11
ベッドに腰をかけ、テーブルの上の灯りを見つめる。物の少ない田舎の村ではこの小さな灯り一つでも貴重で、余程の理由がない限り使うことはない。夜は暗くなったら寝て、朝は夜明けと共に起きるのが基本だ。
そんな貴重な物を使ってまでこうして明るさを残しているのには理由がある。レディックから、起きている間は必ず灯りをつけるようにと言われているからだ。暗いと足元が見えづらくて危ないからというのがその理由だったが、こんな些細なことにも住む世界の違いを見せつけられる。
これまでの習慣もあり、いつもはナデッタを寝かしつける時に灯りを消して一緒に寝てしまうのだが、なぜか今夜は目が冴えて寝つけなかった。そして、小さな寝息が聞こえるほどの静けさの中で思い浮かべるのはレディックのことばかりだった。
----どうしよう。どうしてそこまで想ってくれるのよ。どうしてあんなに真っ直ぐなの!
チラと側で眠るナデッタに目を向ける。毎日愛しげに眺めていたこの寝顔に、今では自然とレディックの寝顔が重なる。違うのは、ふと目を覚ました時に肌に触れている髭の感触ぐらいだ。
はぁ、と重い溜息を零して膝に視線を落とした時、小さくカチリと音がして扉の方に振り向いた。少し開けた扉の隙間からレディックが静かに入ってくる。すぐに灯りがついていることに気が付き、ベッドから立ち上がるミラーナに小さな声で話しかけた。
「起きていたのか?」
「おかえりなさいませ。はい、なんだか寝付けなくて…。」
「そうか。」
レディックは静かに扉を閉め、マントを外しながらミラーナがいる方へ歩み寄った。ミラーナから差し出された手を見て足を止め、チラと目線を上げる。そのまま動こうとしないレディックに、ミラーナは首を傾げて口を開いた。
「どうかなさいましたか?」
「いや…これは、マントを渡してくれということか?」
「はい。いつもの場所に掛ければよろしいのですよね?それぐらい右手で十分ですから。」
「そうか、それじゃあ…頼む。」
「?」
----何がそんなに嬉しいのかしら。すぐそこに掛けるだけなのに。
マントを差し出すレディックが嬉しそうに微笑んでいる。ミラーナは右手で受け取り、左腕で支えてクローゼットへ掛けに行った。振り向けばレディックがベッドに座り、眠っているナデッタをじっと見つめている。ツンと頬に触れただけで満足したのか、すぐに立ち上がって武具を外し始めた。
「お疲れ様でした。騎士団長様ともなると毎日お忙しいのですね。」
「まぁな。でも俺が帰る場所には君とナデッタがいるんだと思うと、まったく苦にはならない。」
「レディック様…」
「そんな顔をするな。迫っているんじゃない、ただの本音だ。こうして君に『おかえり』と言ってもらえることがこれほど嬉しいことだとは思わなかっただけだよ。」
肌着姿になったレディックがミラーナを優しく抱き締める。いつの間にかこうして抱かれることにも慣れてしまった。耳元をかすめるレディックの吐息を聞き、胸元の肌着に染みついた汗の匂いを嗅いでいるうちに、ミラーナは無意識にレディックの腰に右手を回していた。
「明日」
「えッ!?」
耳元で囁く低い声にハッとして、慌てて右手を引っこめた。その手を掴まれ、元の腰位置に戻される。無駄な脂肪の無い引き締まった身体に触れているだけで目まいがしそうになった。
「明日、朝から騎士団の練習試合あるんだ。一対一で戦って勝ち進んでいくだけの単純なものなんだが、良かったらナデッタと一緒に見に来ないか?」
「練習試合ですか?レディック様も出られるのですか?」
「いや、俺は出ない。俺はサザールと一緒に部下たちの戦い方を見て、直すべきところ、伸ばすべきところを考えるんだ。」
「へぇ、そんなことまでなさるのですね。」
「で、来るか?」
「はい。でも私たちが行くとお邪魔になるのでは…どうなさいました?」
身体に回された腕に力が込められ、密着するレディックの身体が小刻みに震えている。ミラーナは確実に頭上で笑いを堪えている男に訝し気に声をかけた。
「すまない、絶対に断られると思ったから。」
「あ…!」
「ハハ、君が来てくれるなら俺も出れば良かった。」
「あの、でも、その…」
「大丈夫だ。君が来やすいように人目の少ない場所に席を用意しておく。場所はリオナに伝えておくから、準備ができたらいつでも来るといい。」
「分かりました。ありがとうございます。」
レディックは身体を少し離してミラーナを見つめた。疲れて帰ってきたとは思えないような満たされた顔を向けてくる。そろそろ離そうと引いた右手は再び掴まれ、元の腰位置に戻された。
----どうしよう…
どんなに頑張っても、どんなにはねつけようとしても、純粋な情熱を宿す青い瞳から目がそらせない。レディックは嬉しそうに細めた目をスッと閉じ、口角を上げた唇をゆっくりと近付けた。
*
翌朝、ミラーナは未だ呆然とする頭を抱えてソファに座り込んでいた。認めるわけにはいかない感情が、認めてしまいたい欲求と手を取り合って、ミラーナの固く閉じた心の扉に大木を打ち込んでくる。その度に過去の記憶が剣を振り回して追い払ってくれるのだが、今朝出勤する時のレディックの嬉しそうな表情がその振り回す剣をキィンと弾き飛ばしてしまった。
----どうしたらいいの…。
扉の前で立ち止まり、踵を返してミラーナのもとへ戻ったレディックは、ミラーナを強く抱き締めながら耳元で『行ってきます』と言った。その時の少し照れた笑顔がナデッタの心底嬉しい時の笑顔とまったく同じで、ミラーナの心臓を至近距離で射抜いていった。
「まぁ!ナデッタ様すごいです!もう文字を覚えておられるのですか!?」
リオナの声にハッとして、ミラーナはソファから身体を起こした。
「えっと…『この、深い、森の奥、には、大きい…』ねぇ、これはなんて読むの?」
「どれですか?あ、これは『洞穴』ですね。岩や崖等にできる大きな穴のことです。」
「へぇ〜!どれぐらい大きいの?」
「そうですねぇ。大きさはいろいろですが、大きなものですとお城が建てられるかもしれませんね!」
「そんなに大きいの!?すごぉ〜い!」
ナデッタとリオナがテーブルに広げた絵本を指さしながらキャッキャッと笑い合っている。ナデッタはもともと好奇心が旺盛で、少年たちに負けないほど活発で、それなのにどこか落ち着いていて、時折幼子とは思えないような行動を見せる時があった。絵本を読んでもらうようになってからはさらに情緒が豊かになり、自分でも読めるようになりたいのか、リオナの読み声を聞きながら文字を目で追うようになった。
----ここにいれば大好きな絵本が読める。その方があの子にとっても良いのかしら…
いや、と首を横に振る。貴族は政略結婚が基本だ。今は良くとも、いつ何時貴族の令嬢を妻にしろと父親に命令されるか分からない。レディックは領主の息子であり、騎士団長なのだ。命じられれば従うしかない。それ以前に、もしも心変わりされてしまったら。
ミラーナはこれ以上考えるのをやめて立ち上がり、二人に声をかけた。
「ナデッタ、そろそろ行こっか。」
「うん!」
「ではご案内致しますね。」
ナデッタは絵本を閉じて椅子からピョンと飛び降り、ミラーナに駆け寄って右手を握った。その小さな手の温もりにツキンと胸が痛み、誤魔化すようにキュッと握り返した。




