13・戻り道
ライノドンと言う馬よりも二回りほど大きな、恐竜のような生物が大人しくハーネスを付けて荷馬車を引く姿は、何ともファンタジーだった。いや、ファンタジーなんですけども。
早朝、大きな荷馬車に樽で10個ほど用意した聖水を詰め込み、必要な荷物を色々と持つと、荷台にそのまま私とドク、そしてグエンディさんとファランスさんの4人で乗り込み、騎獣の扱いに慣れているファランスさんが荷馬車を操って町を出た。
残りの皆さんはドクの診療所で待機しているとのこと。
「ライノドンの足なら馬の半分の時間で到着できるよ」
走り出してすぐ、2匹のライノドンが駆け出すと同時にファランスさんがそう言った。
確かに、ファランスさんが言うように、ライノドンたちの足は速く、町の出入り口はあっという間に見えなくなった。が、道が舗装されてるわけでもないので、揺れが酷く、酔うことはないまでも、ガタガタと体が揺れて落ち着かないのはもうしょうがないなと諦めるしかないわけですが。
「リオが商隊に会ったって言ってた場所が、街道沿いの雫の森の中ほどらしいから、問題は到着した後だな」
地図を広げなグエンディさんはそう言って、地図に書き記されている丸の位置をトントンと指で軽くたたいた。
「確かにこの荷馬車じゃデカすぎて雫の森に入れんな」
ドクも地図を見ながらそう言って頷く。
「そう言えば思い出したけど。瘴気の森だっけ? あそこは問題なさそうだけど、腐食の森も荷馬車が通るのは難しそう」
1週間も腐食の森の中を歩いたことを思い出しながら、私も地図に目を向けた。こうして改めて地図で腐食の森周辺を俯瞰してみると、あの森の広さにぞっとした。
グライブの言う通り、大きな国が丸々ひとつあの森に飲み込まれたというのは、私が想像するよりもはるかに恐ろしいことだと、改めて呪いの深さを痛感して、地図に書き込まれている『Corrosion forest』の文字に、私は眉根を寄せた。
「そこのエルフが文句を言わないってんなら、邪魔な木をぶった切って通ることもできるんだがなぁ?」
なんて、グエンディさんは荷馬車を操るファランスさんに視線を向けると。
「あははっ。森のエルフに向かってなんてこと言うんだい? 木を切るくらいなら、喜んで魔法で荷馬車ごと持ち上げてあげるよ」
振り返ることはないまでも、ファランスさんは明るくそう答えるのだが。
「お前、上空から見えんのかよ」
と、グエンディさんは、心配そうな顔を見せる。そう言えば、ファランスさんって、目が悪いんだっけ。
「大丈夫さ。少なくとも、ドクとリオは私たちより目がいいはずだし」
なんて、おかしそうに笑うファランスさんに、ドクとグエンディさんは若干、呆れた視線を向けていた。
「まあ、実際の話し。上空から探すってのは悪い考えじゃないだろうな。リオが最後に別れた場所を大体でも覚えていてくれたのはありがたいことだ。グライブと最後に分かれた周辺まで荷馬車を持って行って、広い場所に荷馬車を置き、後は降りて自分の足で探し回るのが確実だろう」
ドクがどう話をまとめると、ファランスさんとグエンディさんは頷いて見せた。もちろん、私もドクの言葉に賛成だ。
それに、グライブが倒したあのドラゴン擬きの死骸も、骨くらいはまだ残っているかもしれない。
私は流れる景色に目を向けた。町を出る前はまだ日が差していなくて薄暗かったが、今はもうすっかり明るくなっている。
初めてこの世界に来て、自分で来た道を今は戻っている。グライブは喜ばないかもしれない。
それでも、私はあなたの元に戻りた。奇跡なんてものを、信じたいと思っているのだ。
だって、あのまま『さよなら』なんて、あまりにも悲しすぎるから。
私はもうとっくに、あなたに依存してしまっているのかもしれない。
それから数日、休憩は夜に寝るときだけにとどめ、携帯食料で空腹をつなぎ、ついには明日、森の上空を通るところまできていた。
さすがに明日は色々と体力も使うだろうと、その日の夕方に私たちはキャンプをすることになって、どことなく見覚えのある森の近くで私は火を熾し、グエンディさんがテントを設営してくれた。そしてファランスさんが森の中で食料を調達してきて、ドクが料理をし、私たちは日が沈みすっかり空が暗くなるころには、みんなで軽い夕食を食べることとなった。
なんだか、本当にRPGゲームの中にでもいるような気分になる。4人パーティーで、冒険の旅でもしているみたいだ。
しかも、職業的にはバランスがいいかも……私以外は。
そんなとりとめのないことを考えながら、私は野菜の入ったスープを口にする。野菜の甘みがとてもおいしく感じる。
「グライブが元気になったら、みんなは何をしたい?」
カリカリと、固形の携帯食料をパン代わりに食べていたファランスさんが、そう言ってみんなの顔をくるりと見まわした。
ガブリッと、肉にかみついていたグエンディさんは、ファランスさんの言葉に一瞬、動きを止めると噛みついていた肉を噛み千切ってゴクリと飲み込み。
「決まってる。アタシはアイツに子供たちを見せてやんなきゃ。アイツも楽しみにしてたんだからさ」
そう言って、ニカッと笑う。
そんなグエンディさんの言葉に頷きながら、今度はドクが。
「3人もいるって知ったら驚くだろうな」
と笑い。
「俺はアイツと酒を飲む約束がある。うまい酒を用意してやらないとな」
そう言って、熱いお茶の入ったカップの中身をうっすらと笑みを浮かべて見つめていた。
「そう言うお前は、どうなんだ?」
カップから顔を上げてドクがそう聞くと、ファランスさんはふふっと綺麗に笑い。
「狼のくせに『初心』なアイツを大いにからかってあげるつもりだよ」
なんて、なぜかファランスさんと私は目が合ってしまった。なんでこっちを見たんだろうか?
「で? リオはどうなのさ」
そう聞いてきたのはグエンディさんで、私はファランスさんからグエンディさんへと向けて、少し考える。
何がしたいかなんて、あんまり考えなかったけど。
グライブが元気になったら、何がしたいだろう。そう考えたところで、私の頭には何も浮かばない。だって、約束もない。彼のことを何も知らない。好きなことも、嫌いなことも、私のこともほとんど彼に教えてない。そんな私と彼は、何ができるんだろう。
「何でもいいんだよ?」
ファランスさんもそう言って優しげに微笑みながら、首を横に倒して見せて、私はふと頭に浮かんだことを口にしてみる。
「もっと、話したい、かな」
たいしたことじゃないかもしれないけど。もっと彼の言葉を、声を聞いてみたい。そんな私の言葉に、ファランスさんは。
「いいね」
と言って笑う。
「うまいもん食いながらとかな」
ファランスさんの言葉に続くようにグエンディさんがそう言うと、ドクも笑って頷き。
「せっかく異世界からきてるなら、町の観光もいいんじゃないか?」
そう私に提案してくれる。
「うん」
グライブが元気なったら、彼と一緒に町を歩くのもいい。
「一緒にご飯を食べたり、散歩したり、出来たらいいなぁ」
私の隣で、あの低く穏やかな声を聞きながら、彼の温かい手を握って、一緒に……。なんて考えたら、途端に恥ずかしくなった。
(わ、私、グライブとデートしたいのかしら?)
そんな私の態度なのか、それとも私の言葉になのかわからないけど。
「グライブといい勝負な初心さだねぇ」
なんて、楽しそうに笑うファランスさんを。
「むしろエルフのくせに腹黒いお前に問題があるだけじゃねぇのか?」
呆れた顔で見つめるドクと。
「ある意味、黒い(ダーク)エルフだよな、こいつ」
グエンディさんが『はー』と息を吐き出した。
「いやいや、長生きしているエルフほど腹黒い生き物はいないって」
と、ファランスさんはにこにこと明るくそう返事をして見せた。
翌朝、ファランスさんの魔法で上空から目的地を目指す。魔法って本当に不思議だななんて思いながら、私は荷台の後ろ側から下を見つめて、1人で森の中を歩いていたことを思い出し、少しだけ胸が小さな痛みを棘のように突き刺したきがした。
休憩をはさみつつも荷馬車は上空を滑るように進む。それでも数日は掛かるのだけど、最初にこの森を通った時よりも戻るほうがだいぶ早く移動できている。これなら、私が町に行きついた時よりもずっと早く戻れそうだ。
そして――。
「腐食の森が見えてきたよ」
ファランスさんのその言葉が聞こえると、荷馬車は速度を落とした。
上空からでも見通しのいい瘴気の森の上空で、私たちは前に私が熾したであろう焚火の後を探し、それをすぐに見つけることができた。
私の記憶だよりではあったものの、大きなずれもなく探していた焚火の後はすぐに見つかり、私たちはそこにいったん降り立ち、ファランスさんが私の薪の痕跡から私の足跡を探し出し、私の進んできた大体の方向を探し当てた。ハンターと言う職業がすごいのか、それとも森のエルフがすごいのか。
焚火の痕跡から私は振り返るように腐食の森のある方へと顔を向けた。
多分、この焚火はグライブと離れた後の、最初の焚火だろう。と言うことは、ここから彼と最後に分かれたところまでは、半日も掛からないはずだ。
見渡す限り、同じような真っ黒い木々が並び、方向なんて分かりはしない。私一人なら、きっと迷っていたに違いないだろう。でも、今はファランスさんたちがいてくれる。だから、迷わず彼に近付けるはずだと、私は足を進めた。
そして、瘴気の森と腐食の森の丁度、境目に来たところで、いったん荷馬車を置き、私たちは手分けをしてドラゴン擬きの死骸を探した。あれだけ大きな生物なら、骨であっても目立つと言う理由からだが、少なくとも、あのドラゴン擬きの死骸のそばに、彼がいるという確信がある。
もう、体を動かすだけの力だって残ってはいないかったはずだから。
グライブからもらったタリスマンに、そのままでは不便だろうとアーケイさんが革紐を付けくれて、今はそれを首からぶら下げている。
空を見上げれば、日はまだ中央から少し傾いたばかりで、夕方色に染まるにはまだ時間がかかるだろうことが分かると、私はドラゴン擬きの死骸を探すために集中した。
どことなく見覚えのある景色が目の前に広がっていて、私は何度も後ろを振り返りながら1人で歩いた道なき道を思い出そうとしていた。思い出すといっても、覚えているのは形の違いなどほとんど分からない木ばかりではあるのだけど。
初めて見たときと同じ、この腐食の森はむせ返るほどの、すえた臭いで満ちている。
うごめく木々と、生々しい腐敗した肉々しい何かの塊や、恐ろしく溶けた体を引きずる生物やバケモノたち。この森には、腐り果てた『死』の臭いが満ちていて、心までもを腐らせようとしてくるような錯覚がする。
たった一人でこんなところに放り出されたら、私は今ここに立っていることもなかったのかもしれない。そう考えただけで、グライブの存在の大きさが私の中に強く残り、早く彼をここから連れ出さなくてはと、焦りさえ感じた。
本当に『神様が囁く』のなら、彼のもとに今すぐ導いてほしいくらいだ。そう思った時。
『――――』
誰かの声が聞こえた気がした。
「なに?」
私は足を止めて振り返る。もちろん後には誰もいない。
ドクたちは大声を出せは声の届くぎりぎりの範囲で他の場所を探していて、私の近くには誰もいないはずだ。
だけど、確かに何かを聞いた気がする。
「こっち?」
気のせいかもしれない。もしかすればこの森にすむ怪物の声だったかも。それでも、私は『どこか』に向けて足を進めていた。そして――。
「おーい! こっちにだ!」
それはファランスさんの声で、私はその声のほうへと足を速めた。
ファランスさんの声が聞こえたのはもちろん私だけじゃなく、グエンディさんとドクにも聞こえていたらしく、声のほうへと集まってきていて、最後に到着したのが私だった。
3人がこちらに背を向けて大きな何かを見上げている。
私もゆっくりと足を進めながら、大きな『それ』を見上げ、深く息を吐き出した。そんな私の存在に気が付いたらしい3人がこちらに振り替える。
「見事なフェイクドラゴンだね。リオ、これだと思うけど、どうだい?」
ファランスさんにそう聞かれて、私はドラゴンの頭のほうへと回り込む。体は半分がもう白骨化していて、明らかに死んでいるのはわかったけど、本当にこれが、私が見たあのゾンビドラゴンなのかと言う確信が持てなかった。
そして頭があったらしいところを見れば、そこにはあるはずの頭がなく、少し離れた体の横辺りに頭がい骨の潰れたドラゴンの頭が落ちていて。
「多分、間違いない、と思う」
最後に見たままの姿で死んでいるドラゴン擬きをじっと見つめた後、グライブが最後に居た場所に目をやる。
丁度、私が動けなくて座り込んでいた木のそばに……。
私はそこまで足を進めて、辺りを見回す。
そこに彼の姿はない。その代わり大量の血の混じった黄色い液体が、木の後ろの方へと続いていて、私は液体の後を追うようにして木の後ろ側に回ると、そこには少しだけ長めの草が生えていて、その草の隙間からみおぼえのある汚れた布を見つけ、私は足早に駆け寄る。
草に隠れるようにして横たわる何か、大きく膨らんだ布は微かに動いているように見えた。
「グライブっ!」
見間違いではない。まだ、息がある。
私は急いで彼に駆け寄り、彼に触れようとしたが。
「リオっ! 待てっ!」
そう言って、私の肩を後ろから掴んで止めたのはドクだった。
「何度も言ってるが、今のグライブは体がボロボロだ。どれだけの衝撃に耐えられるかもわからん」
もっと慎重にならなくてはいけないと、ドクは言いたいのだろう。
私は何度もドクの言葉に頷いて、大きく深呼吸をした。
彼に近付いてその横すぐに座り込むと、私は静かに彼をのぞき込む。
きっと、月を見上げていたのだろう。彼は仰向けで両目をつぶり、苦しそうに浅い呼吸を繰り返いしていて。
「グライブ……聞こえる?」
静かに彼に呼びかける。
「グライブ……」
何度も、彼の名前を優しく聞こえるように。
そして、何度目かの呼びかけに、彼は残っている方の目を薄く辛うじてこじ開けると、焦点の定まらない瞳で私を見つめ。
「迎えに、来て、くださったの、ですか……」
わが女神――そう言って、微かに左手を動かした。
そう言えば、夜の女神は私と同じ黒い髪と黒い瞳をしているんだったっけ? と、私は泣き出してしまいたい気分になった。
迎えに来ても、一緒にいってしまわないでほしい。迎えに来たのは、女神ではなく私なのだと、彼にすがりたくなる気持ちを耐えて、私は彼に笑顔を向けて首を横に振る。
すると、グライブは酷くゆっくりと瞬きをして、目を細めた。もしかすれば、笑ったのかもしれない。
「リオ? なぜ?」
戻ってきたのかと、言いたいのかもしれない。戻ってくるに決まってる。
あなたを1人で残して、平気なはずがない。
私は持ってきた革のカバンから光る水を取り出し、グライブに見えるように持ち上げた。
「私を、信じてくれる?」
本当はきちんと説明したい。色々と伝えたいこともたくさんある。だけど、私は『信じて』という以外、彼に今すぐいえる言葉がなかった。
この姿を見れば、時間なんて残されていないことくらいわかる。もう『次』なんてない。
私が持ってきたこの小瓶の中身が探していたものではなかった場合……次を探しに行く時間なんて、もうないということだ。
グライブは目を細めたまま、小さく『ああ』と頷いた。
彼の口が微かに開き、私は小瓶のふたを開け光る液体を彼の口の中に流し込んだ。
彼ののどが小さく動き、彼が『液体を飲み込んだ』ことが分かる。飲み込めた……と言うことは、これが少なくともただの光る水ではないことを教えてくれる。
だけど、飲み込んだまま動かなくなった彼に、私は不安と恐怖で固まって動けないでいた。
やっぱり、これは間違っていたのかもしれない。