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僕と、彼女と、ペンダント  作者: ミシェロ
第七章【家族】

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起きるだろうと思った翌朝は、やって来なかった。

目を開けたのは二日後で、視界の最初の色はミカロの涙の光だった。


「シオン!」


 彼女は弾丸のように僕の胸へ飛び込んだ。

彼女は言葉を探すみたいに口を開きかけて閉じ、潤んだ瞳だけをこちらへ向ける。

すぐそばで、胸の上下が忙しい。


「心配をかけたね。サンドイッチ、美味しかったよ。塩加減が絶妙だった」

「・・・よかった。ワタシのせいで寝込んだなら、どうしようかって」

「原因はまだ断定できないよ。だからこそ、協力してほしい。一緒に探そう」


ミカロは拳を軽く握り、ぽん、ぽん、と僕の胸に二度だけ短いパンチを置く。

抵抗の儀式のような、それでいて、どうしようもなくやさしい力加減。

やがて彼女は顔を上げ、迷いの線を消すように近づいた。


「・・・じゃ、まずは――」


頬へ触れる前に、控えめな咳払いが部屋を正気に戻した。シェトランテだ。


「悪いわね、私もいたのよ。シオン、他の仮説を立てたわ。

 属性の数に関係なく、総容量を超えたときに寝込む――今度は許容量を測る実験をしましょう」

「お願いします。やりましょう」

「では、今回はエイビスを呼ぶわ。今日は火・水・風・光の通常出力で素振りしてもらう。

 ・・・ミカロ、アナタは寝不足が顔に出てるから、休んで後から来なさい」

「わかった。シオン、異変があったら絶対呼んで。眠さも吹き飛ばして飛んでいくから」

「ありがとう。後で」


手を振ると、ミカロは小さく頷いて部屋を出た。

エイビスと合流し、僕とシェトランテと三人で道場へ向かう途中、エイビスが短く報告の形で話す。


「シオン様が眠っていた間に、私とシャルルローゼスはドルフェリアの民衆へ帰還の報を届けていました。関係各所への挨拶も。王都は落ち着きを取り戻しつつあります」

「迷惑をかけたね。僕がいない間まで、ありがとうございます」

「当然の務めです。――今日は、検査に集中しましょう」


道場は清潔で、白壁が新しい。シェトランテがうなずく。


「実験の手順を改めて確認するわ。

 エイビスは通常の素振りで四属性を順に放って、シオンは吸収して白壁へ反撃するのよ。

 私はこれまでの実験を踏まえて気になったことを確認していくわ」

「承知しました。シオン様、始めます」

 火、水、風、光――エイビスの剣に沿って四つのエレメントが穏やかに立ち上がる。

 僕は半身、刃の腹で力の向きを掴み、胸腔の回路へ受け入れ、白壁へ流す。

 一回、二回、三回。体内の針は赤を指さない。頭の奥の靄も来ない。

「問題ありません。まだ余裕があります」


エイビスの瞳が明るくなる。


「では、今日の予定を説明させてください。・・・よろしければ、私の部屋で」

「体にも異常値はないから、前と状況は一緒ね。今日もこの後は自由行動にしましょう。

 シオン、婚約者候補として、しっかり愛し合ってきなさい」

「いや、その、そういう――」

「冗談よ。半分はね」


彼女は記録を抱えて出ていった。言葉を探す僕を横目に、エイビスが微笑む。


「それでは、私の部屋へ参りましょう」


足は自然に僕の部屋へ向かった。扉を開けると、エイビスは当たり前の顔で中へ入り、椅子を引く。

「・・・ここで話を?」

「ここは私の部屋でもあります」

「え?」

「説明が足りませんでしたね。シオン様と私は、共同のお部屋を使うことになりました。

 護衛の観点からも、その方が安心ですから」


言葉は丁寧だが、澄ました色が滲んでいる。僕は額に手を当てる。


「僕が寝すぎて話せなかったのもあるけど、どうして、婚約者候補として訂正したんだい?」

「その方が王妃様からの監視を逃れる可能性が高いと見たためです。

 もちろん、シオン様の考えが変わったというのであれば今後はそのままでも構いませんよ」


さらりと言って、彼女は表情を崩さない。僕は誘惑をやんわり受け流し、姿勢を正した。


「それにしてはえらく返答のスピードが早かった。実は前から考えていたんじゃないかい?」

「流石シオン様。その通りです。年頃の王族が戻れば、貴族の有力者との結婚に話が流れるのが通例です。私はそれに釘を刺したかった。シオン様が婚約者候補であれば、

 お父様は二人の思いを壊してまで王位継承に私を使おうとはなさらないでしょう。

 ・・・もう一つ。私がシオン様のそばにいられなくなると、皆さんの旅は難しくなる。私自身も困る。  

 ですからお互い様で、お願いできないでしょうか」


軽やかな声に、現実的な計算が透ける。エイビスらしい。


「迷惑をかけていることは自覚しています。けれど見知らぬ場所で心細い私のために警護を、そして――

 婚約者候補として、そばにいて欲しいのです」


エイビスにしては珍しく、シャルルローゼスが話すような内容だ。

紅茶のひと時も素直さが顔を出したのかもしれない。僕は息を整え答えた。


「引き受けます。ただし、変なトラブルだけは避けますよ。必要な手順と線引きを守ることが条件です」

「もちろん、お約束いたします」


その言葉を聞いた瞬間、彼女は嬉しそうに目を伏せた。

けれど、胸の奥では別のグラスに手を伸ばしているようにも見えた。

空のグラスを傾けて、ないはずの水を飲もうとする

――満たされない期待と、慎重な自制。その二つが同居している。


エイビスはいつか見たメガネを付けて右手を構えると、

スケジュール管理をしているであろう手帳を取り出した。

ただ、今回ばかりは役が違うような気もする。


「今日の予定について共有しますね。簡潔に言えば夜、パーティがあるのです。

 そこで踊りを披露する必要があり、私のお相手はもちろんシオン様です。

 練習に付き合っていただけますか」


エイビスが当然の顔で告げる。

婚約者候補の件を既成事実のように扱う落ち着きは、剣のように揺るがない。


「喜んで。ただ、僕はダンスの経験なんて持ち合わせてはいないよ」

「私がお教えいたします。お任せください」 


彼女は胸を張り、踊り稽古部屋へと先導した。

鏡張りの部屋で、エイビスは指の置き方、歩幅、呼吸の合わせ方を順に示す。

僕は手本の軌跡を目で追い、拍を足裏で数え、二度三度と繰り返すうち、線の動きが面にまとまっていく。

思ったより戦いよりは簡単だ。


「本当にシオン様は・・・」

 

小さな独り言が漏れる。次の瞬間、彼女は軽く足を絡ませ、重心を崩した。

わざとだとわかる角度。僕は腰をさばき、片腕で背を支える。


「怪我はない?」

「ええ、平気です。

 ・・・これほど上達されるとは思っておりませんでした。さすがでいらっしゃいます、シオン様」


頬にわずかな不満を残しながらも、言葉は素直だった。

ひと息置いて、エイビスが手帳を閉じる。


「本番に備えて、今日はここまでにいたしましょう。今日のことは忘れないでくださいね」

「もちろん。今回は龍もいないだろうしね」


部屋へ戻ると、机に包みと手紙が風に靡いていた。横に滑る感覚が所々に交じっている文字。

ミカロが書いたんだろう。シェトランテの調べ物を手伝うこと、塩加減を控えた肉サンドを置いていくことが書かれている。

包みを開くと、香りが丁寧だ。

弓矢兵を視界の端で捉えたときのようなちょうどいい距離で塩が効き、

マスタードの横槍が旨味を持ち上げる。


〈辛味が走るけど、良い旨味が残るね。美味しかったよ〉とメッセージを送る。


鏡の前、黒のタキシードに腕を通し、襟を正す。剣帯の位置を少し下げる。

袖口の白が灯りを拾い、指先が震えを捨てた。胸ポケットに小さな花、約束をひとつ差す。

ほどなく通知が手を上げた。エイビスから、パーティ集合の連絡だ。


合流地点へ向かうと、宝飾を添えたエイビスが光を集めていた。

淡い群青のドレスが波のように落ち、肩に細いチェーンの宝飾。

耳元で小粒の真珠が揺れ、腰の銀糸が歩幅を整える。

髪は低くまとめ、差した白薔薇が笑みの温度をやわらげた。


「よくお似合いです。ドレスも、アクセサリも」

「嬉しいお言葉です。シオン様もよく似合っています。明日もその姿で見ていたいほどに。

 では、参りましょう」


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