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第17話 虚像の城

 真夜中の都内。マヤが不在にしている高級タワーマンションの一室。

 先週末から来週の「世界的モデル主催のシークレットパーティー」に向けて、美容や衣装合わせのためにホテル住まいをしているという情報は、襟華のハッキングによってすでに特定されていた。

 その静寂を縫うように、暗闇の中で音もなく動く影があった。

 黒のレザージャケットに身を包んだ吉田彩だ。

 彼女の足運びは、大理石の床の微かな反響すら許さない。電子錠のセキュリティを物理的に突破し、音もなく室内に侵入した彩は、すでにリビングのデスクに置かれていたマヤの私物ノートパソコンに、自身の小型データ抽出デバイスを接続し終えていた。

 薄暗い画面の光だけが、彩のシャープな輪郭を青白く照らし出している。

 彼女は耳元の極小インカムに軽く指を触れ、声を殺して呟いた。


「侵入完了。物理デバイスの接続をした。襟華、引けるか」

『余裕。ファイアウォールなんて飾りみたいなもん。今からクラウドに上がってないローカルの裏帳簿と、サクラのバイト連中のリストを全部抜く』


 オフィスの襟華からの即答に、彩は小さく鼻を鳴らした。


「手際がいいな。だが、あまり時間をかけすぎるなよ」

『分かってるって。彩姉のスパルタから逃れるためなら、五分で終わらせてみせるよ』


 軽口を叩きながらも、襟華のタイピング音は確実にマヤのパソコンの奥深くへと侵入していく。

 彩は部屋の隅に視線を移した。そこには、開封されたばかりのハイブランドの靴箱や、高級化粧品の空き瓶が無造作に転がっていた。


「……他人の血を吸って買ったガラクタばかりだな。さっさと終わらせるぞ」


 彩は短く呟き、抽出のプログレスバーの動きを冷ややかに見つめる。

 数分後、インカムから襟華の弾むような声が響いた。


『完了。マニュアルのパクリ元のテキストデータ、被害者リスト、それに……ビンゴ。こいつが貢いでるホストクラブのツケの明細と、裏垢のログイン情報も全部抜けたよ』

「上出来だ。撤収する」


 彩はデバイスを素早く回収し、侵入の痕跡を一切残すことなく、再び夜の闇へと溶けていった。


★★★★★★★★★★★


 翌日の午後。アンチフレアのオフィス。


「相手の裏垢の解析、終わったよ」


 襟華がペットボトルのコーラをラッパ飲みしながら、メインモニターに複数の画面を展開した。

 そこには、マヤが『魔法の恋愛マニュアル』と称して販売していた情報商材の元ネタとなった、複数の無料ブログや心理学サイトのテキストが比較表示されていた。


「驚くほどのコピペね。一言一句違わず剽窃している箇所もあるわ」


 千尋が手元のブラックコーヒーに口をつけ、冷ややかな視線を画面に向ける。


「ええ。それに、こっちが本命の裏垢」


 襟華が画面を切り替えると、マヤが非公開アカウントで投稿していた画像とテキストが次々と映し出された。


『今日のカモもチョロすぎ。適当に褒めて、コンプレックス煽ったら二百万即決w』

『こんなに簡単に金入るなら、真面目に働くのバカらしくなるわ』


 さらに、ホストクラブのVIPルームで、一人の若いホストに寄り添い、テーブルにシャンパンのタワーを築いている写真。


『担当クンの誕生日! 今日もカモから巻き上げた金で一番にしてあげる♡』

「他人の孤独を食い物にしておきながら、自分はホストへの依存から抜け出せない。滑稽ですね」


 佐藤は手元のスコッチウイスキーのグラスを揺らし、静かに言い放った。


「これで、物理的な証拠はすべて揃いました」


 佐藤は立ち上がり、チームのメンバーを見渡す。


「彼女の虚栄心は、今や限界まで膨張しています。来週の船上パーティーで、彼女は自分が選ばれた特別な存在であると信じて疑わないでしょう」


 佐藤の眼差しに、冷酷な光が宿る。


「その慢心が最高潮に達した瞬間、彼女の足元からすべてを引きずり下ろします」


★★★★★★★★★★★


 週末。東京湾をクルージングする大型の豪華客船。


『シークレット・パーティー』と銘打たれたその空間は、まさに富と権力の象徴だった。タキシードやイブニングドレスに身を包んだ男女が、生バンドの演奏をバックにシャンパンを傾けている。


 マヤは、仕立てたばかりの真紅のドレスで会場を歩き回っていた。

 彼女の周りには、グレタが「投資家」や「メディアの重役」として紹介した初老の男性たちが集まり、彼女の言葉に熱心に耳を傾けていた。


「私の恋愛アルゴリズムは、人間の深層心理を完全にハックするものです。これを用いれば、優秀な人材の確保や、顧客のロイヤリティ向上にも応用できます」


 マヤが自信たっぷりに語ると、周囲の男たちは感嘆の声を漏らし、こぞって名刺を差し出した。

 マヤは高揚感で胸が破裂しそうだった。ついに、自分の才能が本物の富裕層に認められたのだ。数十万の信者からチマチマと金を巻き上げる生活とは決別できる。


「マヤさん、素晴らしいプレゼンね」


 グレタが優雅な足取りで近づいてきた。


「ありがとうございます、グレタさん! 皆様、私のメソッドに大変興味を持っていただけたようで」

「ええ。だから、今夜のパーティーのメインイベントとして、あなたにスピーチをお願いしたいの。この船に乗っている全員に向けて、あなたの『魔法』の素晴らしさを語ってちょうだい」


 マヤは息を呑んだ。この船にいるすべての富裕層を、自分の信者にできるチャンスだ。


「謹んで、お受けいたします」


 時刻は午後八時。

 船のメインホール。スポットライトを浴びて、マヤがステージに立った。


「皆様、本日はこのような素晴らしい場にお招きいただき、光栄です」


 マヤは完璧な笑顔を浮かべ、マイクを握りしめた。


「私の提供する『魔法の恋愛マニュアル』は、単なるテクニックではありません。人間関係の真理を解き明かし、望む未来を確実に手に入れるための、究極の……」


 マヤがスピーチのクライマックスに差し掛かろうとしたその時、会場内のすべての照明が突然明滅し、耳をつんざくようなハウリング音が響き渡った。


「きゃっ!?」


 マヤがマイクを取り落とし、身をすくめる。

 照明が元に戻ると、会場の空気が一変していた。

 参列者たちの手元にあるスマートフォンが一斉に鳴り出し、それぞれが怪訝な顔で画面を見つめている。


「な……なんですか、これは!」


 マヤも自身のスマートフォンを取り出し、画面を見た瞬間、全身の血の気が引いた。

 先ほどまでアンチフレアのオフィスで襟華が表示していた、複数の無料サイトのテキストと、マヤの『マニュアル』が比較検証された画面、そして彼女の裏垢の投稿内容が、パーティーの参加者全員、さらには彼女の数十万人のフォロワーに向けて一斉送信されていた。


『今日のカモもチョロすぎ』

『担当クンの誕生日! 今日もカモから巻き上げた金で一番にしてあげる♡』


 ホストクラブでの乱痴気騒ぎの写真が、彼女の卑劣な本音とともに、静まり返った会場の全員の目に晒されていく。


「違う! これは何かの陰謀よ! 信じないで!」


 マヤの悲鳴を掻き消すように、今度は弥生が編集した音声データが、会場のスピーカーから響き渡った。

 それは、マヤが被害者の達也にコンサルティングの勧誘を行っていた際の、隠し録音データだった。


『お金の問題じゃありません、覚悟の問題です。ここで諦めるから、あなたは今まで誰からも選ばれなかったんじゃないですか?』


 マヤの側近の女が放った冷酷な言葉。その直後、マヤ自身の声が重なる。


『あはは、あの客、あの言葉であっさり落ちたわね。ちょろすぎるわ。あとは適当に引き延ばして、限界まで搾り取って』


 冷酷で計算高いその声が、現在の彼女の狼狽した姿と見事に重なる。

 会場にいた「投資家」たちが、冷ややかな視線をマヤに向け始めた。


「……他人の文章を盗み、弱者から巻き上げた金でホスト遊びですか」


 エキストラの一人が、静かに眉をひそめて呟いた。その言葉を皮切りに、会場全体にヒソヒソと軽蔑するような囁きが広がり始める。


「信じてください! 私のメソッドは本物で……!」


 マヤは必死に弁明しようとするが、もはや誰一人として彼女の言葉に耳を貸さない。冷たい視線が彼女を射抜く。

 ステージの袖から、グレタがゆっくりと歩み出てきた。

 その顔には、先ほどまでの親しげな微笑みは微塵もない。


「素晴らしいスピーチだったわ、マヤさん」


 グレタは、足元に崩れ落ちたマヤを見下ろし、冷徹に告げた。


Schmutzゴミね。他人の痛みを食い物にして着飾った虚像なんて、本当に美しくないわ」


 マヤは顔を引きつらせ、震える手でグレタのドレスの裾を掴もうとした。


「グ、グレタさん……助けて……これは何かの間違いで……」


 グレタは汚物を見るような目でマヤの手を振り払い、踵を返した。

 マヤは絶望の淵に突き落とされ、その場にうずくまって泣き叫ぶことしかできなかった。

 彼女のスマートフォンには、信者たちからの罵詈雑言が凄まじい勢いで流れ込み始めていた。


★★★★★★★★★★★


 数日後。

 マヤは詐欺の容疑で警察の取り調べを受けていた。

 アンチフレアから提出された決定的な証拠と、被害者の会による集団告訴により、彼女の言い逃れは完全に不可能となっていた。

 オフィスの社長室で、佐藤は静かにウイスキーを口に運んだ。


「彼女の口座の凍結と、被害者への返金手続きは完了したわ」


 千尋がタブレットを置きながら報告する。


「ええ。ご苦労様でした」


 佐藤は手元の資料に目を落とす。


「彩。例の件はどうなっていますか」


 佐藤の問いに、ソファに座っていた彩が薄く笑う。


「手筈通り。あいつが通ってたホストクラブのケツ持ちに、ちょっと情報を流しておいた。未払いのツケが数百万残ってるらしいからな。きっちり回収してもらうよう、釘を刺しておいたよ」

「妥当な処理ですね」


 佐藤はグラスをテーブルに置いた。


「さて、次の獲物の選定に入りましょうか」

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