魔神の使徒と雲の勇者
同じ異世界人同士の場合、元々の身体能力の差はほとんど意味をなさず、その実力は与えられた魔法や元より習得している武術などの技量に左右される。
三角絞めを力ずくで解こうとしたが、羽風の力も強く片腕だけで振りほどくことはできなかった。
ならばと、薙刀を手元で回し、羽風を斬りつけようとする。
だが、刃が触れる前に当たりそうな場所の体を彼女の属性魔法である水蒸気に変えられてしまうので、薙刀の刃は空振りするばかりだった。
その割に肝心の首を締め上げている両足を解くことはないのだから、恐れ入る。
「ぐっ………!」
この真紅の鎧には、障壁の力があるので不要と考えられたのか、魔神の加護が備わっていない。そのため、羽風に属性魔法を行使することを妨害することができない。
薙刀には魔神の加護があるため、こちらは当たれば羽風の属性魔法を無効にしその厄介な回避を行えなくすることも可能だが。
羽風自身の意思で戦っているとすれば、普通の武器では傷をつけることができないその属性魔法の力に頼り回避しようとはしないものと思っていたのだが、羽風は薙刀の刃を警戒しているらしく必ず当たる前に交わしている。
エンズォーヌは魔族領に近かった大陸に拠点を構えていた、この世界に長く存在している古参の邪神である。魔神の加護に関しても詳しいようすなので、警戒しているのだろう。
力任せが通用しない上に魔神の加護に対する対策を備えている勇者というのは、想像以上にやりづらい相手だ。
そうこうしているうちに、羽風がさらに強く首を絞め上げてきた。
現状の仰向けにされている状態では、抜け出すのは困難である。
「あがっ………!」
何とか体勢を変えようと試みるが、羽風の方もそう簡単に返させてはくれないらしく、押さえ付けられる。
さらに薙刀を握る手首を曲げられ、関節を外された上に武器を取り落としてしまった。
「チッ………!」
思わず舌打ちをこぼす。
しかし逆上したところで突破口が見つかるわけでもない。冷静さを欠いては、余計に状況を悪化させるだけだろう。
さらに羽風は腕を脇に抱え込むように持ち替えてから、肘の関節まで壊した。
「ガッ………!」
肘は効いた。
思わずうめき声を漏らす。
いかに異世界人の超人的な回復力を持ってしても、右腕はしばらく使いものにならない。
『ハッハッハッ! 思い知ったか、魔神の使徒め! 我が傀儡となった勇者の前に、手も足も出ないようだな! いや〜、いいもの拾ったわ!』
上機嫌なエンズォーヌの声が響き渡る。
確かに、こちらは手も足も出ない現状である。
武器はとり落とし、片腕をやられてしまい、三角絞めから抜け出せていない。
魔神の宝物庫が使えないため、ゴーレムも使えない。
外界から隔絶されているため、助けも呼べない。呼べるとしても、グラヴノトプスを呼ぶつもりはないが。
一瞬、壊された右腕と首を締め上げている羽風の脚の力が緩む。
それは好機だったのだが、右腕の痛みのためにその好機を逃してしまう。
羽風は俺の右腕を外すと、すかさず首に脹脛を回し、今度は首4の字固めを仕掛けてきた。
「グアッ………!」
その細い脚に似合わない力がもたらす圧迫に、首が悲鳴をあげる。
「クッ………」
このままでは首を折られると感じた俺は、まだ動かせる方の腕を振り上げて地面に叩きつけ、床を破壊した。
その衝撃と崩れた床によりバランスを崩したことで、俺の首を絞めていた羽風の脚が緩む。
その隙にすかさず羽風の脚から抜け出し、急いで距離を取る。
羽風はその場に立ち上がるだけで、追撃をしかけてはこなかった。
仕切り直しとなるが、こちらは薙刀を落とした上に右腕も使えなくなってしまった。
それに対して羽風は五体満足のままである。
『また壊したのかよ、おい!』
そして、エンズォーヌが騒いでいる。
出てこないならば、エンズォーヌの方は無視する。
しかし、真紅の鎧は障壁の力によりあらゆる干渉を拒絶するものだが、所詮は鎧に過ぎず戦い方によっては容易く使用者を追い詰めることができるという事実を、この短い攻防で身を以て知らしめられた。
夜刀との試合で最後には力ずくに頼るのと同じように、俺は魔神の宝物に対して頼りすぎだったらしい。
確かに、魔神の加護は属性魔法を頼りに戦う的には圧倒的に有利ではある。
だが、有利というだけであり、無敵ではない。
当たれば魔法が使えなくなるならば当たる前に交わせばいい。攻撃が効かない鎧を着ている相手ならば関節技で中身を壊せばいい。立ち回りを工夫するだけで、勇者の天敵である魔神の使徒相手にもこうして戦える。
魔神の加護があれば属性魔法を打ち消すことができる。異世界人としての超人的な身体能力があれば邪神族のような化け物とも戦える。
だが、獣でも戦うときには知恵を使う。常人ならば、その獣を狩るために罠を、道具を、人手を、あらゆる手段を講じて使う。
待ちうる力を活かさず、力任せに戦うのは、畜生にすら劣る愚か者のやり方だ。
全く、腕を壊されてようやくその点に気づくあたり、俺も相当だろう。
このようなザマでは天野 光聖の首に手が届くわけもない。
方や言動だけは小物くさいかもしれないが、エンズォーヌは俺に対して非常に有効な対策を仕掛けてきた。
相手を舐めていたのは、傲慢だったのは俺の方だったということなのだろう。
「………ふぅ」
深呼吸をして、改めて羽風と向き合った。
まずは敵の情報である。
彼女もまた勇者の1人ならば、扱うのは属性魔法だろう。薙刀を交わす際には煙になっていたから、蒸気だろうか?
煙である場合、兜を覆われただけで俺は負けていた。
呼吸に関する知識をエンズォーヌが持っていないということもあり得るが、呼吸困難に追い込む一酸化炭素ではなく、色や無臭だった点を考慮するならば水蒸気と判断したほうがいいかもしれない。
あるいは、羽風がグラヴノトプスの言っていた【毒薔薇】という可能性もあるが、それこそ毒の霧を使えばすぐにでも決着がついただろう。さすがに駒にした勇者の属性魔法くらいは、エンズォーヌも把握していると思う。
水蒸気というならば、連想するのは【空】か【雲】になるだろうか。
それもまた、戦ってみなければ確信は得られないだろう。
とはいえ、羽風は護身術を使う。それこそ素人ならば男でも組み伏せられそうな技量だ。
無策で殴り掛かれば左腕もすぐに折られることになる。
ならばどうするかということだが、距離をとって仕掛けてみることにする。
というわけで、床を踏み壊して手頃な大きさの岩塊を作り、投げつけた。
『壊すなぁ!』
エンズォーヌの悲鳴が響き渡る中、羽風はその攻撃をかわすそぶりも見せない。
しかし岩塊が当たった箇所は、まるでそういうふうにできていたかのように真っ白な煙に姿を変えて岩塊をすり抜けた。
やはり気体の類か。
もう一度床を踏み壊して岩塊を作る。
『止めい! 勇者よ、奴を倒せェ!』
しかし、それを投げつける前にエンズォーヌが羽風をけしかけてきた。
走ってきた羽風の顔面めがけて岩塊を投げつける。
しかし、やはり同じように交わすそぶりも見せない羽風は、頭を煙に変えて岩塊をすり抜けた。
つかみ掛かってきた羽風の手を逆につかみとり、もう片方の腕と腹部を蹴りつける。
だが属性魔法を阻害しないことは割れているらしく、それらも煙に姿を変えて躱されてしまった。
そして掴み取った方の手も煙に変わりすり抜けられ、いつのまにか右腕を捕まえられ組み伏せられた。
「………ッ!」
そのまま腕ひしぎ十字固めを極められそうになる。
だが、今度はやすやすを食らうつもりはない。
抑え込まれる前に力ずくで起き上がり、右腕を掴んでいた羽風めがけて左の拳を振り下ろした。
それを羽風は慌てたのか、全身を煙に変えて躱す。
から振った拳は床にヒビを走らせ、破壊した。
『うがああああああぁぁぁ!?』
すぐに起き上がるとともに、煙が集まった箇所めがけて岩塊を投げつける。
元の姿に戻った羽風は、いきなり飛来した岩塊に驚いて腰を抜かした。
それにより頭をかすめることもなく飛んで行った岩塊が壁を破壊する。
『ノオオオオォォォォォ!?』
しかし追撃を止めることはしない。
まともに食らって仕舞えば、勇者といえど大怪我、下手をすれば致命傷になりかねない手加減なしの助走をつけた蹴りを、腰を抜かした羽風の顔に放つ。
「ひっ………!」
しかし、それは顔を引き攣らせて驚いた羽風の意思に反するように、その頭部は煙に変わって躱されてしまった。
空振りした蹴りは、床を踏みつけて破壊する。
『止めてくれえええぇぇぇぇぇ!』
蹴りつけた足を軸にして、さらに振り向きざまに回し蹴りを放つと、立ち上がったばかりの羽風の腹部をすり抜けた。
上半身がまるまる煙に変わりながら回避した羽風は、煙の状態で兜に急接近してきた。
「………ッ!」
障壁があるとはいえ、兜を煙で覆われたり、もしくは兜に入り込まれて気管を直接塞がれるようなことがあれば、流石にまずい。
煙の状態で鎧に侵入してこようとする場合は、回避が大げさになってしまう。
そのため、大きく仰け反り隙だらけになってしまった。
そきて、まるで最初からその隙を狙っていたかのように、上を通過していく煙となっている羽風の上半身から氷の尖った礫が多数降ってきた。
「こいつは………!」
それはまるで、尖らせた雹のようだった。
同時に、直感する。
おそらく、羽風の属性魔法は【雲】であると。
仰け反りながら左腕を伸ばし、丁度良い位置に落ちていた、というよりもここに来ることを狙っていた場所に落ちていた薙刀を拾い上げ、羽風の属性でもある雲の一部を利用した雹を斬りつける。
「なっ!?」
直後、薙刀にある魔神の加護の影響により、羽風は強制的に属性魔法が解除された。
雲だった羽風の姿が元の人の姿に戻り、俺の真上に形成される。
その驚く顔を浮かべる羽風を受け止め、驚きから立ち直る暇も与えずに後頭部を打って意識を刈り取った。
「うっ………」
傀儡ではあるが操り人形とまで入っていなかったらしく、羽風は意識を失うと力が抜け動かなくなった。
最悪の場合、大きな怪我を負わせるか考慮していたが、なんとか夜刀の友人を無傷で制圧することに成功した。
羽風を抱えたまま背中から地面に落ちた俺は、安堵からくる軽いため息をこぼした。
赤城は真紅の鎧に守られているので、女子に首4の字固めをくらうという羨ましい場面があったものの、その感触や温もりは鎧に阻まれ、ただ首を折られる圧力だけがかかっていました。
まあ、悪役なんでね。こういう役回りなんですよ。




