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僕と、彼女と、ペンダント  作者: ミシェロ
第四章【解毒】

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カリーナの気配が、霧の向こうで跳ねた。シャルルローゼスは、刃先が胸元へ寄るのを悟ったのだろう。瞳を静かに閉じ、呼気を整える。

その瞬間を待っていたみたいに、僕は踏み出した。刃に熱を集め、呼び名だけを胸で鳴らす。


「燃えて、鎮まれ」


炎は爆ぜさせない。刃の周囲だけを灼いて、相手の魔術式に絡みつく温度で封じる。赤い輪が刀身に沿って伸び、カリーナの青紫の術糸に触れると、まるで怯えた蛇が棒に巻きつくみたいに、毒の魔法が自分から僕の剣へ巻きついてきて、そのまま静かになった。


「奪えない……? 私の魔法が、吸われる?」


カリーナが初めて、声に温度を落とした。彼女の奪う力の干渉が、こちらの熱で空転した。


「御姉様!」


シャルルローゼスが、折れた杖の半身を投げ捨て、両の掌を重ねて祈るように構えた。毒で力が抜ける腕に、別の色が灯る。赤橙の魔力が皮膚の下で走り、マグマのような輝きが前腕を覆う。自分の筋力ではなく、魔力で「掴む力」を造り直す。


「お借りしますわ。今までの分、きっちりと返させていただきます」


赤い腕で床のエイビスの剣を拾い上げ、彼女へ向かって一直線に投げる。刃は風を裂いて伸び、エイビスの掌に吸い込まれるように収まった。


「ありがとう、シャル」


エイビスは短く礼を返し、そのまま足を斜めに入れる。血で濡れた腹筋が悲鳴を上げているはずだが、顔には出さない。体幹で支え、踏み込みの角度だけで威力を乗せる。


「――エアリエル・ドライブ!」


風の圧縮が刀身の前縁に重なり、カリーナの首筋へ弧を描く。カリーナは咄嗟に身をひねって躱すが、肩口から鎖骨にかけて深い斜線が刻まれた。青紫の霧が揺れ、毒の匂いが一瞬だけ薄くなる。


「・・・私が、押されている?」


無感動な声に初めて混じるざらつき。エイビスはその隙を逃さない。僕のポーチから取り出していたアンプルをシャルルローゼスの手に押し込む。


「これを。シオン様から預かった治療薬ですわ。すぐ打ちなさい」

「ありがとうございます、御姉様」


シャルルローゼスは頷き、躊躇なく自分の上腕へ注射した。白い肌に山吹色が小さく広がり、呼吸が整う。

エイビスは一歩進み、カリーナへ剣先を据える。瞳は静かだが、芯は一歩も引かない。


「答えなさい。シャルの腕――あの毒を治す薬は、あるのですか」

「あるわけないわ。そんな都合のいいもの」


カリーナは鼻で笑い、懐から山吹色に光る別種の注射キットを掴むと、そのままエイビスの間合いへ滑り込んだ。


「下がって!」


僕が声を飛ばすのと同時、エイビスは半歩退く。が、床板の隙間から伸びた蔦が足首を絡め取った。カリーナの手が速い。注射針の切っ先が腹部へ向かって滑る。カリーナの口元に、ようやく形を得た笑みが浮かんだ。


「お嬢様。あなたのこれから、とても興味深い」

「御姉様の近くに私がいたのを忘れていたのですか」


風が割り込んだ。シャルルローゼスの手元から吹き出した細い風刃が、針とカリーナの手首の間を容赦なく貫く。針先が逸れ、注射器は床に落ちる。遅れて痛覚が追いかけたのか、カリーナの指が震え、膝が抜けるように前に倒れ込んだ。

その光景を見た瞬間、エイビスの全身から緊張がほどける。剣が掌から滑り、板床に落ちる。肩が上下し、吐く息の速さを意識的に落としていく。


「御姉様!」


シャルルローゼスが駆け寄り、膝をついた。瞳に涙が溜まり、しかし声はまっすぐ。


「ありがとうございます、御姉様。私……御姉様のおかげで――」


ぱちん、と乾いた音が広間に跳ねた。エイビスの手のひらが、シャルルローゼスの頬を軽くではない強さで打ったのだ。シャルルローゼスの瞳が大きく揺れる。


「御姉様……?」


僕が呼吸を整えていると、シャルルローゼスが突然、肩を震わせて泣き出した。頬に筋のような涙が走り、視線は真っ直ぐエイビスへ向かう。


「あの時、逃げてと言ったはずです。シャルは――私のために、死ぬ選択を取ろうとした。

結果としてシオン様のおかげで報われましたが、さきほど風の圧を“受ける”と決めたときも、シャルは自分の毒の性質を理解していた。腕がボロボロになるまで。二度と、あんなことはしないで欲しいのです」


言葉は穏やかだが、芯は鋭い。エイビスは頬を打った掌を握り込んで、震えを押し殺した。


「・・・どうして、御姉様はそこまでなさるのです。私などのために」


声は震えているが、言葉は整っている。エイビスは一度だけ瞬きをして、まっすぐ彼女を見た。


「あなたに生きてほしいのです。守られる側も、戦う側も、どちらもあなたの役目です。シオン様にも感謝しているのはもちろんですが、アルティウス学園の図書館に一人で過ごしていた時、あなたが話しかけてくれたあの楽しかったひと時を今でも思い出すことができます。シャルが私を大切に思っているように私もシャルに生きていてほしいのです。あなたは……私の妹なのですから」


最後の一句だけ、刃のように硬かった。シャルルローゼスが言葉を失うと、エイビスは険しい表情をゆっくり解き、目尻に溜めた涙を落としながら、彼女を抱きしめる。


「・・・妹、ですか」


シャルルローゼスは腕の中で小さく息を吸い、エイビスの肩に顔を寄せた。


「ありがとうございます、御姉様。シャルが浅はかでした。こんなことを言うのも急ですが、私達は血のつながった家族なんです」


その告白に、僕は思わず息を止めた。エイビスの腕がほんのわずかに強くなる。


「どういうことだい?」


僕が問うと、シャルルローゼスは涙の跡を拭い、丁寧に頷く。


「詳細は後ほど。証もあります。ですが今は――」


彼女の言葉を、冷たい電子音が裂いた。視線を上げると、壁の高い位置に埋め込まれた盤面で小さな灯りが連続して点滅している。カリーナが床に背を預けたまま、乾いた手つきでポケットの装置を押し込んだのだと理解するのに、時間は要らなかった。


「研究は、もう役目を終えた。標本も施設も、ここで方をつける」


感情の色は薄いまま、彼女は起き上がりかけて、代わりに床の軋みに体を預けた。廊下の奥で薬瓶が割れ、棚が崩れ、空気が変わる。広間の床材が徐々に弾力を失い、梁が小さく歪む。エイビスがシャルルローゼスを背に庇い、僕は剣を立てて周囲を見渡した。


「退避しよう。エイビス、シャルルローゼスは任せるよ」

「承知いたしました、シオン様」


僕らが動き出す寸前、床板が一段低く落ち、カリーナの足元が空を掴む。彼女の身体が、断ち割られた梁の間へ滑り落ちた。


「カリーナ!」


シャルルローゼスが反射で飛び込み、崩落の縁に身を投じて彼女の手首を掴む。細い指が白くなる。だが、シャルルローゼスには勢いが足りない。毒の余波で筋肉が重く、支えるのは自分の体重がぎりぎりで足場は砕けやすく、いつ崩れてもおかしくない。


「やめて、シャル!」


エイビスが叫ぶ。シャルルローゼスは首を振るだけで、手を離さない。カリーナは下から見上げ、呆れたように鼻で笑った。


「滑稽。ひどい仕打ちを受けた相手を助けるなんて。……でも、あなたには言っておく」


彼女は掴まれた手を自ら振りほどいた。落下の直前、短く言葉を投げる。


「異世界の扉を開いてくる奴に、気をつけなさい」

「待ってっ!」


シャルルローゼスは風を集中し、落下速度を殺す術式を編もうとした。だが、梁がさらに裂け、広間全体の重量が悲鳴を上げる。床が波のように沈み、柱が傾いてゆく。ここで足を止めれば、三人とも巻き込まれる。


「もう持たない。行くぞ!」


僕はシャルルローゼスの腰を抱え、エイビスの手をとって引き上げる。シャルルローゼスは最後まで下を見ていたが、やがて顔を上げ、小さく頷いた。


「シオンさん、もう大丈夫です。ここからは私も歩きます」


三人で風の通路へ飛び込む。エイビスが風圧を前へ押し出し、シャルルローゼスが光の帯で視界を開く。背後で層になっていた薬液が互いに反応し空気が熱を含んだ。木材が列を崩し研究棚が順に倒れ、奥で光が膨張する気配。次の瞬間、研究所の中心が白く膨れ押し広げる力が壁を破った。

僕たちは入口の外へ転がり出るように抜け、外気を肺に入れる。木立の間で空気が揺れ、古い梁が一斉に落ち施設全体が沈む。音は遠くに逃げ出し、やがて静けさだけが残った。


「・・・カリーナは?」


エイビスが息を整えながら問う。シャルルローゼスは立ち上がり、崩れた建物を見つめる。瞳にはまだ涙が残っているが、表情は正面を向いていた。


「見えません、御姉様。風でも探知できない状況です」

「あの言葉を聞く限り、多分もう会うことはないだろうね」


僕は剣を軽く傾け刃の反射を消した。カリーナが残すだろう逃げ道は、外壁のどこかにあるはずだ。だとしても、今の僕らにできるのは合流と再編だ。さきほどの警告の意味も、無視できない。


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