四章 : 髑髏を抱えた聖人君子 ... 後
「意外だな。派手好きか?」
馴染みの薄い声色の、くく、という短い笑いにカノンは鬱陶しげに振り向く。
廃屋の小高い塀の上で、イイ眼してんなと彼は笑った。
頭の先から足先まで、見惚れるほどの気高い黒。
誰だ、などという問いは、掛けるまでもない。
「……今は、果刹だっけ?」
「へぇ、よく知ってんな。久時に聞いたか?」
「出で立ちも気配も変わらない。忘れられるようなものでもないし」
偉ぶる態度が極自然な、圧倒的な存在感。
月を背負って立つ様は、王と呼ぶのに相応しい。
悪巫山戯とも受け取れるほど大仰に、「それは光栄だ」と彼は答えた。
「今の世で会うのは此れが初めての筈だがな」
「知ってる。其処までボケてないから」
殺伐とした雰囲気は、此の場が裏路地である所為だけではないだろう。
裏路地―――否、裏市街。
『膝元』のメインストリートから小道を選び、三本も外れ遠のけば、徐々に近づくのは普通の市民など来ようともしない紛糾の道。
果刹が今乗る塀のように、所々は崩れたままで、それを携える家屋のように、無人で荒れた建物が目立つ。
そしてカノンの足元で、血を流し倒れ込む者達のように、無頼漢ばかりが寄りついている。
餓えた鴉が低く鳴く。「血にでも呼ばれた?」カノンが問うた。
「かもな。お前ならもう少し―――綺麗好きだと思ったが」
散らばる三体ほどの残骸。
顔や胴に汚れが見られないのが、まるで見事だと思えるほどに。
飛び散った断片を磨り潰すように踏み付けて、知った風な事を言うねと挑戦的な目を向ける。
自然と口角が上げられた。
彫刻以上に整えられた、作り物と呼ぶに相応しい、心などという“くだらないもの”が介入する余地を与えない笑み。
「知ってるからな」と彼も笑う。
カノンと真逆の、其れゆえの禍々しさを持って。
濃灰に塗られた此の景色を、心底楽しんでいるように。
「所詮人間か? お前も。昔のお前なら此の程度、影さえ残らなかっただろう?」
「……捨てたからね」
護れはしなかった無意味な自身と、其れを赦さなかった世界を。
絡み付いた鎖を無理矢理断って、もう一度罪を上塗りする。
そうまでして出てきた此の場所に、意味があったとは思えないけど。
―――――無いのなら、無理にでも付けてやればいいから。
「不便は無いよ。こんな場所……だし」
独特な臭いを嗅ぎつけて、寄って来た鴉をふと見遣る。
遠巻きに見る彼らが其れ以上来ないのは、野生で生きる者の勘だろう。
此の輪に一歩でも踏み入れば、同じ末路を迎えると。
二人が消えてからの光景、それは容易に想像できた。
たとえ彼らが、忌まわしき悪食の象徴でなかったとしても。
暗闇に、猫の目が光る。
其れが移ったかのように、「貴方も同じでしょ?」と問う目が鈍く、探るように輝いた。
「そうだな。だが俺にしてみれば……些か不便だ。現は」
言いながら何かをカノンへ放る。
空気を無理に抉じ開けるような、聞きやすいとは言えない音に乗せられて、飛んで来たのもまた闇だった。
果刹の所作と音、気配、僅かに働く目でそれを取る。
くすんだ白が挟められた、ざらつく黒皮の本。
折れ目一つ付いていない其れは、不気味なほど古さを感じさせないが。
此れが“何時から”などとは疾うに言えない時代からある事は、二人共よく知っている。
「……『死文書』」
忌々しげに、顔を顰めた。
厚めの紙の一枚ずつに書かれた言葉、文字の装飾、見えなくても、一言一句覚えている。
片側に皺が寄るほどきつく、握り締められた小冊子。
カノンの見せるその様子に、ふと、果刹が口を開いた。
「其れが用事だ」
つい先ほどまで浮かべていた、愉しげな笑みは消えている。
彼本来の夜風より氷雨より冷えた目が、真っ直ぐにカノンを見下ろした。
「へぇ、それで、」カノンは嗤う。
「僕を殺しにでも来たの?」
「古臭い童話に興味は無ぇよ。只役割だから持って来た。久時にでも渡しておけ」
此れを、叩きつけた時、久時の表情はひどく歪んだ。
嗚呼、こんな物もあったねと、遠くを見て呟いた言。だから――――――、
逢いたくは、無かった。
二度と相入らずに済むのなら、“僕”を知らずに済むのなら、“君”にとっては其れが何より幸せで。
けれど、
+ + + +
「いいよ」
覚えておく。振り向いて言う。
荊に抱かれて止められていた、安寧の時はもう終わった。
御免ね。未だ知らない現の君へ。




