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レックウザ

河原町の緑色

四条河原町の喫煙所は、夜になる少し前が一番きれいだ。


高瀬川の囁きが白く光って、ヤニカス共の顔を、みんな同じ温度で照らしている。


煙草を吸う理由なんて、別にない。

講義のあと、そのまま帰る気になれなかっただけだ。


私は灰皿の縁に寄りかかって、ポケットからゲームボーイミクロを取り出す。


父がはるか昔、DSと間違って兄に買ってきたものだ。

いわゆる

「これじゃない」。


兄はそれを、私が六歳になった時にくれた。


銀色。

小さい。

冷たい。

今見ると、異様に未来っぽい。

電源を入れる。

青白い液晶。

差さっているのはポケモンエメラルド。

緑色のゲームだ。


湿った草むら。

白い波。

空洞みたいな空。

このゲームの湿度は、京都の夕方と少し似ている。

ジムリーダーのBGMを聞いていると、背後から声がした。


「Oh my god.」

振り向く。


白人の男。


でかい。

最初にそう思った。

背が高いというより、空間の占有率が大きい。


色褪せた緑色のTシャツ。

胸には Isabelleとプリントされている。

しずえさんだ。


だが、アメリカ人の体格で着ると、妙に圧がある。

膝上のカーゴ短パン。

焼けた脚。

毛の濃い脛。


足元は履き潰したニューバランス。


観光客というより、「海外のゲームオタク」という生き物そのものだった。


「Is that real...?」

男が半歩近づく。

近い。


海外の人間は距離感が違う。

私は反射的に、値踏みされる時の顔になる。


河原町では、女は大体そうする。

髪。服。年齢。

一人かどうか。

視線は大抵、そんな順番で落ちてくる。


だが男の目は、少し違った。

落ち着きがない。

というより、興奮している。


サモエドみたいだ、と私は思う。

でかくて、人懐っこくて、悪気がなくて、 勢いだけで距離を詰めてくる犬。


男は、私ではなく、手の中のゲームボーイミクロを見ていた。

それに気づくまで、少し時間がかかった。


「Game Boy Micro...?」

少し笑ってしまう。

そんな顔する?

でも、分かる気もした。


任天堂京都帰りなんだろう。

紅白の袋を提げている。


「Can I see it? Just for a second. Please.」

熱量が、修学旅行生とかのそれじゃない。


巡礼者だ。


私はミクロを渡す。

すると男の動きが急に静かになる。

両手で持つ。

ガラス細工みたいに。

「Jesus Christ...」

液晶を見る。

ボタンを撫でる。

十字キーを軽く押す。


「This screen is insane...」

その横顔を見ていて、少し変な気持ちになる。

大人が、急に子供になる瞬間。

たぶんこの人、昔これ欲しかったんだ。

でも買ってもらえなかった。

DSの時代だったし、ミクロは意味不明だった。


小さいだけ。

GBAしか出来ない。

まあまあ高い。

でも今見ると、異様に格好いい。

未来から落ちてきた失敗作みたいに。

男は画面を見る。


レックウザが空を横切る。

「No way... Emerald...」

その言い方が、ちょっと祈りみたいだった。

喫煙所の蛍光灯が白い。

バスの音。

外国語。

信号機。

全部遠い。


男は小さく笑う。

「We never got these in good condition back home.」

それから、少し照れたみたいに言う。

「This is, like... the coolest thing I've seen in Kyoto.」

寺じゃなくて。

庭園でもなくて。

二十年前の携帯ゲーム機。

私は煙を吸い込む。


吐いた煙が、河原町のネオンに薄く混ざる。

男は名残惜しそうに、ミクロを返した。

「Take care of it, okay?」

その顔が、少しだけ寂しそうだった。


私はミクロをポケットへ戻す。

熱を失った銀色が、ジーパン越しに太腿に触れる。

高瀬川は、変わらず小さく光っている。

たぶんこの世界には、もう帰れない時間ばかり流れている。

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