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変貌した大木のうち一体は、幹の中央を縮めて口のような裂け目をつくり、毒の霧と蔦を交互に吐き出していた。僕が距離を測っていると、オラクリエが槍の石突きを地に押し当て、いたずらっぽく笑う。
「口、閉じたままじゃ会話にならねぇ。開けさせてもらうぜ」
彼が低くつぶやくと、槍の穂先から新鮮な緑の蔦が芽吹いた。蔦は生き物のようにうねり、怪物の口縁へ食い込み、上下からこじ開けて固定する。木肌がきしむ。オラクリエは肩で息を整え、振り返った。
「ミカロ、今だ!」
「オラクリエの指示に乗り気はしないけど、今回は聞いてあげる。――セレス・カレイド!」
ミカロの杖先に細微な風の粒子が集まり、万華鏡のような層を作って回転する。光が乱反射して空間そのものが細片化されたみたいに見えた次の瞬間、破砕の風が開かれた口腔へ流れ込み、内側から切り刻み始めた。木の繊維がほどけ、結び目がほどけ、結局のところ形を保つという概念が剥がされていく。
「オラクリエ跳ね返りが来る。掴んで!」
ミカロは杖を踏み台にして身体をふわりと浮かせ、オラクリエの手を片方つかむ。足元から上昇気流が立ち上がり、二人の身体が射線の外へ滑る。風の粒子は口内で乱舞し続け、そこだけ時間が高速で摩耗していくかのようだった。
最後の繊維が切れたとき、怪物は形を失い、粉末と欠片の集合に変わった。風がそれらを巻き上げ、周囲の樹々に薄く降らせる。残響のような魔力のざわめきも、次第に弱まった。
オラクリエは空中で軽く身をひねり、ミカロの手を握り直す。
「命拾いだな。もう少しで俺もミンチの仲間入りだった。今度ご褒美に――」
「落ちたいの?」
「冗談だよ。ああ助けてくれてありがとう、ミカロちゃん」
「当然でしょ」
ミカロが唇の端だけで笑って、ふたりは地上へ滑るように降りた。僕はその様子を見届け、胸の奥の緊張をひとつ吐き出す。剣を拭い、鞘に戻そうと指をかけ――
「下がって、シオン君!」
セインが僕の肩を強く押した。身体の重心が崩れて草むらへ転がる。視界の端で小さな切り株のような影が跳ねた。黒紫の木肌に裂けた切り口の奥へ鈍く光る毒核。そこから霧が噴き出し、セインの横顔を覆う。
「セイン!」
肺の中で火炎が目覚めた。僕は草を払い、切り株のモンスターへ踏み込んだ。胴を割るのは無駄だ。核を中心点を一撃で仕留めてみせる。剣先に魔力を集め、浅い角度で切り口へ滑り込ませる。核が割れ毒の膜が萎み切り株は力を失って倒れた。
振り向くとセインは僕の方に銃口を向け待機
していた。引き金が落ち弾丸が僕のすぐ横の草むらを抉った。草の根元に潜んでいたもう一つの切り株が、核を砕かれて沈みこんでいく。
「・・・ごめん。シオン君を巻き込みたくなかったの。吸い込んだら、危ない濃度だったよ。大丈夫?」
「僕は平気だよ。セインこそ」
言い終える前に、セインの膝が落ちた。彼女は銃を下げ、いつもの調子の笑みを無理に作ろうとして、うまくいかず僕の胸元を指で軽く突く。
「ねえシオン君。こういう時、無茶は分担するの。わたしばかり真似しなくていいから。……ほんとに君が、無事でよかった」
そう言って、静かに意識を手放した。
「ミカロ!」
呼べば、風が返事のように集まる。ミカロが手をかざすと、セインの周囲の霧が帯状に束ねられ、中央部から外へ押し出される。毒の匂いが遠のく。
「霧はもう大丈夫。復元で治せるか確認するから動かさないで」
ミカロは膝をつき、掌をセインの喉元と胸骨の上に重ねる。古代語が静かな旋律で連なる。肌の上に複層の紋が浮かび、失われた機能を図面どおりに戻すみたいに、セインの体から赤紫の霧が抜けていき、微細な損傷を縫い直していく。セインの呼吸が浅い波から、すこしずつ安定したリズムに戻った。
「助かる見込みは?」
「十分ある。でも、解毒にはまだまだ時間が必要なの。ねえシオン」
ミカロは僕を見上げた。額の汗を拭わず、声だけがいつもより低い。
「シャルの復讐、あの子のまっすぐさは武器だけど、同時に刃にもなる。エイビスを守るために、自分を削る方向に進めようとするんじゃないかと私、思うの。エイビスならシャルを引き留められるかもしれないけど、彼女は彼女でシオンを優先して判断を後ろに倒す可能性がある。どっちも正しいけど、どっちも危険に思えるの」
「・・・だから、僕に行けと?」
「うん。ワタシはお姉ちゃんを治す。オラクリエには警戒を続けてもらう。シオンはあの二人に追いついて助けてあげて。あの二人が感情を泡立たせるとは思ってないけど心配なの」
「わかった」
オラクリエが槍を肩に担ぎ、ふざけた敬礼をしてみせる。
「任された。金銀姉妹達の面倒は俺が見ておく。セインちゃんの綺麗な瞳が見えないのは俺の心にも傷が入る」
「お姉ちゃんがアンタにお礼を言うまでは黙ってて」
ミカロが刺すように言い、でもすぐ小さく笑った。張りつめた糸がきしまずに保たれている。その事実が心強い。
僕は剣の柄を握り直し、セインの頬に一言だけ落とす。
「少し離れる。必ず戻るから、無理はしないで」
返事はない。ただ、呼吸の上下が確かであることがすべてだった。僕は頷き、オラクリエに視線で礼を送り、森の外縁へ走り出す。
木造の建物に続く道は、さっきまでの毒霧が嘘のように薄くなっていた。ミカロの風が仕事をしたのだろう。枝葉のすき間から差す光が、ところどころ白く漂う粉塵を照らす。先刻、粉になった大木の名残だ。踏むたびに靴裏が細かい粒子を押し分ける感覚がある。
シャルルローゼス。エイビス。呼びかける代わりに、ふたりの名前を胸の中で繰り返す。僕が今から運ぶのは力ではない。切っ先でもない。行き場を失いかけた想いを、もう一度同じ方向に向け直すための言葉だ。
木造の研究所が見えてくる。壁板は古く、ところどころ苔と蔦に浸食されている。扉は半ば開いていて、中から微かに人の気配。僕は足をゆるめず扉の向こうへ身を滑らせた。




