第11章
――この約二週間後、ゼンディラとフォスティンバーグ博士はコールドスリープ装置の中へ入ることになった。惑星メトシェラから出立した時とは違い、今度は本星エフェメラへ到着するまでの間、一度として目覚めることはないという。
そのために、ゼンディラと博士は二週間近くに渡るコールドスリープ・プログラムを受け、健康診断その他、問題ないことがわかると、指定された栄養価の高い食事を毎日たっぷり食べ、しっかり運動もして体調のほうを整えた。また、96.7%の確率によって安全性のほうは確立されているものの、極稀にコールドスリープから醒めない者がいるということも、十分説明を受けた上、書類のほうに電子サインを求められたのである。
「本当に、極稀なものですよ」
ゼンディラと博士の健康チェックを数回に渡って行った軍医は、感じよく笑ってそう言った。その顔の表情にはどこか、成功率が90%を越える手術前の外科医を思わせるところがある。
「私も、軍医として長く務めてますがね、今まで、たったの一度しか経験がありません。それに、解凍後、脳に異常さえ認められなければ……前もって用意しておいたクローンに脳そのものか、あるいは脳内データを移植することが出来ますし、宇宙軍の者は誰でも、惑星事業に参加する前、そのように準備するものです。一応、念のためにね。また、クローンを用意してなかったとしても、その後複製することだって可能ですし、オーダーメイドでなくてもいいなら、他の体に脳内データを移植し、復活を果たすということも出来るわけですから」
フォスティンバーグ博士のほうでは、惑星間航行に慣れていたためだろう。「いつものアレね」という具合に、書類のほうをよく読みもせずサインしていたが――ゼンディラはその全文を翻訳機によって読み上げてもらっていた。そして、彼にとって不明瞭であろう部分を、軍医のオリヴァー・ギンズバーグは丁寧に順に説明してくれたのである。
「目が覚めないなら目が覚めないで……わたしはそのまま死んだものと見なして埋葬して欲しいと思います。べつのもうひとりのわたしに記憶のデータを入れるとか、まったくべつの人間になることなど――わたしは絶対に受け入れることは出来ません」
この時、熊のように体格のいい軍医のギンズバーグは(困ったな)という顔をして、自分と同じ年齢の精神科医を見返していた。『博士のほうから、噛んで含めるようによく言い聞かせてもらえませんか?』とでも言いたげに。
だが、度重なる説得にも関わらず、ゼンディラの意志のほうは巌のように硬いものであり、その後も変わりはしなかったのである。そこで、ゼンディラ抜きの場で、フォスティンバーグ博士は途方に暮れたクマのようなギンズバーグに、こう言ったのだった。
「彼の身柄を欲しがっているのは実は、情報諜報庁なんですよ。実は、私のほうでも諜報庁がゼンディラの何を欲しがっているのかまではわかりません。ゆえに、万一彼の目が覚めなかった場合――まあ、まず滅多にないことであるのは、私も承知しています。そんなことが起きる率の高いのは、民間の、三流どころか四流の企業が造った安いコールドスリープ装置の場合でしょうからね。しかもその場合だって、安全性のほうは軽く90%を越えているし、そうでないと惑星法に触れて認可が下りませんから。それはさておき、ゼンディラの目が醒めなかった場合、情報諜報庁が特別の認可を出すような形で、必ず彼のことをなんらかの形で復活させるはずです。ですから、ここはこうしてはどうでしょう?ギンズバーグ先生のほうでは、ゼンディラの意志を尊重するような形で、彼のリビング・ウィルについて承諾し……万一のことが起きた場合は、その後のことは諜報庁のほうに委ねるということにしては?」
「そうでしたか」
この時、クマは蜂蜜でも与えられたように、パッとヒゲの濃い顔を瞬時にして輝かせた。
「そういうことであれば、問題のほうはあくまで書類上のことと割り切ることが私にも出来ますよ。まあ、コートⅡへやって来るまでの間も、何も問題なかったようですからね。大丈夫だろうとは思いますが……」
――といったようなやりとりのあったのち、ゼンディラはコールドスリープ装置に入るということになった。別名、氷の棺とも呼ばれるのが何故か、その原理についても彼は一応説明を受けてはいたが、それがそのまま死の棺となる可能性についてまで、そう深刻に考えてはいなかったといえる。というのも、ゼンディラの理解としては……眠るようにそのまま仮死状態となり、その後目覚めることがなかったとしても――自分はそれを<死>であるとすら理解しないまま、永眠することになるのだとしたら、それはある意味、この上もなく幸福な死ではないか……と、そのようにしか彼には思えなかったからである。
(少なくとも、ダリオスティンさまの死よりは、遥かに幸福な死と言えるだろう……訳もわからぬまま、これから生まれてくる子の顔を見ることさえなく、体を引き裂かれ、恐ろしい死を経験するより遥かに……)
また、ゼンディラの死生観として、ギンズバーグ医師にもフォスティンバーグ博士にも理解できなかったこととして、次のようなことがあっただろう。彼らはすでに人類が<不死>にも近い状態に至ってから数百年にもなる時代を生きていて、そちらの価値観のほうがあまりに「当たり前」のこととして身に染みついているのである。だが、ゼンディラの生まれ故郷の辺境惑星メトシェラは、平均寿命が未だ五十歳ほどの、病気による苦しみや死が親しい隣人として存在している惑星なのである。ゆえに、ゼンディラは僧ということもあったろうが、人間である以上必定天命としてもたらされる<死>というものを恐れていなかった。「人は必ずいつか死ぬ」……そして、ひとりひとりの人間が生きている間、いかに生命を輝かせて己を活かし、幸福であり続けることが出来るか――それは、ゼンディラが幼き頃より惑星メトシェラの全住民がそのような状態に達することが出来ますようにと、アスラ神及び宇宙の神ソステヌに祈り続けてきたことでもあった。
そしてこののち、ゼンディラは「<不死>を得た世界の、死ぬより恐ろしい出来事」についても伝え聞くということになるのだが……実はこうした意味において、ロドニアスやヨセフォス、またレディウムやオーレリアらが、ゾシマ長老が故郷の本星から五千光年も離れた惑星で客死することを選んだことに対し、いかに驚き、また理解に苦しんだかについて――実はこの時まだゼンディラは、本当の意味でまったく理解していなかったといえる。
* * * * * * *
「宇宙一厳しい」と称される入星審査をパスすると、こちらも宇宙一巨大と言われるエスタリオン宙港のロビーにて、ゼンディラは星府の司る、数え切れぬほど多くの省庁の中でも、一二を争うほど重要度が高いとされる、情報諜報庁の職員から迎えを受けていた。
あまりにも世間知らずのゼンディラのことを、ここまで一生懸命フォローしてきたフォスティンバーグ博士は、すでに疲労困憊の域に達していたが、諜報庁の警備局に属するガードウーマンふたりの姿を見ると、これでお役目ご免とばかり、ほっと胸を撫で下ろしていたと言える。
「わたくしはアレクサンドラ・ハイデンと申す者で、階級のほうは情報諜報庁大尉です」
彼女は私服仕様のジャンプ・スーツを着てゼンディラとフォスティンバーグ博士のことを出迎えた。隣にいた若い女性部下も、「メイフィールド・アップルです。諜報庁における階級は少尉です」と名乗ったのち、軽く敬礼したが、彼女もまたデザインの違うハイデンと同じスーツを着ていた。見た目、ふたりとも宙港へ惑星外の取引先の上客を迎えにきたビジネス・ウーマンのようにしか見えなかったかもしれない。だが、そのネクタイを締めた服の内側は、守るべき対象がいかなる危険にさらされようとも守ることの出来る装備がすべて備わっていたのである。
もっとも彼女たちは、辺境惑星からやって来る僧侶を出迎えるという任を受けた時、一般人の十倍の跳躍力によって飛べる力も、成人男性の五倍の力で相手を殴り飛ばすことの出来る喧嘩力も、相手を瞬時にして失神させることの出来る神経麻痺銃も、ビームサーベルも威嚇銃もガス弾もレーザー銃も……おそらく必要ないだろうとは予測していた。
今回の警備局に対する依頼は、情報諜報庁ESP部門長官、メルヴィル=メイウェザーの名が公式文書にサインされていたが、彼女たちは例の如く「いかなる理由によって護衛が必要なのか」という理由について、上層部に問いただしたりはしなかった。軍部の人間がちょうどそうであるように、彼女たちもまた上からの命令に関しては絶対のものとしてただ従うというそれだけである。
「やあ、これはどうもどうも」
男のようにさえ見える女性ふたりを前に、ゼンディラが若干戸惑ったような態度でいると、フォスティンバーグ博士は気を利かせて前に進み出、彼女たちと順に握手した。高位惑星系では見た目=そのままの年齢でないということがほとんどであるため、前髪をオールバックにした黒髪黒瞳のハイデン大尉が本当は何歳なのか、またブロンドの髪をクルーカットにしたアップル少尉の実年齢についてもわかりかねたが――それでも、アレクサンドラは大体三十代、アップルは二十代後半くらいに見えたものである。
「お聞き及びかもしれませんが、彼は故郷の惑星においての職業が僧侶でして、またそれのみならず、惑星外で具体的に知っている場所といえば裁判惑星ひとつきりでしてな。そちらで冤罪を晴らして本星へやって来たのでして……ゆえに少々、いえ、少々どころではありませんな。まだカルチャーショックのただ中にあるといった状態なんですよ」
コワモテの女性ふたりに遭遇し、対応にビビった……そのように受け止められかねないと感じ、フォスティンバーグ博士はそう一生懸命フォローした。実際、ゼンディラは宙港管理局に目をつけられなかったのが不思議なくらい、挙動不審であったのみならず、宙港審査官の質問に対する受け答えも、かなりのところあやふやかつ要を得ないものだったのである。だがそこはやはり、惑星パスポートの特記事項の欄に書き記されたふたつの文字がものを言った。そこにはただ、「IS」とあっただけなのだが、これは星府の暗号のひとつであり、他にいくつも暗号はあるが、とにかくそれらのアルファベットなり数字なりを見た審査官は、一通りしなければならない質疑応答ののち、相手の風体がいかに不審なものであれ――まず第一義的に審査を通すべき義務が生じるわけである。
もちろんそのあたり、フォスティンバーグも出来得る限り援護射撃しフォローした。また、ゼンディラが終始きょろきょろしてばかりいて、<関係者以外立入禁止>のデジタル表示も無視して、その奥へ立ち入ろうとした時にも、博士が全速力でそちらへ走っていったのは言うまでもないことである。そしてその後宙港警備員らに対して「田舎惑星のおのぼりさんなんですよ、私たちふたりとも。勝手がわかりませんで、相すみません」と、博士が必死であたふた弁解したのが何故だったかも……説明の必要のないことであったろう。
「それはそうでしょうね。私たちが宙港へ誰かを迎えに来るという時は、大抵それはスタリオンにとって重要人物である場合が多いわけですが……今回は依頼者がISのESP部門でしたから、よほどの大物だろうかと先ほどまでアップル少尉と話していたところです。顔写真については書類に載っていましたが、出身惑星についても、その他経歴等についても何も書き記されてなかったもので――まあ、我々は言われた通り、自分が仮に死んだとしてもガード対象者を守るのが仕事ですのでね。そのあたりについて、今からでも説明してくださいなどと、余計な詮索は致しません。ただ、少々いつもと違うといえば、宙港その他、本人の希望があれば首都エフェメイルを観光案内して欲しい……そのような指示があったことくらいでしょうか」
「そうですな。ゼンディラ、まずは食事などどうだね?コールドスリープ装置を出てから、暫くは固形物を食べられなかったから……そろそろ本式の食事が恋しくなったんじゃないかい?」
「いえ、そのようなことはまったくありません。食べるものがあるというだけでも十分贅沢なことですから……」
ゼンディラのこの謙虚な物言いには、流石のハイデン大尉もアップル少尉も顔を見合わせて驚き――そして破顔一笑した。
「では大尉、宙港名物のスカイ・ラウンジに僧侶さまを案内して差し上げるというのはいかがでしょうか?」
「それは実にいい案だな、アップル少尉。もちろん会計のほうはスタリオン持ちですから、一切なんの心配なく、なんでもお好きなものをご注文ください、お二方とも……」
「おお、それはなんとも有難い申し出ですな。ゼンディラ、是非ともそうしよう」
生まれ故郷がエフェメラであるフォスティンバーグ博士は、もちろん宙港エスタリオンを利用したのはこれが初めてではなく、何度となくある。だが、初めてやって来たゼンディラが食事をするのに、スカイ・ラウンジほどうってつけのない場所もないだろうと、そのように思ったのだった。
エスタリオン宙港は、地下三十七階層、そして地上百一階にも及ぶ、一日の総利用客が数百万人にも及ぶ、首都エフェメイルの郊外にありつつ、地下鉄によっても地上交通網によっても、あるいはスカイ・ロードによっても結ばれている巨大建造物である。一部は一般人住居、あるいは一般企業のオフィスとしても利用されているが、VR映画館やエア・ボード競技場、eスポーツスタジアムなど、各種電子娯楽施設も備えており――特にデパート系の商業施設やレストラン街は、首都中心部にも引けを取らないと『惑星エフェメラ観光ガイドブック』には書き記されている。
ゼンディラは裁判惑星コートⅡの運動場でも感じたのと似たことを、いくつも並ぶ透明なエレベーターを眺めながら感じていたかもしれない。黒や茶や金髪銀髪のみならず、赤やピンクや紺や紫、緑や蛍光黄緑などなど……さまざまな髪型・色合いの人々の群れ。そして、瞳の色のほうもすべての人が同様に多種多様だった。他に、ピアスやサークレットやブレスレットといった装身具にしてもそうだし、何よりファッションそのものがゼンディラの目には奇抜なものとして映っていた。
「そういえば……下位惑星系から来られた方というのは、自分たちの民族の持つ髪の色や瞳の色と異なる惑星の人々を見て驚くと聞いたことがあります」
それぞれ、横と後ろにガードのポジションを取りつつ、ハイデン大尉はそう言った。スマートエレベーター前には五十人以上の人々がいるが、迎えのカプセルは次々やって来るので、いつでもそう待たされることはない。
「私とアップル少尉は珍しく……というより、我々のような人間を一般に<自然派>と呼んだりするわけですが、私もアップル少尉も生まれた時と同じ髪の色と瞳の色をしています。ですが、この宙港の医療街の眼科にでもいけば、目の色を変えるのに五分とかかりませんし、カラーコンタクトによって毎日、その日の気分で色を変える人もまったく珍しくありません。髪の色のほうも、自宅にそのような自在に色合いを変えることの出来るヘアカラー・ドライヤーのあるのが普通ですから。でも、ミスター・ゼンディラは実に美しい髪色をしてらっしゃるから、色を変える必要自体ないかもしれませんね」
「本当に、とっても綺麗」
アップル少尉はちょうどゼンディラの後ろに立っていたため、彼の長い髪の毛を見ながらほう、と溜息を着いた。
「いえ、これはなんというか……わたしのいた僧院では、男は長髪にするのが普通だったのです。そういえば、カンザシが金属探知機に引っかかって手続きに手間どったのには驚きました。だって、その警備員の人ときたら、『これで人を殺すことだって出来ますからな』なんて言うんですよ。わたしがそんな人殺しをするような人間に見えますか?」
ここでも、フォスティンバーグ博士のみならず、ハイデン大尉とアップル少尉も、顔を見合わせて笑った。彼女たちは普段、業務をこなす時、スタリオンの最高評議会の議員たちがどんな面白いジョークを飛ばしていようとも――ぴくりとも表情筋を動かすことはない。だが、今回のボディガードにおいては、観光案内といった任務も含む以上、このくらいのほうが相応しいのだろうと思われた。
「まあ、その人たちもそれが仕事なんですよ。とにかく例外を認めずに四角四面に業務をこなし、少しでも基準を外れた者には説教をしたり難癖をつける――人間そっくりのアンドロイドに、まさしくうってつけの仕事というわけです」
ここで、彼らがカプセル・エレベーターに乗る順番がやって来たので、この話は一度それきりとなった。外側から見る分には透明に見えたカプセルは、中は水族館のようになっている。一基十二人乗りなのだが、ゼンディラ以外は実に乗り慣れた代物なのだろう。突然現れたマリン・ブルーの海、そこを泳ぐ魚の群れを見て驚いているのは彼だけで、そこになんらかの新鮮な感動を覚えた者は、他にひとりもいなかったようである。
「あ、ゼンディラさん。安全な乗り物なんですけどね、一応シートベルト締めてください」
アップル少尉は、自分のシートベルトを締める前に、ゼンディラの世話をしてから同じようにした。エレベーター内にいた者のうち三名は、先を急いででもいたのだろうか。明らかにこの数秒のロスを面白くなく思っている顔をしている。
カプセル・エレベーター内にボタンのようなものは、緊急時のそれ以外にはない。彼らはおのおの、「オフィス街、99階」だの、「eスタジアム入口」だの、「宇宙遊泳ディスコ、コスモまで」、「クラブ・コスモポリタン」、「ビューティークラス、マダムクライスラー」、「スカイ・ラウンジ、エスタリオン」……などなど、それぞれ行きたい場所について内蔵されているAIに話しかけるというそれだけだった。
彼女――AIエスタリシアは、人の耳に若い美しい女性を思わせる声色で、それぞれの行き先を行き先順に復唱し、早速出発した。エスタリシアはどの順番でどこへ行くのがもっとも時間の短縮になるかを即座に計算し……宙港内を縦横無尽に走る円環の中を最適速度によってカプセルを走行させるわけであった。この場合、スカイ・ラウンジのあるのは101階の最上階であったから、ゼンディラとフォスティンバーグ博士、ハイデン大尉、アップル少尉の四人は、最後まで残されることになったわけである。
ゼンディラが驚いたことには、水族館の景色がめくるめく変わったというだけでなく――マンタが泳いでいたかと思えば、今度はそれがマナティに変わりといった具合に――今度はそれがランダムに、宇宙中の惑星の絶景へと変化していったことだろうか。たとえば、地下七階にある『クラブ・コスモポリタン』から、次にeスポーツスタジアムへ向かう間は、惑星ジェンツァにある惑星神ジェスを祀った壮麗な神殿が、eスタジアムから宇宙遊泳ディスコ、COSMOへ向かう間は惑星シーヴァスにある、美しい植物園が……といった具合に、くるくると壁や天井、床の映像が変わってゆく。
もちろん、ゼンディラも慣れてくると、このシステムが例のホログラムと呼ばれるものだとわかりはじめてはいた。だがやはり、<美>というものに敏感で繊細な彼の心は、映像が変わるごとに驚きを持ってそのひとつひとつに感嘆せずにはいられなかったのである。
「ゼンディラさん、もしかして乗り物酔いしやすいほうだったりしますか?」
彼がただ<美>そのものに酔い痴れていると知らないアップルは、気遣わしげにそう聞いた。すると、同じようにゼンディラの沈黙を誤解した、虹色のモヒカンをした青年が――「あ、映像解除しちゃっていいっスよ」と言った。「カプセルに酔いやすい人って、動く映像見ちゃうからダメってよく言うでしょ?あとはもうオレたちだけっスから、まあべつにオレは景色なんかどうだっていいし」
宙港オフィスには、超一流企業ばかりが軒を連ねていると聞くが、この虹色モヒカンにピアスだらけ、鋲を打ったレザースーツ姿の男が一体なんの会社に用が……とは、ハイデン大尉もアップル少尉もフォスティンバーグ博士も何も言わなかった。ただ、ゼンディラだけが自分に気を遣ってくれたのだと感じ、「ありがとうございます(テス・セリオン・マ・ペール)」と丁寧にエスペリオール語で礼を言ったのだった。
こうして、モヒカン男がオフィス街99でエレベーターを降りると、まず最初にアップル少尉が「ぷーっ」と吹きだした。そして、何故彼女が笑ったかを察したハイデン大尉もまた、微苦笑する。フォスティンバーグ博士も、大体のところ理由はわかっていたため笑ったが、ただひとりゼンディラだけは、三人が何故笑っているのかわからず、きょとんとしたままでいる。
「ああ、ごめんなさい。あの虹色の髪って、本星や高位惑星系……あと、高位惑星系の流行のあおりを食いやすい中位惑星系では、大体ある周期で流行るものなんですよ。というか、ファッションの流行自体がそもそも、ある年は地球時代のヴィクトリア・ファッションを取り入れたものが流行ったかと思えば、その翌年はゴスロリ・ファッションとか……大体、ある周期で過去の一時期流行ったものが繰り返されるってことが多くって。さっきのモヒカン男のレザー・ファッションもそうなんですよ。それと同時に、流行なんてものもあってなきが如しで、みんなそれぞれもう好きな格好を楽しんでるわけでしょ。でも流石にあの虹モヒカンとレザー・ファッションって……彼、今一体どんな企業で働いてるのと思ったら、なんだかおかしくなってきちゃって」
「私も、色んな人間がレインボー・ヘアにしてるのは目にしてきたが、流石にモヒカンは見たことなかったな。しかも、ガンディス・モロンガ星人やディキシー・ロドニア星人でもあるまいし、あんなに耳やら顔やらへそやらにピアスの穴開けてたって……あれは一体何アピールなんだろうな。ガンディス・モロンガ星人は、ピアスの穴を開けてる男ほど勇敢であるとして女にモテるし、ディキシー・ロドニア星人は、戦争で武勲を立てるとか、部族で何かの功績のあった者のみ、その度にピアスをひとつ多く開けることが許される。つまり、ピアスをしている数が多い者ほど社会的に敬われるという立場なわけだ」
「いやいや、さっきの人の好さそうな彼だってわかりませんよ。ああ見えて実はオフィス街99の裏ボスなのかもしれないし……いや、もしかしたらCEOか何かだという可能性だってなくもないでしょうからな」
アップル少尉が「まっさかあ」と言い、ハイデン大尉が「ありえん」と言っているうちに、カプセル・エレベーターは101階のスカイラウンジ<エスタリオン>へ到着した。先にハイデン大尉が外に出、一応周囲を確認してからフォスティンバーグ博士、ゼンディラ、最後にしんがりを守るような形でアップル少尉が続く。「♪カプセルエレベーターのご利用、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」と言う、機械ボイスとは思えない、AIエスタリシアの温かみのある優しい声を彼らは背中で聞く。
「まあ、我々が食事してる間にテロリストが実は座席のどこかに潜んでいて超小型爆発物を仕込んでいる……なんてことはまずないでしょうが、とりあえず手続き上のこととして、アップル少尉と同席していただき、私は周囲に不審な人間がいないかどうかなどをチェックさせていただきたいと思います」
「えっ!?ハイデン大尉、いいんですか?」
メイフィールド・アップルは、ぱっと嬉しそうに顔を輝かせてそう聞いた。
「そもそも私は口下手なほうだからな。ゼンディラ氏やフォスティンバーグ博士が一緒に食事をしていて場を和ませられるのは君のほうだと思う。とりあえず私は隣のほうの座席で目を光らせつつ、無事ガード対象者を宙港で迎えることが出来たことなどを上へ報告しておこうと思うんだ」
「誰もわたしのことなぞ狙ったりはしませんよ」
ゼンディラはそう言って笑ったが、アレクサンドラ・ハイデンのほうは真顔のままだった。
「いえ、私たちはこれが仕事なのです。たとえば、テロリストが窓から小型ドローンを操作して爆発物を投げ込んできたり、飛行物に乗って撃ってきたり……普通に考えてまずありえないことでも、1%くらいはその可能性もあるとして行動できない者に、この任はまずもって務まりません。また、本来であれば我々のことは基本的に『いないもの』と思っていただくのが常なのですが、今回はあくまで特例ということになりますのでね」
「ですが、あなたたちは女性なのに……わたしの惑星ではね、将来子供を生む可能性のある女性ひとりのために、十人の男が命を投げだすのは当然のことである――という、そうした価値観なんですよ。ですから、なんとも奇妙です。本来であれば、わたしがあなたたちふたりのために、それぞれ十回ずつわたしの命を投げださなければならないはずなのにと、そう思うと……」
ゼンディラのこの言葉を聞くと、ハイデン大尉もアップル少尉も笑った。繰り返すが、彼らは任務中にこんなにも笑ったのは、これが初めての経験だったと言ってよい。
「ミスター・ゼンディラの興味深い話をさらに詳しく聞きたいところではあるが……なんにしても早く食事にしましょう。アップル少尉、食事中におふたりと今後の首都観光について、少し話し合うといい。遅くなったら今夜はホテルへ宿泊し、情報諜報庁へ向かうのは明日以降でも良いそうだから」
ここで、フォスティンバーグ博士は少しばかりハッとした。ハイデン大尉は眼鏡をしていなかったが、コンタクト、あるいは内耳に入れた通信管によって、自分たちと話したりする間も――彼女の直属の上司らとすでに連絡を取りあっていたのだろう。簡単にいえばこれは、ここまでしてきた自分たちの会話もすべて向こうに筒抜けだということを意味している。
博士の若干の不快感に気づいたのだろうか。ハイデンは「非礼をお詫びする」とでもいうように、彼に向かって軽く礼をしてみせた。
(つまり、おそらくこれは……すでにESP部門の長官とまでは言わなくても、彼の部下の誰かしらが今この瞬間も我々のことを『見ている』ということだ。やれやれ。これだから私は本星内でスタリオンの仕事をするのが嫌で、惑星外で仕事するようにしてきたというのにな……)
だが、このこともまた、特殊部隊員と同じく、何故か暫く本星を離れているといつしか恋しくなり、そしてエフェメラで暫く過ごすうち、やはり本星で暮らすことが嫌になり、外の惑星へと飛び出す――大体このことを繰り返す、中~上位所得者というのは多いものなのである(また、この周期を自覚している者は、バカンス時に惑星の外へ旅立ち、再び戻ってくるというサイクルを意識的に作りだすようにしているという)。
もちろんフォスティンバーグ博士は、こうしたことをあえてゼンディラに告げることはしなかった。だが食事後、同じ101階にある<天空のブランコ>と呼ばれるアトラクションを楽しむ間も、博士の心はやはり曇ったままだった。一方ゼンディラはといえば、まず先に天空のレストランと呼ばれるスカイラウンジ、<エスタリオン>に一歩足を踏み入れた途端、今まで見た何よりも驚きを禁じえなかったものである。文字通り、そのレストランは雲の上にあった。そしてその瞬間ゼンディラが感じたのは――アスラ=レイソルが天女とともに天空へ昇っていった時も、このような光景を彼は目にしたのではないかということだったのである。
天使を思わせるような白い衣を着た案内係が、四人を案内しようとしたが、ハイデン大尉は彼に、「私はこの三人のボディガードだから、私の目にはこの虚飾を剥いだ真の姿が見えるようにしてもらいたい」と申し出たわけである。だがやはり、虚飾と聞いてもゼンディラには信じられなかった。もちろん、頭の中で一応理解してはいる。先ほど乗ったカプセル・エレベーターの内部で見たものの拡大版と考えればいいのだろう。けれど、ゼンディラは足が竦むあまり、一歩前に踏み出すことが出来ないほどだったのである。
「大丈夫ですよ、ゼンディラさん。ほら、あの案内役のお兄さんだって、足の下に白い雲と空の水色しかないけど、ちゃんと立ってるでしょう?」
「でも、彼は天使だから……」
ここで、意地の悪い残りの三人は、やはり笑いを禁じえなかった。実をいうと、三人はそのように示し合わせたわけではなかったが、この辺境惑星出身の純真な僧が、一度種がわかってしまえばどうということもないこのトリックにどう反応するかと、つい楽しんで見守ってしまったわけである。
「ほら、ゼンディラさん、こっちへ来てみてくださーい。わたしだって天使じゃないけど、べつにどうってこともないでしょ?」
まず、アップル少尉がそのように言って前へ進みでた。さらに彼女は、空と雲の映像が映っているだけの床を靴の裏で軽く叩いてみせる。ここでゼンディラはようやく安心し、一歩を踏みだしたのであるが――やはり、自分がどのくらい高い場所にいるかというのは、足下の対象物によって強く意識されるものであり、彼はこのスカイ・ラウンジの窓から見晴るかすことの出来るエフェメイル市街を眼下におさめて……思わずくらりと立ちくらみが起きそうになるほどだったのである。
「あっ、ゼンディラさんっ!あんまり下見ないほうがいいかもですね。なんだったら、わたしに捕まってみてください」
アップルが役得とばかり手を差し伸ばすと、ゼンディラは震える手で彼女の腕に捕まった。(なんて可愛らしい、純粋な人かしら……)そう思い、少尉は胸の奥がきゅんとしてしまう。
「ありがとう。そうだね。こんなのは全部偽りの映像だと、一応頭ではわかってるつもりなのに……」
「いえ、無理もないですよ。首都出身の方でも、初めてこられた方の中には、同じような反応を示す方って、大体100人にひとりくらいの割合でおられますから」
この物の言い方で、アップル少尉はすぐピンと来た。
「っていうことはあなた、もしかしなくてもアンドロイドね?」
「そうです。案内係のアンドロイド・エンジェルで~す」
とても機械的に計算されたものとは思えない、最高の接客スマイルでエンジェルは言った。きっと、陽気で明るく楽しく、人を不快にさせない……等々と、性格付けがなされているに違いない。だが、このような一見見た目が人と見分けのつかないアンドロイドでも、造り主がその気になれば「高所に恐怖を覚える」回路を脳内に作りだすことは可能であり、こうしたところが科学を高度に極めた文明世界の問題点だったと言えるだろう。
フォスティンバーグ博士はもちろん、少しも怯えるでもなく雲の上をスタスタ歩き、ハイデン大尉にしてもそれはまったく同様であった。実際、案内係エンジェルの後ろをついて歩けばこそ、壁にも何にもぶち当たらないのであって――この手の技術に慣れすぎるくらい慣れ切っている人物であれば、注意深く周囲にあるだろう壁に手で触れることは当然したに違いない。
また、ハイデン大尉は三人が個室に入ると、その隣の部屋で周囲の様子を見守ることにした。依然、ゼンディラの目には周囲は雲と空、そして足の下には首都エフェメイルの市街地が広がっていたが、雲の椅子に一度座って姿勢が安定すると、ようやくのことで少しずつ心が落ち着いてくる。空と雲がある種のテーブルクロスのようにテーブルの一面を覆っていたが、アンドロイド・エンジェルがスイッチを押して起動すると、そこには電子メニュー表が人数分表示されるといった仕掛けだった。
「何が書いてあるのか、さっぱりわかりません」
ゼンディラは溜息を着いたが、もし仮にそのメニュー表がシェフェーラー語で書かれてあったとしても、やはり彼には何を注文してよいやら、理解不能であったことだろう。何故ならそこには、『今が旬!!ロンシュタット湖のレインボー・トラウト丼』とか、『惑星セヴィリア産牛肉使用!!牛ヒレ肉のロッシーニ風』、『悪魔の舌も満足するこの一品!!鶏もも肉のディアブル風』、『騙されたと思ってご賞味あれ!惑星エスカルゴ産かたつむり入りパエリア』、『デザート・レボリューション!口の中で味が順に変わる七変化アイスクリーム』、『これを食べれば惑星シーザーのシーザー王も踊りだす!栄養満点、27品目のサラダ』……などとあったからである(ちなみに、シーザー星の人々は爬虫類型人類で、顔がワニに似ていたが、セト人と呼ばれるこの人々は草食で、美味しいサラダに目がないと言われている)。けれど、文字を補うものとして、隣に3D画像が表示されるようになっているため、ゼンディラはフォスティンバーグ博士やアップル少尉と相談しつつ、美味しそうに見える料理を幾皿かようやくのことで注文したのだった。
「ゼンディラ、君は僧であるがゆえにお酒を飲まないのだったね」
「はい。アルテミスβの食堂でノンアルコールのビールならいいだろうと言われましたが、その種のものは一切口にしようと思いません」
「あ、わたしも一応勤務中ですので……頼むとしたら博士だけご注文なさってくたさい。せっかくスカイラウンジに来たんですから、軽く酔い心地にでもならなきゃ人生つまらないってものですからね。どうぞ、遠慮などなさらず……」
――こういった会話を、ハイデン大尉は壁一枚隔てた隣室で聞いていた。といっても、何もコップを片手に聞き耳を立てていたわけではない。案内係兼ウェーターでもあるエンジェルは、ハイデン大尉にも注文を取りに来たが、彼女は高級料理店にて「ミネラルウォーター」を一杯頼んだという、それだけだった。
そして、エンジェルがニコニコと愛想良く水を一杯置き、決して嫌味ではなく「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていくと……ハイデン大尉は手首のパーツをぱかりと開け、そこから一本細い配線を引くと、空と雲のテーブル内にある端末のほうへ繋いだ。途端、雲も空もすべてがまったく消えてなくなり、偽りの天国的映像は彼方へと飛び去ってゆく。実際のところ、こんな映像技術は自宅でも堪能できるものなので、単に食事の味のみを楽しみに来る客の中には「くだらん虚飾など消してくれたまえ」と頼む者などいくらもいるわけである。そこで、椅子は座り心地のよい最上級のそれや、テーブルにしても人工大理石で出来ていたりするわけだった。
ハイデン大尉は、レストラン中の監視カメラの位置を瞬時にして把握し、どのテーブル席にどのような人物が何名いるかなどを順にチェックしていった。個室とはいえ、隣の部屋から家族団欒の笑い声が聞こえてきたり、恋人同士の愛の囁きや戯れが聞こえてきたのでは、純粋に料理を楽しめない客もいることだろう。もっとも、そうしたことが理由というよりも、本星エフェメラにおいては大抵ほとんどの建築物の壁に盗聴防止素材が使われているのが一般的である。これはどんなに薄い壁でも間にこの素材を挟めておくだけで、盗聴を防止するのみならず、極めて高い防音効果をも発揮する代物だった。つまり、たとえて言うならば、今ここでハイデン大尉が職務怠慢になり、突然ひとりカラオケ大会をマイク片手にはじめようとも――両隣の客には一切何も聞こえぬほど、その防音効果は極めて高い。
もちろん、ハイデン大尉は真面目な人物だったので、当然そのようなことをするはずもなく、彼女はゼンディラとフォスティンバーグ博士、それにアップル少尉の隣の席にいる一般客三名を眺めると、とりあえず安堵した。いかにも人畜無害といった顔つきの男性三名が、美食家を気取り、料理の品やワインについて薀蓄を語りあっている様子だったからである。
その昔、要人のボディガードといえば、そのようにプログラムされたアンドロイドが使用されるのが一般的だった時代がある。だが、アンドロイドをウイルスに感染させて操り、惑星最高評議会議員のひとりが暗殺されて以降――半機械化された人間がこの任に当たるようになった。高位惑星系でもっとも嫌われている職業といえば警察官であるが、ハイデン大尉もアップル少尉も、父方の家系がエリート警察官であったため、同じように半機械化された父の肉体を見て育ったためだろう。任務のために自分の体を造り変えることに特別抵抗はなかった。もっとも、同じく半機械化している同僚がマインドハックされ、自らもテロリストの分子爆弾を食らい、首から下の肉体を失ったことのあるアレクサンドラは……処刑された同僚のように、自分もまたいつ知らぬ間にウイルスに感染し、マインドハックされるかもわからぬ危険と恐怖、以前は運よく脳が無事であったため復活できたが、次はまともに全身に別のナノ兵器を食らい、自分がいつ死んだともわからず死亡するかも知れない――そのような恐怖と不安と戦いつつ、常に彼女は任務をこなしてきた。
(今回の任務はまあ、なんとも言えないボーナス勤務といったところだな。この辺境惑星の僧侶殿は、まだ会ったばかりだというのに、彼のような人間を守るためならば……いや、いつでも彼のような人間を守るためならば、私でもアップルでも他の誰でも、命の投げだし甲斐があろうというものだ)
だが、実際の彼女たちの任務というのは大抵が、他星の既得権益のことしかない政治家や名だたる資産家など、(このような人間のために負傷したり、命を失ったところでなんの意味があるだろうか)と感じる人間ばかりだった。ボディガード業務というのは実に皮肉なもので、ガード対象者がトイレへ行く時にも同行するのが普通であったから、相手が「実はどのような人間か」というのは、家族や友人とどんな会話をしているか、あるいは部下にどのような態度で接しているかなど、如実に間近で観察せざるをえないということになるのである。
こうした人間たちを何百人となく見てきたハイデン大尉やアップル少尉だったから、ゼンディラを見ていてはっきりわかることがあったのだ。(彼は、他の人間とは絶対的に何かが違う)ということが……そしてこの時、アップル少尉がともにいたため、彼らが食事中の会話といったものについては、彼女は聞く必要がなかったわけだが――それでも、万一なんらかの襲撃者があった場合に備え、監視カメラで三人や、壁を隔ててその周囲で食事する人々の風景、廊下を動く人物やアンドロイドの動向を見ながら……(ゼンディラやフォスティンバーグ博士を狙ったのでなくても、このスカイラウンジや宙港それ自体が本星の輝かしい威信の象徴みたいなものだからな。第一、そもそもエスタリオン宙港全体が、常に警戒レベルAにも近い監視体制下にある。つまり、なんらかのテロ事件に偶然巻き込まれる可能性というのも、まったくのゼロではないということだ)そのようにアレクサンドラは考え、耳のピアスを外すと、インテリジェンス・サービスのAIシステム<エレクトラ>に「現在、エスタリオン宙港において、テロ事件の起きそうな可能性はどのくらいか」と、一応聞いておくことにしたのである。
『少々お待ちくださいませ』……という、<エレクトラ>の聞きなれた事務的な声音が、ハイデン大尉の脳内に直接響き渡る。彼女は情報諜報庁の情報分析官ほどではないが、脳の一部に超高速集積回路を組み込んでいた。『現在、宙港におけるすべての部署の連絡回路を開き可能性を精査しましたが、エスタリオン宙港内においてテロの起きる可能性は9.326%です』
「ありがとう、エレクトラ」
『いいえ、どういたしまして』
一応機械に対し礼を言ってはみたものの、アレクサンドラはやはり失笑を禁じえない。アレクサンドラはエスタリオン宙港にて、ボディガードの任に当たったことが数え切れないほどあるからわかるのだが……大体、平時であれば常に<エレクトラ>は7~9%程度、テロの可能性があると告げることが多い。
(やれやれ。宙港内はすべてナノ監視システムの管制下にあって、どこにもほぼ死角はないくらいなのに……危険度が10%近くもあるというのは――間違いなく問題があるはずなのに、『AIはどのようなありえない危険性も計算に入れるからだろう』というのが上層部の判断なんだからな。それで、何か事が起きれば、それは必ず「誰かのせい」、「何かのせい」にされなければならない……私も、一体何を好きこのんでこんな厄介な業務にかかずりあっているのやら)
資産も、電子通帳の貯蓄額も、結構なものが貯まったら即時引退――大抵の公務員志望の人間は、働きはじめた当初、そのように考えるのが普通だったろう。だが、ここ本星エフェメラのみならず、高位惑星系の人間というのは、多くの病いを克服し、いくらでも寿命を延ばそうと思えば延ばせる<不死>にも近い状態にあるのだ。そうなるとどういうことになるだろうか?一般に定年と呼ばれる年齢まで働き、年金も得たとしよう。だが、その後一切働かなかったとすれば、よほどうまく投資運用でもしない限り、贅沢できるでもなく、ただひたすら生活を切り詰めるだけで、「なんのためにわたしは生きているのだろう?」という事態にもなりかねないというものだ。
(もっとも、本星にはホームレスはいないに等しいし、最下層階級市民にしても、生活のほうは手厚く保障されてもいる。だが、中級市民や上級市民が下層階級に落ちるのは、お家の恥というものだからな……)
かくして、「なんたのためにわたしは生きているのだろう?」、「働いているのだろう?」と疑問に感じつつ、自分の職業にしがみつき続ける者が多い高位惑星系の現状というのは――なんとも皮肉なものだと言えたに違いない。
(基本的に、高位惑星の者は中位惑星系の者や下位惑星系の者を、自分たちよりも下の者であるとして、軽く見ようとする傾向にあるわけだが……中位惑星系はまだ人の命に十分限りがあり、色々な意味でバランスが取れている分、そこに住む人々も<幸福>と言えただろう。そして、下位惑星系の住民といえば、高位惑星系の人間は「つきあうに値いしない原住民」と呼んだりするが、決してそんなことはない。むしろ、寿命が短い分、彼らのほうが豊かな生命力に溢れており、すべてが自然であるがゆえに、より人間的なのだ。むしろ、今の中位惑星のみならず、すべての辺境惑星に至るまでがここ本星のようになるとしたら――おそらくその時にはすでに、何かが飽和状態となり、今のような形では人類は存続しえないに違いない……)
アレクサンドラ・ハイデンは、職業柄ということもあっただろうが、人を見る目に富んでおり、直観力や洞察力にも極めて優れていた。ゆえに、ゼンディラという辺境惑星出身の僧と極短い間接しただけでも、彼についてわかるところがあったのである。
(ここエフェメラか、ローゼリアでもどこでもいいが、とにかく上位惑星系に、もし彼のように純粋で清らかな人間が生まれたとしても、成長過程ですっかり何かが歪められて変わってしまうことだろう。おそらく、そのような歪みを取り除くためには、下位惑星系の住民たちのような生活が必要なのだ。そこでは人の命には限りがあり、ひどい病気や災厄によって人間はなすすべもなく死ぬ運命にある……そして人はいるかいないかもわからぬ神にしがみつき、いいことがあれば神に感謝し、悪いことが起きれば恨みや激しい怒りを覚える日々を送るのだろう。だが、文明を極めたにも近い高位惑星系の人間たちが本当に幸せかといえば――決してそうとも言い切れないわけだ……)
ハイデン大尉は、ゼンディラたちが食事を終え、座席から腰を上げるのを見て、手首の配線を戻すと、ミネラルウォーターを一口飲んだ。このタイミングで外へ出たとすれば気味悪がられるかもしれないが、どうやらフォスティンバーグ博士は事態をよく飲み込んでいるようだったし、ゼンディラのほうではなんの疑いも抱くことすらないと彼女にはわかっていた。
(そうだ。そして我々高位惑星系の人間にもっとも必要なのは……彼の文明に汚されていないかの如き純粋性なのだろうが、一体どうしたものだろうな。それは一度人間から失われると、どうやらもう取り戻すことの出来ないものなのだろう。だからこそ、我々はむしろ謙虚な気持ちで今、下位惑星系の住民に何かを学ばなければならない。だが、「あんな下等な原住民から我々が学ぶことなど何ひとつない」という考えの人間が多数を占めているというのがおそらく問題なのだろうな……)
アレクサンドラは、あくまで偶然を装いつつゼンディラたちと合流したが、フォスティンバーグ博士は彼女と目があうと、やはり複雑そうな顔の表情をしていた。もちろん、人のプライヴェートやプライヴァシーに深く関わるのが当たり前という職業であるとはいえ、ハイデン大尉は十分承知してもいたのだ。もし自分が彼の立場であったとすれば、隣に観察者兼盗聴主のような人間がぴたりとゴミ虫のようにくっついていると前もってわかっていたら――本来美味しいはずの料理の味が格段に落ちるのは間違いないだろうということは。
とはいえ、本星エフェメラ出身の者は、次のことをよく理解してもいる。首都エフェメイルのみならず、ほとんどの地方都市においても、人の肉眼によってはもはや視認できないサイズのナノ・カメラ網が張り巡らされ、人は信号無視に至るまで、どのような小さな形の罪からも逃れることが出来ないのが普通である。だが、人間というのはやはり、「そのようなものがある」と頭の隅のほうで理解しているとはいえ、目に見えないカメラを24時間いつでも意識して暮らすということは出来ない。ゆえに、そのようなものは結局目に見えないのだから、一旦「ないもの」として監視の目についてなどまったく意識せずに暮らしているのが通常である。また、高位惑星系においてもっとも嫌われている職業は<警察官>であるが、その理由もこのあたりのことに起因している。何故なら、誰かが何かしらの事件や事故に巻き込まれたといった場合――その者の体内に埋め込まれたナノ・コンピューター経由で記憶の閲覧をされるというのが、捜査の初期段階のひとつだからである。何ひとつとしてやましいところのない人間でも、記憶の閲覧を受けるのは不愉快なものであり、こうして警察官というのは、その車輌が道に止まっているのを見かけただけで避けられる……というくらい、高位惑星系の人間たちから忌み嫌われているわけであった。
ゆえに、こうした環境の中生まれ育ったダニエル・フォスティンバーグ博士は、ハイデン大尉やアップル少尉の立場について、重々理解してもいたということなのである。
>>続く。




