出会い
人がいた!
人がいた、人がいた!
人がいた、人がいた、人がいた!
全く予想もしていなかった事態に、アンカルヤは混乱した。
人に会いたいと思っていた。
迷宮に向かえば、人に会えるかもしれないと期待していた。
だが、相手の方から会いに来るというのは、全くの想定外だった。こんな展開、誰が事前に予想できようか。
だが、待て!
落ち着くんだ。
アンカルヤは浮足立つ心を冷静な思考で抑え込む。
浮かれるのは、まだ早い。これが歓迎すべき出来事だとは、まだ判断できないのだから。
テントの前にいた大男は、アンカルヤに対して友好的な態度を見せていた。だがその態度をそのまま信じ、受け入れてしまうのは軽率というものだ。
全ての悪人が悪人らしい態度をとってくれるのであればいいのだが、現実はそこまで親切ではない。優しい笑顔を浮かべる外道など、アンカルヤはウンザリするほど見てきた。
彼らが敵か味方かを判断するには、彼らとのコミュニケーションが必要不可欠だ。
幸いなことに、それについては向こうから提案してきてくれた。
朝食の誘いを受けて、自己紹介を交わすのもいいだろう。
だが、自分の食事は自分で用意するべきだ。この状況ならばこれくらいの警戒は当然だし、この対応に不快感を示すような相手であれば、残念だがこちらから距離をとるべきだろう。
アンカルヤは外の二人と朝食をとるため、身支度を始めた。
「うげっ!」
クローゼットの鏡を見て、彼女は思わず唸った。
髪はボサボサで、目元にはあくびと共に溢れた涙の跡が残っていた。
寝起きの無防備な顔を他人、それも男性に晒してしまったという事実に、アンカルヤの中の少女的な部分が羞恥に悶絶した。
「これはいけない。みっともない第一印象を与えてしまったかもしれない。ここはビシッと決め直して、失地回復せねば」
ブラシで手早く髪を整えると、あえて冷たい井戸水で顔を洗い、表情を引き締める。
改めて鏡の前に立つと、知り合いの女性神官から「反則だ!」「死ねっ!」「でも、死ぬ前にその秘密は教えて」など数々の褒め言葉を頂いた、メイク不要の美貌が映っていた。
次は歯の手入れだ。馬の毛の歯ブラシに、自分で調合した歯磨き粉をつけて歯を磨く。
口をさっぱりさせた後は、寝ている間に乱れた衣服を整え、床に脱ぎ捨てていたグローブとブーツを拾って身につける。
武装については、片手斧を腰のホルダーにセットする。クロスボウはテントに置いていく。飛び道具が有効な状況ではないし、そもそも今のアンカルヤには使いこなせない。
最後に姿見で身だしなみの確認をする。
これならば人前に出ても問題ないだろう。
アンカルヤはソファーの傍らのローテーブルに用意していた、朝食用の焼き菓子と銀のスキットルを手に取る。このスキットルは革袋の水筒を嫌う彼女がその代りに使用しているもので、中身は煮沸した井戸水だ。
「よし、いくか!」
アンカルヤは気を引き締めると、少し緊張しながらテントの外に出た。
テントの外では、例の二人がダッチオーブンを火に掛けて朝食の準備中だった。
鼻をくすぐる香辛料の香りに焚き火の煙の匂いが合わさり、いかにもキャンプらしい雰囲気だ。
「何だ、早かったな。女の朝は長いと聞くし、まだ余裕があると思った。食事はもう少し待ってくれ」
テントを出たアンカルヤに気付き、焚き火の前に座る大男が目を丸くしていた。
彼は手にすり鉢を持ち、スパイスの調合を行っていた。ゴツい指で、器用に道具を使いこなしている。
だが何気ない様子を装いながら、一瞬だが大男の視線がアンカルヤの腰回りに向けられたことに、彼女は気がついていた。彼はアンカルヤの武装を確認したのだ。片手斧はロングコートに隠れて見えないはずだが、武装していることは気取られたと見ておいたほうがいいだろう。
小柄な少女の方は、膝の上に置いた木のまな板で野菜を切っていた。彼女は手を止めてチラッとアンカルヤに視線を向けたが、すぐに下を向いて調理に戻った。
「いや、朝食なら自前のものがある」
アンカルヤは手に持っていた焼き菓子とスキットルを男に見せた。
「朝から酒か?」
大男が呆れた声を上げる。
これは、朝から銀のスキットルを使うような蒸留酒を飲むのかという呆れで、朝食と酒の組み合わせ自体は珍しいものではない。
「中身は水だ。革袋の水筒は臭いが苦手でね」
「水筒代わりには、小さくないか?」
「見た目よりは入る」
「ああ」
アンカルヤの言葉に、何かを察した大男が頷く。
「何にでも付呪だな」
「ああ、何にでも付呪だね」
王冠物語を知らない人に「これはどんなゲームか?」と聞かれたら、ほとんどのプレイヤーはこう答える。「とりあえず何でも符呪してればいいと思ってるゲーム、あと錬金」と。
それほど、付呪と錬金はゲーム内で万能かつ強力なスキルであった。
ここまでの会話でアンカルヤは確信した。
この大男は、自分と同じく王冠物語のプレイヤーだ、と。
おそらく相手も同様に察しただろう。
「それでは、その菓子も付呪か?」
「いや、こちらは錬金。携帯保存食だよ。これ一枚で一日分の食事をまかなえる」
「ひょっとして、レンバスですか?」
今まで黙々と自分の作業に徹していた少女が不意に顔を上げ、妖精の焼き菓子の名を口にした。何かを期待するように、黒い瞳がキラキラしている。
「いや、その劣化コピーだよ。紛い物さ」
「へーっ」
少女は素直に、そんなものもあるのかと頷いたが、大男の方は不審げな顔だ。
「そんなアイテム、あったか?」
「錬金Modの追加アイテムだよ」
「ああ、なるほどな」
完全に、お互いがゲームのプレイヤーであることが前提の会話であった。
「まあ、何にせよそいつは引っ込めておけ。せっかく用意をしているのだから、こっちを食べるといい」
「ああ、いや……」
どうしたものかと返答に詰まるアンカルヤに、大男が提案を続ける。
「用心深いことは大いに結構だがな。食事には俺らが先に口をつけるし、食器はお前が自前のものを用意すればそれでいいだろう?」
「――まあ、そういうことなら」
固辞するのも益がないだろうと、アンカルヤは男の提案を受け入れることにした。
彼女は一度テントに戻ると、木製の碗と匙を手に外に戻った。銀食器を持ち出してやろうかとも考えたが、流石にそれは幼稚だろうと思い、やめておいた。
「なにか手伝うことは?」
「いや、暇かもしれんが、それには及ばん。誘ったのは俺たちの方だからな。ゲストの手を煩わせるわけにはいかない」
「ならばお言葉に甘えようかな」
とはいえ、ぼんやりと待っているのも大男の言う通り暇なので、アンカルヤは二人の様子を観察して過ごすことにした。
まずは大男の方。
年齢は二十代後半から三十代くらいだろうか。
身長は二メートル近い。だが横にも大きいガッシリとした体つきで、ノッポな印象はない。
今は武器を身につけていない様子だが、この体格自体が凶器といえる。
軽快さと動きやすさを優先したのであろう、一部を金属板とチェインで補強しただけのシンプルな革鎧を身に着けている。肩に掛かるマントはボロボロで元の色がわからないほど退色していて、過酷な状況をこの男と共に乗り越えてきたのであろう、ベテラン戦士の風格を漂わせている。
同様の風格が、その顔にも刻まれている。
瑠璃色の瞳には、力強くもどこか知的な輝きが宿っている。
日に焼けたダークブラウンの髪に、同じ色の顎髭が角ばった顎の輪郭をなぞっている。
左の頬を縦に走る刀傷が、彼のこれまでの生き様を語っている。
それでいてどこか愛嬌のある表情が、彼から暴力的な印象を拭い去っていた。
そして、声だ。抑揚が控えめで、腹の底に響くような低音。典型的な、エイラアル北方の男訛り。それは、大陸で最も男らしいと評される声色である。
ロスリミア・エイラアルの北方地方といえば、過酷な環境から人間だけが資源といわれる土地柄であり、エイラアルにおける傭兵業の中心地である。
なるほど、この大男の風貌はまさしく北方の傭兵そのものだった。
次に少女の方。
身長は百五十センチ前後。小柄で華奢で、この大男と並ぶとより対比が際立つ。
黒のローブに、鍔の広い魔法使いの帽子。典型的な魔術師スタイルだ。ただ、これらの衣装も着ているというよりは、着られているといった印象を受ける。半人前の見習い魔術師といった雰囲気だ。
だが、アンカルヤは奇妙な点にも気が付いた。
彼女の服は、ゲーム内に登場した装備である『初級魔術師の外套』そのものだが、よく見ると様々な差異が目につく。まず、在り来たりなデザインの割に仕立てが非常に良い。過剰品質といっていい。そして袖口などのさり気ない装飾に、とても珍しい上の妖精族の意匠が見て取れるのだ。
エルフといえば、少女の言葉使いも気になるところだ。彼女の言葉には聞き慣れない訛りがあった。訛りといっても流麗なもので、正しい発音よりも美しく聞こえるほどだ。アンカルヤは、この訛りに心当たりがあった。以前、中央神殿を訪れたハイエルフの男が、これに似た発音で大陸の標準語を話していたのだ。
人間の少女が妖精訛りの人語を話すというのも、なかなかに奇妙な話である。
容姿だけを見れば、妖精との関わりなどどこにも感じられない人間族の少女だ。
ミディアムの黒髪に、つぶらな黒い瞳。
丸みを帯びた少し幼い顔立ちが、とても可愛らしい。
だが何よりも、彼女の容姿にはアンカルヤの『彼』の部分の郷愁を誘うものがあった。
彼女の顔立ちは、日本人そのものだった。魔術師の服よりも、セーラー服やブレザーの制服の方がずっと似合うだろう。
アンカルヤや傭兵の大男と違い、彼女であれば、日本の街角でも違和感なくその風景に溶け込むことができる。
大男とは異なり、この少女は謎だらけであった。