四章 : 髑髏を抱えた聖人君子 ... 前
神々しいまでの黒を纏って、聖者以上に気高い貌で、けれども其れを歪めながら、小聖堂をよく訪れた人がいた。
第一声は、「久時、居るか?」、そして続けて「悪いな」と。
踏み入れた途端駆け寄って来る少女を受け止めて、奥へ、氷細工のような目を向ける。
「構わないよ。僕も楽しいから」
穏やかな笑みを自然に浮かべ、久時が緩慢に歩いて来た。
「ゆっくりして行けば、」との問いを、此処は好きじゃないと一蹴して。
「明日は休みだ。お前が来ればいいだろう?」
「そう。……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「また明日ね、久時さま」
踵を返せば振り返らずに、ひらりと片手を振る兄と、数歩で立ち止まり久時を向いて、しっかり挨拶を残す妹。
歩調こそ緩めるが待ちはしない、兄を小走りに追い掛ける姿は楽しげで。
右に左にと纏わり付いて、言葉少なな彼に、半ば一方的に喋る。
下の兄からお下がりを譲り受けたのだと云う、中性的で品の良いハーフパンツと些か少女然としたブラウスが視界から消えてなくなるまで、久時は何時も、その場で見送っていた。
久時が聖堂へ踏み入ると、丁度よくカノンが帰って来る。
果刹とは違う乾いた眼差し。
久時の存在さえ其処に無いものとするように、視界の端にも入れず追い越す。
拾い上げた日から変わらぬ態度に今更久時が何かを言う事は無く、「お帰り」、と一言紡ぐ。
返事は無い。
踵が床を打つかつかつという整々とした音は真っ直ぐ奥へ遠ざかり、質が変わって、直ぐに止まった。
一段高い壇の上から、宣教台を見下ろしている。
「来てたんだ。……いつもの?」
「あぁ、うん。明日は僕が呼ばれているんだけど……そうだ、」
常連の少女と直接会ったことは無かったが、話にだけは聞いていた。
そして、見ないようにしていた。
淡々とした問い掛けに、久時は逆に尋ねて言う。
「カノンも、どう?」と。怪訝そうに眉を寄せられた。
「………鬼門の屋敷の、主だろう?」
「うん。会ったこと、無かったよね?」
「……兄にはある」
出し置かれていた本の頁を、気だるげにぱらりと捲りながら。
決してありふれてはいない名と、其の家の者という事で、誰かは既に知っていた。
祈咲―――昔から変わらない、今では幾許か古い名に。
会ってはならない、と。
「嫌」
「どうして?」
「別に。理由なんか無いけど」
絡もうとする縁を切るように、その本を台の中へ入れる。
もう、知らない方が良いと。カノンは思い、過ごしていた。
折角今の世の互いを、知らずに済んでいるのだから。
「もう、見たくない」
あの子が愛しいという感情も、失う、その瞬間も。
今まで見てきたものは全て、二度と繰り返したくは無い。
たとえ、どれだけその中に、“綺麗な思い出”があったとしても。
「忘れたいんだ、よね」
其の、“思い出”を全て捨てても。
自嘲とも取れる笑みを浮かべ、振り返ると久時も微笑んでいた。
分かるよ、と、全てを諦めたような目で。
永遠と記憶に縛られて生きる、彼も特殊な者なのだ。
久時は言う。「けれど、僕は忘れられない」。
此の頭を粉々に砕いても、きっと。
仮初の兄弟、偽りの人生。疲れても離脱は赦されない。
「果刹に……会ったんだっけ」
「………」
無言で、肯いた。
そう、と自らの腕に視線を落とすと、久時は其処に頁の薄い本を抱えていて。
カノンにも見覚えのある黒皮の本、『死文書』と呼ばれる其れを、ゆっくりと開く。
「果刹から、貰ったんだったね」
変色した血のような黒文字。
世界に宛てた呪いの本。
綴られた言葉を思い出して、自然と顔が顰められる。
鎖のように次々と、蘇って来るその日の記憶。
振り向き、其れから顔を背けて、苛立たしげに目を閉じた。




