい⁉ ダメだ、倒れる! 受け身の体勢すら取れないまま、俺は転倒した。一体、何が起きた⁉ ……それどころか、全身動かせねぇ。顔面から転んだから、周囲の様子がさっぱりわからねぇ。一分くらいそのままだった。身体の感覚はハッキリあるのに、視界は真っ暗で「死」の一文字が頭の中に浮かんできた。何者かによって、俺の身体が仰向けにひっくり返される。
「ボス……!」
「おー、その様子じゃ普通に喋れそうだな。おめぇにはいろいろ喋ってもらわにゃならん」
ホントだ。身体が動かせないのに喋れる。
「な……なんっ……だよ、これ」
「驚いたか? まぁ、ホントはおめぇに使う予定じゃなかったんだがなぁ。まだ操作に慣れてねぇモンで、ちっと心配だったけど上手くいったな」
ボスの手の中に小型ドローンがあった。……わかった、防犯用のアレか。
「おい……HECSってドローン型もあんのかよ」
不気味な笑みを浮かべたボスの左目の眼帯に、太陽の光がキラリと反射した。
「ああ、そうだ。平衡感覚制御装置(Haptic Equilibrium Control System)ってヤツだよ。便利だよなぁ、最近の機械は」
──機械。まさか。
「アンタの眼帯、義眼だったんだな。サイボーグ嫌いのクセに」
「セイにしては察しがいいねぇ。俺が嫌いなのは全身改造してるような連中さ。目が悪ぃヤツがメガネを使ったとこで誰も文句言わねぇだろ? それと同じだ」
それじゃ、ボスは眼帯型義眼で俺の動きを予測出来たんだ。だから俺の逃げる方向にドローン型HECSを誘導することも簡単だったのだろう。
「ところでおめぇよぉ、しばらく動けねぇってのに減らず口叩く余裕はあるみてぇだな」
腹に電気警棒を押し当てられた。直接、内臓に電流のビリッとした鋭い痛みが走る。
「あ、いけね。あんまやると喋れなくなるわなぁ。セイ、喋れるか? おい、おーい」
ボスが俺の頬っぺたをペチペチ雑に叩いてきた。
「……っふ……ぅ……ふざけ……やが、って……」
「元気そうでよかったよ。おめぇ敬助のとこで大暴れしたみてぇじゃねぇか。アイツ歯が無くなっちまったから流動食しか食えなくなったらしいぜ。気の毒になぁ」
──あの変態クソジジイ生きてやがったのか。まぁ、殺したつもりもねぇけど。
「……おめぇもよぉ、アイツの気分を味わうべきだよ。苦労ってのは若ぇうちにしとくモンだぜ」
電気警棒の先端がゆっくり開いて、無数の細い器具が現れる──『打擲棒』と言いつつ、この特注品はブン殴るためだけのモノじゃねぇ。感電させたうえで、爪を剥ぎ歯を抜くための拷問器具。やらかしたヤツがボスに制裁と称して拷問されたという話はよく聞いていた。そして、殺されたヤツがいることも知ってる──こんなとこで終わっちまうのか? 俺の人生は。
「前歯だと見栄えが悪ぃからな。奥歯にしてやろう」
器具が俺の口の奥まで無理矢理こじ開ける。
「おい、暴れるな。舌まで抜いちまうぞ」
丁寧に器具は俺の舌まで押さえた。冷たい器具が歯茎に触れると恐怖が俺を襲ってきた。奥歯と歯肉の間に器具が押し入ってくる。大丈夫、覚悟してたより痛くねぇ……。
と思ったら、急にグッと器具は力を強め、歯肉が圧迫されて激痛が走った。その間、俺はなんか叫んでいたと思うが、どんな感じだったかあんま覚えてねぇ。歯の根っこの方に器具が到達すると、機械音とともに、顎の骨まで響くようなミシミシとした嫌な振動が伝わってくる。そして、神経が直接攻撃されるキンとした鋭い痛みが強まった。
だいぶグラついてる歯をボスはなかなか抜かなかった。わざと歯と歯肉の繋がってる部分をグリグリいじっているようだった。
──早く、終わってくれ。頼むよ……などと祈ることしか出来なかったが、ついに、器具が俺の歯を抜き取った。歯肉が引きちぎられる感覚と生温かい鉄の味がした。
「おー、なかなかキレーな歯だなぁ。じゃあ、反対側も一本抜こうか。全部抜き終わったら加工して首飾りにでもしてやるよ」
これが、もう一本。それどころか……。
「やめろ! これ以上、彼を傷付けるな!」
──コギトの声だ。……え? コギトォ⁉ なんでここにいんだよ⁉
頭上の歩道橋にマチダTシャツとマチダ短パン姿のコギトがいた。そう、日中コギトはマチダのセットアップを着用しているのだった。俺はボスに拷問されたうえ殺されそうだってのに、締まらねぇ。
「……ほー、これが、ねぇ。ふざけたカッコしてやがるけど、確かに別嬪さんだなぁ」
バカ野郎! オメーが来たら意味ねぇだろ! と言いたかったが、まだ上手く声が出なかった。ただ、血と唾液が混じったモノが口から垂れただけだった。
「あなたは彼を殺すつもりじゃない……オレをおびき出すための囮だからな。あなたは言ったんだ、前歯だと見栄えが悪いって。つまり、あなたにはまだ彼を生かしておくなんらかの理由があるんだ」
え? そうなの? じゃあ、どうして……。
「そこまでわかってて、なんで出てきた? 嬢ちゃん! お前さん、敬助のとこでメスにされたって聞いたぜ」
「……安い挑発だな。もう少しマシなことが言えんのか? オレはあなたと取り引きしにここへ来た」
「取引ぃ? 嬢ちゃん、お前さんが俺と何を取り引きするってんだい?」
「嬢ちゃんじゃない、オレの名は有栖川考義人──有栖川叡智果の弟。どうせ、あなたが欲しいのはオレのこの美貌だろ? あなたに協力してもいい。ただし、今後、彼の命を奪ったり彼を傷付けたりするのはナシだ」
「いやぁ、そう言われてもな。これは俺とコイツの問題だからなぁ……約束出来ねぇ……って、言ったら?」
「それは残念だ……あなたがこの条件に従えないと言うのなら」
短パンのポケットからコギトは護身用のナイフを取り出した。そして、自分の顔にナイフを添えた。
「……オレは、彼のために……この美貌を、捨て去ることが出来る」
「バッ……カ野郎ォ! コギトォ! テメー、ふざけんじゃねぇ!」
やっと出た声で俺はコギトを怒鳴りつけた。なんでお前が俺のためにそんなことをする必要がある? それに、お前の顔は俺たちが持ってる最後の切り札だ。それが無くなったら、俺たちは……。
「そうだぞ、嬢ちゃん、早まるんじゃねぇ。その顔はお前さんの財産なんだろ?」
「その通り。でも、だからなんだ? あと、今の発言で確信したよ。HECSをあなたは一台しか持ってないんだ。これって一度使うと再充填にかなり時間を要するんだったよな?」
そうか、手っ取り早くコギトを止めたいならHECSを使っちまえばいいだけの話だ。でもボスはそれをしなかった……というか出来なかったんだ。
「……ああ、そうだ。ホントはお前さんに使いたかったんだよ。しかし、脅しだなんて悪ぃ嬢ちゃんだなぁ。そう、確かに、お前さんの顔に傷が付いたら困る! アイツに怒られちまうからな」
「だったら、オレの犬を返してくれ。彼はオレのモノだ」
「犬ぅ? なんの話だ? ……ああ、なるほどねぇ。コイツがお前さんの犬ってワケ、か?」
「そうだ。元々あなたの犬だったかもしれんが、今はオレだけのモノだ」
「……なぁ。思ったんだがよぉ、たかが犬コロ一匹のために、お前さんはその顔を捨てられるのか? コイツは嬢ちゃんがその覚悟をするに足りえる人間なのかい?」
俺が思うに、それは多分、違う。ずっと目を背けてきたけど、俺は、ボスみてぇな人間なんだ。力でしか生きてこれなかったんだ。女衒は嫌いだ。でも、女衒に片足を突っ込みながら俺は生きてきたんだ。ホントなら俺はコギトが憎むべき人間なんだ。
「コギト……俺は……」
「おい、清志郎! オレの犬だって、あのときお前は言ったじゃないか。それなら、これから一生オレの傍に仕える義務がお前にはある。ただ、それだけのことさ」
……イッショー⁉ 一生って、一生か⁉ 俺はコギトの犬になることを誓ったが、まさかの一生⁉ 二つ返事でとんでもねぇ約束しちまった……でも、それも悪くねぇ。これからずっと、コギトのためだけに俺は生きて死ぬ。だからといって、今までの俺の生き様の全てを塗り替えられるとは思わねぇ。それでも。
「なぁ、試してみるか? このオレの覚悟を。ただ、そこであなたは見ていればいい」
コギトはナイフを自分の顎下に突き立てた。
「なっ……! おい! やめろ!」
急に焦ってボスが叫んだ。……ああ、ボスは視たんだ。義眼の予測で何かコギトがしでかすのを。今ので、コギトの皮膚が傷付いたのか、赤い血が流れていた。
「わかった、わかった! 俺の負けだよ、嬢ちゃん。降参だ。しかし傷付けねぇで引っ捕らえろとはねぇ……アイツも無茶言いやがる」
ボスは、電子警棒を地面に落とすと、両手を上げた。そして、倒れたままの俺からやや遠ざかった。
「それでいい。そっちにオレが行くまで、妙なことはするなよ。清志郎、立てるか?」
確かに、HECSの効果は切れてきていた。手足は動かせるものの、酷ぇ吐き気で、とてもじゃねぇが一人では立てそうもなかった。
「まぁ……介助があれば、立てる、かも……」
「……ダメそうだな。待ってろ、今行く」
こっちに来る途中、ずっとコギトは自分の顔にナイフを向けていたので、俺と……多分ボスも内心ヒヤヒヤしていた。特に階段を下りるときがヤバかった。うっかり転んだりでもしたら……とか想像するだけで怖ぇ。
「よぉ、待たせたな。大丈夫か?」
ブッ倒れている俺を見下ろしながら、コギトは言った。いや、大丈夫なワケねーだろ。でも、よかった。またお前に会えて。
「……全く、人使いが荒いご主人様だぜ」
「お前はヒトじゃない。オレの犬、だろ?」
「うるせぇよ」
「改めて自己紹介させてもらうよ。オレは有栖川考義人。あなたの名前を伺いたい」
「……正宗、隻眼の正宗だ。エイトの正宗って呼ぶヤツもいるがな」
俺たち外区民には苗字がねぇから、お互いを通称名で呼び合っている。『エイト』というのは、ボスがオーナーである『エイト・プリンセス』の略称だ。
「では、正宗と呼ばせてもらおう。正宗、話によっては、あなたに協力しよう。あなたはオレを利用し、オレもあなたを利用する。双方にメリットがあると思うが? ……どうだ?」
「うーん……話、ねぇ。事情を話すと長くなるぜ。それに、アイツとも相談しねぇといけねぇしな。とりあえず、二人ともパラディーソに来てくんねぇか?」
「パラディーソに……なるほど。清志郎の怪我の手当てもしてやりたいからな、いいだろう。ただし、あなたが不審な行動をしたら……」
「ああ、わかってるさ」
俺はコギトとボスに介助されながら、ボスの車の後部座席に乗せられた。ドームから違法で取り寄せた、年代物の高級国産車。俺も運転したことがある。これでボスから運転を習ったんだっけ。
俺たちの車はボスの部下が運ぶらしかった。勘太のヤツあたりだろうか。恐らく、車はおろか、今まで稼いだ金も全て没収されるだろう。リュウジ一号、最後まで、俺はお前に愛着が持てなかったぜ。
パラディーソまでは五分もかからねぇ道のりだったが、HECSの後遺症で、猛烈な車酔いに俺は襲われていた。うーうー唸りながら、座席で横たわることしか出来ねぇ。気持ち悪ぃのに吐けねぇ、というのは一番辛ぇ。いっそのこと、この場にゲロをブチまけてしまいたかった。
パラディーソに到着すると、車はエントランス付近から地下駐車場へ移動した。この前はゲートから外観を見るだけだったけど、こんな高級ホテルみてぇになってんのか。
車から降りるときも、やっぱりコギトとボスの介助が必要だった。俺たちの到着と同時に、エレベーターから三人の男が現れた。真ん中の男は背が高ぇ……というか細長ぇうえに、妙に手足がヒョロ長くて妖怪みてぇだった。その男は深々とお辞儀をすると、こう言った。
「ようこそ、有栖川コギト。我が城パラディーソへ」
──この声。コイツが電話の主、あの江守って野郎か。これが俺たちとパラディーソのオーナー、江守との出会いだった。(続)




