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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
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リフィリシア

 モリサキサナエは、どこにでもいるような普通の女子中学生だった。

 そんな彼女は、ある日の通学途中、不意の立ちくらみに襲われた。

 気が付くと、彼女は見知らぬ場所に立っていた。

 磨き上げられた石タイルの白い床。高いドーム状の天井。流麗な装飾の施された無数の柱。そして十数人の美しい人々。

 その中心に、彼女はいた。


 突然の事態にサナエは困惑し、混乱した。

 だが、それは周囲の人々も同様であった。

 彼らはとても驚いた様子で、サナエの知らない言葉で語りかけてきた。

 サナエは日本語で彼らに言葉を返したが、当然相手には伝わらない。

 お互いに言葉が通じないと分かると、彼らはとても困った表情を見せた。


 中学生の少女が突然知らない場所に連れ去られ、見知らぬ人々に取り囲まれているのだ。

 そのような状況に、繊細な少女の心が耐えられるはずもない。

 サナエの瞳から見る見るうちに涙が溢れ、唇から嗚咽が漏れる。

 そんな彼女の様子に、周囲の人々がどうしたものかとオロオロする。そして懸命に、彼女に何かを語りかけた。

 言葉は全く通じなかったが、周囲の人々が彼女を慰めようとしていることだけは、なんとなく伝わった。

 彼らは、優しい人たちであった。


 さんざん泣きはらして少しだけ落ち着きを取り戻したサナエを、彼らは他の建物の一室に案内した。

 そこまでの道のりは、驚きの連続であった。

 白亜の宮殿。そうとしか表現のしようがない光景であった。

 白で統一された、継ぎ目のない建築物。

 色とりどりの花に彩られた開放的な回廊。

 小鳥のさえずりが耳に心地よい、緑溢れる庭園。

 張り巡らされた水路から聞こえる、優しい水音。

 どれもサナエが見たこともない、まるで御伽の国のような景色だった。

 彼女が案内された部屋も、その例にもれない。

 噴水を中心とした広々とした空間。

 空が見える高い天井。照明は見当たらなかったが、部屋自体が発光している様子で、とても明るい。

 ベッドに椅子にテーブル。どの家具も素晴らしく美しいデザインが施されている。

 全ての要素が見事に調和し、一切の不足も過分もない完璧な空間だった。

 唯一、サナエの存在だけがこの部屋の異物であり、自分がここにいることでこの部屋の格を下げてしまっているように感じられた。


 部屋から通じるバルコニーに出て、サナエは思わず歓声を上げた。

 写真やテレビでしか見たことのない、ヒマラヤ山脈の峰々を思わせる光景が広がっていた。

 それは写真のように枠に切り取られた小さな風景ではなく、視界の全てを覆い尽くして見る者を圧倒する、雄大な自然の一大展望であった。

 白亜の宮殿は、雪を頂く険しい峰々の先端に屹立していた。

 一体どうすればこんな場所に、この様に美しく壮大な建物が建築できるのか、サナエには想像もつかなかった。

 そして不思議だった。ここは本来であれば人の生存を許さぬ過酷な環境であるはずなのに、サナエを取り巻く空気は春の陽気に満たされていた。宮殿のどこにも雪は積もっていない。


 サナエをこの部屋に案内してくれた少女が、何かを語りかけてきた。

 とても綺麗な女の子で、よく見ると耳の先端が尖っていた。思い出してみると、ここで出会った美しい人々は皆、耳が尖っていた。

 建物といい、人々といい、まるで以前ファンタジー映画で見た妖精、エルフみたいだとサナエは思った。

 少女は、自分を指さして同じ言葉を繰り返した。そしてサナエを指差し、彼女の言葉を待つ。そんな行動を何度か繰り返した。

 ひょっとして名前? 自己紹介をしている?

 サナエは自分を指差し、「早苗」と口にした。

 すると少女は美しい顔に満面の笑みを浮かべた。

 彼女は自分に言葉を教えてくれようとしている。そう悟ったサナエは、少女の言葉に必死に耳を傾け、その言葉を真似た。


 そんな生活が続いて半年ほどが過ぎた頃、サナエは美しい人々との意思の疎通を達成していた。

 薄々感付いていたことだが、ここは日本ではなかった。それどころかサナエの知る世界ですらなかった。

 そして彼ら美しい人々は、「まるでエルフみたい」ではなく「本当にエルフ」であった。

 サナエは、異世界に居たのだ。


 サナエが最初に見た白い空間は、人間の住む世界と妖精の世界を繋ぐ『跳ね橋』と呼ばれる施設だった。この、異なる世界を繋ぐシステムが何かしらの不具合を起こし、異世界の住人であるサナエを呼び込んでしまったのではないかというのが、エルフたちの推測だ。

 この施設の不具合はエルフたちにとっても重大な問題であった。そのため彼らも懸命に事態の究明に努めたが、それでも原因は不明であった。

 それは取りも直さず、サナエが元の世界に戻ることも出来ないということであった。

 その事実を聞かされた時、彼女は泣き崩れて数日に渡ってふさぎ込んだ。

 しかし、サナエに言葉を教えてくれた少女を始め、多くのエルフたちが彼女を慰め、励ましてくれた。

 そのおかげで、サナエはどうにか元気を取り戻すことが出来た。


 元の世界に帰れない以上、サナエはこの世界で生きていくしかない。

 そして人間であるサナエは妖精と共にではなく、人と共に暮らすべきだった。

 そのために、エルフたちは彼女に召喚魔術を教えた。召喚魔術は自身では戦わず、召喚した生物を戦わせる魔術である。異なる世界出身の無力な少女が身を護るには、うってつけの魔術だった。

 言葉については、あらためて人間の言葉を学ぶ必要はなかった。サナエが元の世界に帰還できる可能性が低いことを悟っていたエルフたちは、はじめから彼女にエルフの言葉ではなく人間の言葉を教えていたからだ。

 エルフたちは、今後もサナエを元の世界に送り帰すための調査を続けると約束したが、同時に望みが薄いことも教えてくれた。






「それがリフィリシア、森崎早苗の物語です」


 アンカルヤはあまりに予想外であったリフィリシアの話に、なかなか理解が追いつかなかった。


「モリサキ……サナエ。それがキミの本当の名前――」

「はい。リフィリシアというのは、この世界で生きていくためにエルフたちが私につけてくれた、この世界での私の名前です」

「つまり、サナエは私とは異なる経緯で、この世界にやって来たのだね?」

「いいえ、同じですよ」

「ん? んん?」


 やはり混乱させてしまったかと、リフィリシアは困った様子で首を振った。


「そういう設定のキャラクターなんです。森崎早苗は私が王冠物語を遊ぶために創ったキャラクターです。自分自身をモデルにしているので、両者の境界は曖昧ですが、プレイヤーの私とキャラクターの私は別人です。森崎早苗は王冠物語のプレイヤーではありません」

「ああ、何やらメタ的な話で混乱したが、つまりサナエは現代日本からこの世界に召喚されたという設定のキャラクターで、プレイヤー自身ではないという理解でいいのかな?」

「はい。ですから森崎早苗という名前も、私の本名なのか架空の名前なのか、今の私にはわかりません」

「では、キミが日本語を憶えているのも――」

「プレイヤーの私は、日本語を憶えていません。私の日本語は、キャラクターである森崎早苗の記憶です」


 アンカルヤは天井を仰いで、大きく息を吐いた。

 リフィリシアの話はなかなかに衝撃的だったが、その中にとてつもなく重要な情報が含まれていた。

 エルフたちが、この世界と日本を繋ぐ方法を調べているということだ。


「でも、一つ気になることがあるんです」

「気になること?」

「はい。森崎早苗には、この世界に来たときに自分の姿が変わってしまったという記憶がありません」

「ん? それはどういう意味かな?」

「森崎早苗は元の私をモデルにしていますが、かなり美化されていて、実際の私はこんなに可愛くありません。あくまで架空の私です。でも、私がそのことを自覚したのはエルフの『跳ね橋』ではなく、この森に来たときなんです」

「それは、つまり――」


『彼』がこの世界に転移した状況と、『モリサキサナエ』がこの世界に転移した状況は、全く異なるものだ。実際、『彼』がアンカルヤの姿になってこの世界に姿を表したのはこの森の中であって、エルフの『跳ね橋』ではない。


「ああ、そういうことか!」


 つまり、エルフたちが使用する世界と世界を行き来する方法は、身体の変化を伴わないのだ。


「そうなると、仮にエルフ方式で元の世界に戻れたとしても、その場合は元の姿に戻ることはできないかもしれないということだね」

「多分、そうだと思います」


 だがいずれにせよ、エルフがこの世界と他の世界を繋げるテクノロジーを持っているという情報の重要性は変わらない。


「サナエ、キミはそのエルフの宮殿の場所や名前を知っているのかい?」


 アンカルヤの問いに、リフィリシアは真剣な表情で頷いた。


「はい。星去り峰。のこぎり山脈の奥深く、雲海の上に浮かぶ頂の都です」


 星去り峰。エルフの言葉ではエイメスリミア。

 その名はアンカルヤも知っていた。

 ロスリミア大陸に三つある、ハイエルフの居留地の一つだ。

 アンカルヤは首を大きく左右に振った。

 あまりにも困難だった。

 それは人間に到達できるような場所ではなかった。そもそも正確な位置さえ、人間にはわからないのだ。

 もし本気で星去り峰に向かうのであれば、それは想像もつかないほどの長く険しい旅路となるだろう。


「この話は、私だけで判断できるものではないな。明日、ロウギスに相談しても構わないだろうか?」

「はい。ロウギスさんにも話しておいたほうがいいと、私も思います。」


 新たな希望が見えた。しかし、その光はあまりにも遠かった。


「それとアンカルヤさん、私のことは早苗ではなくリフィリシアと呼んでください」


 リフィリシアは黒い瞳でアンカルヤを見つめた。彼女の強い意志の宿った視線と言葉に、アンカルヤは気圧されて息を呑む。


「それは構わないが、その方がいいのかい?」

「はい。早苗という名前は、私にとって本名なのか違うのかよくわからない、落ち着かない名前です。むしろ、エルフたちから贈られたリフィリシアという名前の方が、今の自分にはしっくりくるんです」


 そして、彼女は何かしらの決意のようなものを秘めた表情でキッパリと宣言した。


「だから日本に帰るまでは、私の名前はリフィリシアです」



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