序章 : 記憶は秀麗な花に埋もれて
暖かな雨は、故に残酷に咲き誇り、花の絨毯を緑に変えた。
まるで時代の流れのように、老いて乾いた茶桜を、打ち落とされた若葉が蔽う。
抜けた色彩、鮮やかな色。
誰にも見向かれない新緑と、歌々に詠まれ続けるほどに、人が愛した短命な花。
此れの散り際は潔いのだと、聞いたのは何時、何処でだったか。
―――― 一斉に舞い上がる花弁の中、桜吹雪の小路の中で、自分に微笑みかけた人。
仮令忘却の果てにあってもおかしくは無い昔の記憶。
けれどその人の儚い笑みと、其れを伴った次ぎの言葉は、忘れられずに残っている。
『けれど、私はね、カノン』
花は椿になりたいのだと。
桜を見上げていた横顔が、何時もと変わりない表情が、あの日は何故か今直ぐに、隣から消えてしまう気がした。
此の、淡白な花の散り際。
数多の人に詠われた其の景色の様に、名残りの吹雪を僕に残して。
けれど、余す所なく、前触れも無しに落ちるのだと。
気付けば彼女の着物の袖を、掴んで引き止めていた。
瞬く瞳は大きくて、無垢な輝きにくすみはない。
映し出された僕の姿は、彼女の脳裏にどんな形を刻んだのか。
見るのも知るのも拒絶して、ゆっくりと目を閉じまた開ける。
『花ほど綺麗じゃ無くて、いいよ』
常日頃、醜いものだと揶揄する、僕ら、人のままで。
どれ程醜い生だとしても、其れを持っていて欲しかった。
桜のように椿のように、綺麗な骸なんて要らない。
少し驚いて見せた彼女は、くすくすと上品に笑って。
『此処にいるよ』と僕に答えた。




