第0話 書初めと、金髪の転校生
誰よりも背が高く、お淑やかで、どこか神秘的なドイツ人の彼女――。
でもその素顔は、お寺育ちのウブでピュアな大和撫子で、実は驚くほど『達筆』という凄まじいギャップの持ち主だった。
蓮から習字道具を借りたことをキッカケに、校内の書き初め大会でまさかの金賞を掴み取り、二人の距離は一気に加速していく。
これは、始まったばかりの二人のあたたかな時間をじっくりと紡いでいく、じれったくて愛おしい高校生活の物語。
これから縮まっていく二人の距離を、どうぞゆっくりと見守りながら読んでもらえたら嬉しいです
三学期の初日。
教室に入った瞬間、男子たちが全力でそわそわしていた。
「おい、女子が転校してくるらしいぞ!」
「マジか! しかも背がめちゃくちゃ高いって噂だ」
「それどころか、なんか北欧の風をまとった外国人っぽいって聞いたぞ!」
誰も確かなソースを持っていないのに、尾ひれがついて噂だけが超新星爆発を起こしている。
情報収集に走る斥候もいれば、残された男子は期待と緊張で挙動不審。
俺は学ランの襟を直しながら、「まあ、さすがに噂が盛りすぎだろ……」と至って冷静に席に座った。
朝の会。
担任がガラリとドアを開けて言った。
「今日からカロリーナ・クラインさんが──」
その瞬間、教室の時空が歪んだ。
金髪。白い肌。彫りの深い、完璧に仕上がった美貌。
何より、圧倒的なモデル体型──
というか、教室のドアの高さに届きそうなほど、見上げるような長身だ。
その上、ミディアムの髪を両側できっちりおさげに結っており、清楚なセーラー服姿が「和と洋の最強ハイブリッド」と化していた。
歩き方は驚くほど静かで綺麗なのに、存在感の重圧がダイレクトに伝わってくる。
教壇の前に立った彼女は、クラス全体をパッと見渡すと、完璧な笑顔を浮かべた。
「カロリーナ・クラインです。ずっと日本の中学に通っているので、中身は普通の中学生です。でも、新しいクラスは緊張するので、色々教えてもらえると嬉しいです。呼び方はリナで大丈夫です」
声は落ち着いていて、発音は一ミリの淀みもない完全な日本語ネイティブ。
初対面の緊張を一切感じさせない、一軍女子としての圧倒的なコミュ力に教室中が秒で呑まれた。
一限目が終わると、クラスの女子がまるで新作コスメの限定セールばりの勢いで彼女の席へ殺到した。
瞬く間に華やかな人だかりができあがり、俺の席からは遠く離れた教室の一等地で、早くも新しい女王を中心とした輪が完成していた。
男子はただ遠巻きに、眩しそうに拝んでいるだけ。
俺は、「すげぇ人気だな、次元が違うわ……」と、完全に遠い世界の住人を見る目で眺めていた。
五限目の書初め大会。
机と椅子を後ろに押し込み、床に長半紙を広げる。
墨の匂いが冬の寒さに混ざって、少しツンとする。
俺も自分の筆と硯を並べた。
そのとき、背後で気配がぴたりと止まった。
振り返ると、見上げるような長身のリナが、真っ白な長半紙の前で微動だにせず固まっていた。
袖を軽く押さえて、何か言いかけては飲み込むような表情。
完璧超人に見えた彼女が、まるで借りてきた猫のようにまごまごしている。
あ、習字の道具を忘れて、持ってきていないんだな、と察した。
声をかけようとした瞬間、リナも同じタイミングで勢いよく口を開いた。
初日にしてはピンポイントで俺をロックオンしている。
「沢木くん……あの──」
「これ、使うか?」
見事なまでの同時シンクロだった。
リナが驚いたようにパチクリと大きな目を丸くした。
「……いいの? 本当に?」
「別に。俺、予備持ってるし」
本当は、予備の筆なんて持っていない。
さっきまで自分が使っていた筆をマッハで拭いただけだ。見栄の塊である。
「ありがとう、本当に助かります!」
リナは一軍スマイルを炸裂させてほっと息をつくと、俺の真横に自分の長半紙をパサリと敷いた。
その動きは驚くほど静かで、無駄がなくて、お寺の厳しい修行でも積んだのかと思うほど綺麗な所作。
きっちり結ばれたおさげ髪が、その動きに合わせてリズミカルに揺れる。
筆を手渡すと、リナは
指先で軽く重さを確かめてから、
一ミリの迷いもなく
正しい持ち方にパッと収めた。
その構えの美しさに、なぜか俺まで背筋が伸びる。
そして書き始めた瞬間、教室の空気がガラリと変わった。
長半紙の端から端まで、迷いのない一閃が豪快に伸びていく。
最初の一画を見ただけで、書道の知識が皆無の俺でも、「あ、この人ガチのプロだ」と理解した。
圧倒的な体幹から繰り出される筆運びは、もはや武術の域に近い。
書き終えた紙に並んでいたのは、『希望の光』という四文字。
どこからどう見ても、審査員が満場一致で金賞を叩きつけるレベルの、神がかった筆致だった。
……すげぇ。完全に圧倒されて、思わず間抜けな声が漏れた。
リナが「はい」と筆を返しに来たとき、さっきまでの凛としたオーラはどこへやら、その白い頬がほんのりと林檎のように赤くなっていた。
「ありがとう。ほんとに助かった」
「別に」
ぶっきらぼうを装って返すと、リナはふっと笑った。
一軍女子特有のきらきらした営業スマイルとは違う、あどけない、驚くほど自然な笑い方だった。
翌日の朝。
教室の後ろに、昨日の書き初めがずらりと処刑台のごとく貼り出されていた。
案の定、リナの『希望の光』には、最高賞を示す金色の短冊が誇らしげに留められていた。
……やっぱりな、と納得する。
ふと隣を見ると、俺の紙には銀色の短冊が付いていた。銀賞。
いつもなら「よっしゃ!」とガッツポーズするレベルの快挙なのに、リナのあの圧倒的な神筆を思い出すと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
普通の男子中学生としてのプライドが、ほんのちょっぴり、負けたみたいで悔しい。
すると背後から、リナが物凄い勢いでひょっこり顔を覗かせてきた。
「よかった……! 本当に嬉しい!」
自分の金色の短冊を見たときにはいつも通り澄ましていたくせに、俺の銀賞を見つけた瞬間、明らかに三倍はテンションが高くなっている。
「なんで俺の銀賞に、お前がそこまで嬉しそうなんだよ」
「そりゃ嬉しいよ。銀賞だよ? すごいじゃん!」
リナはそう言って、ほんの少しだけ気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
クラスの誰とでも明るく話せる一軍女子のくせに、なぜか俺の前にいるときだけ、急にキャパオーバーを起こしたように耳のあたりを真っ赤にしている。
「……でも、沢木くんが筆を貸してくれなかったら、私、何も書けなかった。私の金賞も、沢木くんの銀賞も……全部、あの筆のおかげだもん」
転校二日目にして、俺に向ける距離感が完全にバグっている。金髪美少女が上目遣いでそんなことを言ってくるのだ、男子としての心臓がもたない。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
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中学三年。
気づけば、俺たちはまたしても同じクラスの空気を吸っていた。
神様の気まぐれか、あるいは悪戯か。
席替えのたびに、なぜか毎回のように席が近くになるのは、もはや偶然だけでは片付けられない。
勉強の成績は、毎回の定期テストでいつも点数が僅差のデッドヒート。
そして、放課後の誰もいないコートで突発的に始まった、バスケの1on1。
その戦いは──互角に見えて。
最後の一点だけ、俺がなんとかもぎ取った。
リナの変幻自在な動きは本当に読みづらくて、その一挙手一投足には一瞬の迷いすらもなかった。
女子中学生の枠を完全に天元突破している圧倒的な身体能力を前に、俺は何度も冷や汗をかかされた。
(……おいおい、何だあの動き。間違えたらコートに這いつくばらされるところだったぞ)
けど。
中学の三年間、俺が体育館に汗を染み込ませてずっとバスケ部に捧げてきた“経験”と、“癖”。
それだけが、あの土壇場の一瞬の攻防のときだけ、奇跡的に役に立ってくれた。
激しく鳴り響く心臓を必死に押さえながら。
俺は目の前で悔しそうに肩を揺らす彼女を、ただ息を呑んで見つめていた。
ただ、空手というジャンルにおいてだけは、リナは文字通り「最強」だった。
といっても、授業でその無双っぷりを見たわけじゃない。
冬の放課後、昇降口で冷たい空気を切り裂く「ッバシィン!」という爆音が聞こえた。
何事かと視線を向けたら、両側できっちりおさげを結ったリナが、一人で空手の型を打っていた。
動きが静かで、無駄がなくて、見ているだけで背筋が恐怖と感動でピシッと伸びるような精密さ。
強さを誇示するためではなく、心を整えるためだけに研ぎ澄まされてきた時間が、その凛とした佇まいからビシバシと伝わってくる。
遠巻きに見ていた俺が、ただ素直に「すげぇ……」と間抜けな声を漏らすと、リナはビクッと肩を跳ね上げて型を解き、茹でダコのように頬を赤くした。
冬が終わって、教室の空気が本格的に受験の重圧で張り詰めてきた頃。黒板の端には“入試まであと二十日”の不吉なカウントダウン。
クラスの誰もがピリピリし始める胃の痛い時期だ。
ちなみにリナとは志望校も同じだった。
三者面談のあと、廊下でリナに「沢木くんも同じ高校?」と一軍女子特有の眩しいコミュ力で話しかけられ、俺の心臓に悪いサプライズとして発覚した。
そんな土曜日の午後。
「ねえ、一緒に勉強しない?」と誘われたのは、その週のことだった。
入試直前という大義名分はあったけれど、俺に向けられた声の柔らかさは、明らかに受験対策以上の熱を帯びている気がした。
指定された住所を頼りに辿り着いた場所は、立派な山門だった。
案内されるまま足を踏み入れた瞬間、空気がひんやりとして、お寺の厳かな木の匂いが鼻をくすぐる。
「こっちだよ、沢木くん。うち、寺なんだ」
「……は?」
初耳だった。
あの誰もが気圧される静かで綺麗な所作のルーツが、まさか本物の禅寺だったとは。
合点がいきすぎて脳の処理が追いつかない。
本堂の横の廊下を歩くリナの姿は、驚くほど静かで、まっすぐで、どこか神聖さすら漂っていた。
案内された畳の部屋には、障子越しの柔らかな光と、絶妙な温度で湯気の立つお茶が用意されていた。
「父が淹れてくれたの。沢木くん、礼儀正しいからって凄く歓迎してるよ」
あの厳格そうなドイツ人のご住職にロックオンされているらしい。
将来の義父になるかもしれない(気が早すぎる)存在から外堀を埋められていると知り、胃のあたりが余計に緊張でキリキリってきた。
リナは参考書を開いて、俺のすぐ真横にぴったりと腰を下ろした。
畳の部屋特有のトラップというか、椅子と違ってパーソナルスペースが容赦なくゼロになる。
「ここ、ちょっと分からなくて。教えてくれる?」
説明しようと身を乗り出すと、リナも「どれどれ?」と体を寄せてきた。肩から滑り落ちたおさげ髪の毛先が、俺の腕にフサッと柔らかく触れる。
めちゃくちゃいい匂いがする。勉強に集中できるわけがない。
「すごい、分かりやすい! 沢木くん、やっぱり教えるの上手だね」
耳元にダイレクトに届く声が近すぎて、俺のライフはもうゼロに近い。
お寺の静寂が、バカみたいに跳ね上がった俺の心臓の音を盛大に強調してくる。
「来てくれてありがとう。沢木くんと一緒に勉強すると、すごく心が落ち着くんだよね」
いつもの一軍コミュ力全開のノリとは違う、俺の目をまっすぐ見つめてくる無自覚乙女なセリフは、思春期の男子にとってあまりにもずるすぎた。
別の日。今度はリナが我が家に襲来した。
「沢木くんの部屋、落ち着くね。なんか、らしい感じがして好き」
一軍女子特有のフランクさで、さらっとそういう劇薬レベルの“好き”を放り込んでくるのはやめろ。
男子中学生の心臓はガラス細工なんだぞ。
リナは俺の学習机の椅子に座ってキャスターを回してみたり、ベッドにゴロンと寝転んで、そのモデルさながらの体を猫みたいに思い切り伸ばしたりと、俺の聖域(部屋)で随分と自由にくつろいでいた。
「ここ、また分からなくなっちゃった。もう一回教えて?」
「お前、さっきの模擬テストの点数からして絶対わざとだろ」
「ふふ、どうだろうね」
普段の勉強勝負では負けたくないはずなのに、2人きりになるとポンコツを装して頼ってくる。
距離感も態度もバグり散らかしているけれど、不思議と嫌じゃなかった。
合格発表の日。
掲示板の前で自分の受験番号を見つけた瞬間、背後から思いきり抱きつかれた。
「沢木くん!」
歓喜の叫びと同時に、リナが勢いよく飛び込んできたのだ。
あの見上げるような長身と空手黒帯の全力のハグに、俺はなす術もなくバランスを崩す。
そのまま二人して、芝生の上へと派手に転がり込んでしまった。
「よかった……! 同じ学校に行けるなんて、本当に嬉しい……!」
耳元で、リナの声が微かに震えていた。
上を向いた俺の視界を彼女の輝く金髪がカーテンのように優しく遮る。
周囲の視線が痛い。完全にバカップルのそれである。
俺は顔が爆発しそうになるのを必死に堪えながら、そっとその背中に手を回した。
「ああ、本当によかったな」
キスはしない。でも、お互いのドクドクと跳ねる心臓の音が重なるこの距離は、もうどう言い訳しても“ただの友達”の領域を完全に踏み越えていた。
春休み。リナは数週間だけ、ドイツの祖父母の家へ短期帰国した。
普段は一軍女子としてクラスの中心で騒がしいリナがいない毎日は、思っていた以上に退屈で、胸がすかすかするほど寂しかった。
そして、高校の入学式の前日。我が家の玄関の前で、聞き馴染んだ愛おしい声が響いた。
「沢木くん。……ただいま」
インターホンが鳴るより早く、ドアを開ける前から誰だか分かった。
明日から始まる、お母さん仕立ての上品な巾着袋をカバンに吊るした彼女との、新しい高校生活を予感して、胸の奥が熱くなった。
貴重なお時間の中、読んでくれてありがとうございます。
二人のもどかしくてあたたかい距離を、これから少しずつ、大切に描いていきます。
これから長く続いていく二人の物語を、一緒にゆっくりと見守っていただけたら嬉しいです。
もしよろしければ、画面下の【ブックマーク】で二人の日常を追いかけてみてくださいね。
次回もお待ちしております。




