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第8話 虚栄の玉座

 ノートパソコンの画面越しに、星宮ルナのアバターが小さく頭を下げた。


『はじめまして、星宮ルナです。この度は、ルナの個展のメインスポンサーになっていただけるということで……本当に、ありがとうございます』


 合成された愛らしい声。しかし、弥生による事前の音声解析結果を聞いた後では、その甘いトーンの裏に隠された、相手の価値を品定めするような計算高さが透けて見えるようだった。

 佐藤はデスクに深く腰掛けたまま、カメラに向かってビジネスライクな微笑を浮かべた。


「ステラ・プロモーションの佐藤です。本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。統括マネージャーの黒田さんからは、今回の個展に対する並々ならぬ熱意を伺っております」

『黒田さんから……ふふっ、ルナもすごく楽しみにしてるんです! 初めてのリアルイベントだから、ファンの皆に最高の思い出を作ってほしくて』


 佐藤は手元のダミー資料をめくる素振りをしながら、言葉を紡ぐ。


「我々が今回、三千万円という異例の協賛金を投じてまでこのイベントの総合演出を引き受けたのには、理由があります。ルナさんの持つ、圧倒的なクリエイティビティとインフルエンス力。それを、業界最高峰の映像技術を用いて、さらに高みへと引き上げたいのです」

『圧倒的な……クリエイティビティ』


 画面の向こうで、ルナが息を呑む気配がした。アバターの瞳がキラキラと輝くモーションを見せる。


「ええ。昨今、ネット上では心ない著作権トラブルの噂が流布されているようですが、我々は一切気にしておりません。ルナさんの才能は、あのような下劣なデマで傷つけられるべきではない。我々はこの個展を、ルナさんの完全なる復活と、揺るぎない才能の証明の場にしたいと考えています」

『佐藤さん……』


 ルナの声が、感極まったように震えた。もちろん、あらかじめ用意された計算ずくの演技だ。


『ルナ、ずっと悔しかったんです。一生懸命描いたデザインを、あんな風に言われて……。信じてくれるファンのみんなのためにも、ルナが本物だって証明したいって、ずっと思ってて……』

「その思い、我々が形にします」


 佐藤は画面の共有機能を使い、個展会場のステージ演出のシミュレーション映像を再生した。


「会場のメインステージに、幅十五メートルの巨大なLEDスクリーンを設置します。そこに等身大以上のルナさんを投影し、ファンとリアルタイムでコミュニケーションを取っていただく。そして、イベントの最大の目玉として『ライブドローイング』のコーナーを設けます」


『ライブドローイング……ですか?』


 ルナの声のトーンが、わずかに低くなった。隠しきれない焦りが混じっている。他人の絵を切り貼りしているだけの彼女に、数千人の観衆の目の前でリアルタイムにイラストを描き上げる技術などあるはずがないのだ。


「はい。ルナさんがキャンバスに線を引くごとに、スクリーンにエフェクトが広がり、イラストが完成していく。あなたの圧倒的な作画スピードと色彩感覚を、会場にいる数千人のファン、そして配信を見ている数十万人の視聴者に直接見せつけるのです。これこそが、根も葉もないパクリ疑惑を完全に払拭する最強の手段です」

『でも、あの……ライブで描くのは、少しハードルが高くて……機材のトラブルとかもあるし、もし失敗したら……』


 必死に予防線を張ろうとするルナを、佐藤は穏やかだが力強い声で遮った。


「ご安心ください。ルナさんは、ステージ上で『いつものように』楽しくお話ししていただくだけで結構です。実際の描画作業や映像の出力処理は、我々の制作チームがバックヤードで『完璧に』サポートします」


 佐藤は言葉の裏に、明確なメッセージを込めた。


『あなたが実際に描く必要はない。完成された映像を、我々がライブで描いているように偽装してあげる』という、悪魔の囁きだ。


 数秒の沈黙の後、画面の向こうのルナが佐藤の意図を正確に汲み取ったことが、アバターの動きの端々から伝わってきた。


『……そういうこと、なんですね。佐藤さんのチームなら、ルナのイメージ通りの、すっごく素敵なイラストを、魔法みたいにスクリーンに出してくれるってことですよね?』

「ええ。我々はプロフェッショナルですから。事前の打ち合わせ通りに進行していただければ、ルナさんを誰もがひれ伏す最高のクリエイターとして演出してみせます」

『ふふっ……頼もしいです! さすが、黒田さんが見込んだだけありますね。ルナ、佐藤さんのこと信じます! 最高のステージにしましょうね!』


 ルナの弾むような声には、面倒な作業を他人に丸投げし、自分は称賛だけを浴びることができるという身勝手な喜びが満ち溢れていた。


「ええ。当日を楽しみにしております」


 佐藤が通信を切断すると、社長室に静寂が戻った。

 佐藤はノートパソコンを閉じ、深く息を吐き出した。

 彼はデスクの引き出しからケースを取り出し、煙草に火をつける。紫煙を細く吐き出しながら、画面に映っていた虚像の残滓を頭から振り払う。他人の努力と時間を平然と剽窃しておきながら、権威と金が自分の嘘を覆い隠してくれると信じて疑わない無邪気なまでの傲慢さ。他者の尊厳を踏みにじって得た虚栄の玉座がどれほど脆いものか、彼女はまだ理解していない。煙草のわずかな苦味が、佐藤の冷え切った思考をさらに鋭利に研ぎ澄ましていく。


 それからの二週間、星宮ルナのSNSアカウントは、かつてないほどの熱狂に包まれていた。


『ルナ・ミュージアムの打ち合わせ終わったよ! メインスポンサーさんがすっごい演出を用意してくれてて、ルナも今からワクワクが止まらない!』

『当日はみんなの前で、ルナの本当の力を見せちゃうかも? 楽しみにしててね!』


 彼女が連日のようにイベントをアピールする投稿を行うたび、五十万人のフォロワーが熱狂的に反応した。


『ルナちゃん頑張って!』『パクリとか言ってたアンチ息してる?』『絶対現地に行く!』


 個展のプレミアムチケットの転売価格は定価の十倍以上に高騰し、開催前から販売された限定グッズは数分で完売状態となった。星宮ルナの権威は、スポンサーの巨大な資本と緻密なプロモーションによって、疑惑が持ち上がる前よりもさらに強固なものになっているように見えた。


 一方、アンチフレアのオフィスでは、着々と準備が進められていた。


「星宮ルナのゴーストライターと、過去にトレス被害に遭ったクリエイターたちの裏どり、全部終わったよ」


 マルチモニターの前でキーボードを叩いていた襟華が、伸びをしながら報告する。


「証拠となるラフ画の作成日時の偽造ログ、別人に描かせていたイラストの発注メール、それに『上手くごまかしといて』ってマネージャーの黒田に指示してる裏垢のDMも全部確保済み。いつでも出せる」

「ご苦労様です。映像と音声の仕込みは」


 佐藤の短い問いに、解析ブースから紘子と弥生が応じる。


「オーバーレイ、準備完了。いつでも割り込めるわ」

「音声の差し替えもいつでも。スイッチ一つで切り替わります」


 プロフェッショナルたちの淀みない報告に、佐藤は頷いた。


「法的な牽制も抜かりないわよ」


 千尋が淹れたてのコーヒーを佐藤のデスクに置きながら言った。


「連中が異常に気づいて配信を止めようとしても、あの違約金の条項が彼らの手足を縛る。判断を迷っている間に、すべてが終わるわ」

「ええ。これで逃げ道は完全に塞がれました」


 佐藤はデスクに置かれたコーヒーには手を付けず、モニターに映し出された個展会場のネットワーク図を見つめていた。


 そして、運命の週末が訪れた。

 東京湾岸エリアにある巨大な展示ホール。


『ルナ・ミュージアム』の会場前には、開場の数時間前から数千人規模の長蛇の列ができていた。星をモチーフにしたグッズを身につけたファンたちが、興奮気味に言葉を交わしている。


 会場内は、まさに星宮ルナという虚像の集大成だった。壁一面に飾られた美麗なイラスト、等身大のフィギュア、そしてメインステージにそびえ立つ、巨大なLEDスクリーン。展示ホールのどこを見渡しても、彼女の「才能」を称賛するファンたちの熱気に満ちている。

 最前列のVIP席から最後尾の立ち見エリアまで、会場はすし詰め状態となり、開演を待ちわびる地鳴りのような歓声が響き渡っていた。さらに、オンラインでの有料配信チケットも数万枚が売れ、画面の向こう側でも数え切れないほどの視聴者が、彼女の登場を今か今かと待ち構えている。


 会場の二階、関係者以外立ち入り禁止のガラス張りの副調整室。

 佐藤はスリーピーススーツのポケットに両手を突っ込み、眼下でうごめく数千人の群衆を冷ややかに見下ろしていた。

 彼の隣には、ノートパソコンを開いた襟華と、タブレットを持った千尋が控えている。


「同接数、すでに十万人を突破したよ。会場の熱気も最高潮」


 襟華の指が、エンターキーの上で静かに待機している。


「黒田マネージャーは、VIP席のすぐ横でふんぞり返っているわ。自分のプロデュース力が絶賛されていると勘違いして、完全に有頂天ね」


 千尋が冷ややかな視線を下に向ける。


「まもなく開演です」


 佐藤の静かな声とともに、会場の照明がゆっくりと落ちた。

 数千人の歓声が一段と大きく響く中、メインステージのスクリーンに星宮ルナのアバターが眩い光と共に浮かび上がる。


『みんなー! ルナ・ミュージアムへようこそー!』


 アバターが大きく手を振ると、会場全体が割れんばかりの歓声に包まれた。色とりどりのペンライトが波のように揺れ、彼女の名前を呼ぶ声が空間を震わせる。

 星宮ルナは今、間違いなく自分の人生の頂点に立っていた。五十万人の信者を従え、巨大なスクリーンから彼らを見下ろしている。


 佐藤は、モニター越しに映るアバターを見据えたまま、インカムのスイッチに指をかけた。


「さあ、始めましょうか」


 佐藤は短く告げ、襟華へ向けて静かに顎を引いた。

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