母
仕方なく家に帰ってきた。粘ってはみたものの、深琴は頑なだった。どうしてしまったのだろうか。どうして君が一番輝いていた世界から、埃っぽく薄暗い塔に戻ってしまったのか。
朧月を見ながら皿洗いをしていると、おじいちゃんが話しかけてきた。
「道流、来なさい」
「わかったよ、これ終わったら行くね」
だが、おじいちゃんは神妙な面持ちで今している事を中断しなさいと言った。
どうしてだろうか、まるで怒られにいくみたいで密かに溜息をついた。
テーブルに着くと、いつものおじいちゃんだった。椅子にもたれると、おじいちゃんは湯飲みに茶を淹れてくれる。それを最後まで見届けると、おじいちゃんは「昔話をしようか」と口を開いた。
おじいちゃんの視線は、僕の胸元に合わさる。ペンダントだ。
「それは道流の母親があげた形見だろう」
うん、と返事をする。
「道流は。母親、友恵との最後の記憶はいつじゃったか」
僕は両手を固く握った。そして天井を見上げる。お母さんとの記憶の限界を探す。
「僕は、青い海を見て無邪気に微笑んでいる。それから」
言い出して、少し呼吸が苦しくなった。
「それから、服の匂い。それから、体温。それから」
胸元のペンダントを、天井ランプに透かす。
「このペンダント」
断片的にいうことしかできなかった。おじいちゃんは、頷いた。
「道流が七歳くらいの時だった。友恵は、自分の死期がわかっていたのだろう。動物と同じで人間も自分が死ぬのを悟る生き物じゃ。友恵は、知らせもなくこの家に道流を連れてきてしばらくここで暮らした。その後は病床に伏してたがの、どうやってきたのかはわからん。今は遠い昔の話じゃがの」
それから、まもなく息を引き取った。おじいちゃんはその後の話を全て僕にしてくれた。懐かしそうに語るおじいちゃんの話を、遮ることはできなかった。




