01_漂流(わりとすぐ救助されます)
それはいつものようにヘッドギアを頭に取りつけ、ゲームの世界にフルダイブするべく電源を入れ、軽い起動完了の電子音が鳴ったときだった。意識が虚空へと吸い込まれていき、脳内の思考が電子化されるような擬似的な感覚がする。……はずだったのだが、そこで明後日の方向からノイズが鳴る。
「な、なんだ……?」
いつもであれば、ほんの数秒でリスポーン地点として設定してあるゲーム内のベッドで目覚めるはずだった。それなのに、ノイズは止むどころか急速に増殖していき、ついには世界がブルースクリーンで覆われてしまう。
まさか、接触不良か。インターネットエラー? 安物のケーブル使ってたからなー。などと思っていると、突然、地面が消失したようにして体が落ちていく。普通であれば現実世界に戻されるはずで、こんな異常な現象は初めてだった。
「なんでだぁぁぁあああああ――――――っ!?」
どこまでも落ちていく。
自分の叫び声が虚空に響いていく。だが、返事はなく、俺は周囲の暗闇に塗り潰されるようにして意識を手放すのだった。
***
謎の浮遊感。
なんだろうか。ベッドに寝転がっているはずなのに、四肢が浮遊しているというか固定されていない。それどころか、内臓がずっと浮いているような気持ち悪さを感じる。
そこで俺は目を開けた。
目を開けたはずなのに、真っ暗だった。
いや、すこしすると視界の右端からすーっとやけに眩しい、光の点のようなものが目の前を横切っていき、左端へと消えていく。自分の呼吸音がうるさい。何かに密閉されているような感覚がする。二十秒くらいするとまた右端から丸い光の点がすーっと現れては、左端に消えていく。
ふと、頭が痒くなり、自分の頭頂部に手を伸ばす。
そして、ガリ、と硬い何かに指先が触れる。
なんだと思い、自分の手を見てみるとスマートな手袋のようなものが装着されてあり、思わず手のひらをまじまじと眺めてしまう。
それは宇宙服だった。
黒をベースにところどころ赤く塗装され、戦闘服も兼ねているのか超炭素ファイバーが内臓されたそれは、まさしく宇宙服と呼ぶにふさわしい。ナノスーツというやつだ。だが、肝心なのはなぜ俺が今そんなものを着ているかだ。再び、光の点のようなものが右端から現れ、左端に消えていくのを見て、俺はようやく現状を理解した。
「いや、俺、漂流してる⁉」
光の点だと思われたそれは太陽らしかった。よく見ると、頭の上あたりに木星のような茶色いガス惑星もあり、真っ暗闇だと思っていた場所にもちらほらと小さな光点(星)が散りばめられている。太陽が右から左に現れるのは自分自身が回転しているからなのだ。
そのことに気づいた俺は、ようやく合点がいったとばかりにポンと手のひらに拳を乗せた。
「ああ、そうか。さっきのバグで、アバターがどっかにぶっとばされたのか……」
俺が起動したのは『SPACE CITIZEN』というフルダイブ型VR宇宙シミュレーションゲームだ。2017年にリリースされ、七億ドル(日本円にして約千億円)の開発費を寄付で集め、なおかつ進化し続ける現代のサクラダ・ファミリアである。……が、しかし、それだけの資金がありながら数えきれないほどのバグが存在し、一部界隈ではクソゲー扱いされている悲しいゲームでもある。
頬をつねってみたいが、残念ながらヘルメットに遮られてそれもできないらしい。
仕方なく、俺はログアウトしようと左腕についているボタンを片っ端からいじって、なんとかホログラフ状のメニュー画面を表示させることに成功する。心肺機能、脳波数値、放射線の被爆量、酸素残量などが表示されるなか、俺は右手を動かして下へとスクロールする。
「これで装備ぜんぶロストなんだもんなぁ。勘弁してほしいぜ、まったく……」
そうして、ようやくオプション画面を開いたとき、そこにあるはずのログアウトボタンが消失しているのに気づき、俺は愕然とする。
「ログアウトボタンがない、だと……」
いくらスクロールしようと、ホロ画面のすべてのタブの細かい設定まで確認しようと『LOG OUT』と書かれたボタンだけがすっぽりと意図的に消されたようにして存在しなかった。
そのことに、俺はこれが夢だと確信し、思わず腕と足を組んで回転しながら上を向く。二十秒で一回転する程度の回転速度なので、そこまで遠心力がかかっているわけではないが、すこし体が左側にひっぱられるような感覚が気持ち悪い。
上を向いて、しばらく目を閉じ、そして開ける。
そこで俺はとある違和感に気がついた。
「なんか、近づいてきてね?」
木星だろうか。もしかしたら、違うガス惑星かもしれないが、さっき見たときより大きくなっている気がする。アハ体験と言われればそれまでなのだが、視界を占める割合が増えつつあるのに俺は遅まきながら気づいた。
このままだと、あのガス惑星の大気に突入して秒速数百メートルものジェット気流にもみくちゃにされながら、宇宙服がダメージで破けていき大量に被爆して死ぬのだろう。
そうなればもう人間の形は保っていられず、やがて死体は中心部に達して圧縮された液体金属に呑まれて消失する。これがガス惑星に生身で落下した人間の末路である。
「こんなとこで目覚めるのも意味不明だし、バグか? バグなんだろうな。……しゃーない、自害するか。またリスポーンすればいいしな」
そう、SPACE CITIZENは開発途中なこともあり、いきなり宇宙空間に放り出されたり、オブジェクトの中に嵌まるといったバグも多く、こうして詰みの状態になることがけっこうな頻度である。そうしたプレイヤーの救済措置としてオプション画面からコマンド操作による自害が推奨されているのだが、俺は左腕から表示されるホログラフ映像を見ながらどうにか自害できないかを探していく。
「うーん、自害コマンドも存在しないのか……」
見たところ、それに該当しそうなものもない。
酸素供給量を意図的に減らすことはセーフティがついていてできないし、かといって宇宙服に穴をあけるのもできそうにない。
「仕方ない。ヘルメット脱ぐか」
そこで俺は顎の下のボタンを押しながらヘルメットを脱ごうとする。すると警告文が目の前に表示され、目の前が真っ赤に染まる。
【警告、宇宙空間でヘルメットを脱ぐと即死します】
「仕方ないだろ。コマンドもないんだから」
妙にリアルなのが気になるが、どうせ外せばすぐに現実に戻れる。少なくとも、夢が覚めてまたゲームができるようになるだろう。
そうして、俺がヘルメットを脱ごうと手をかけた、そのとき――
『こちら、銀河警察機構のパトロール隊どぅぇ――す! 偶然、SOS信号をキャッチしたので立ち寄ってみましたぁ! 大丈夫ですかぁ――!?』
「⁉」
宇宙服の中にキンキンと妙に甲高い女の声が響きわたり、俺は目を白黒させる。続けてUFOのような見た目の宇宙船が空間を震わせながら、どこからともなく現れ――おそらくハイパードライブによるジャンプ――宇宙空間を漂流していた俺の体を作業用アームで掴む。
『大丈夫ですかぁ⁉』
「お、おぉ……」
どうやら、左腕のボタンを片っ端から押したときに、SOS信号を発信したようだった。
銀河警察機構というのは、SPACE CITIZENにはない組織だったはずだが、新しくアップデートで増えたのだろうか。というか、そもそもここはゲームの中なのか? 気になることは多々あるが、まずは安全な場所に避難するのが先だろう。
『いやー、よかったよかった。もしかして絶望してヘルメット脱ごうとしてませんでした? 漂流したひとで多いんですよー、酸欠で死ぬくらいならヘルメット脱いで死んでやろうってひと』
「助かった……で、いいんですよね?」
『もっちろん、もちのろんですよ! とりあえず、宇宙船の中に入れるので衝撃に備えてくださ――い!』
「ぐぇっ……」
ぽい――とまるでゴミか何かのように船内に投げ入れられ、俺は壁にぶつかった後、人工重力に引かれて床に落ちて悶絶する。
回収用の倉庫に入れられたらしく、他にもパレット積みされた貨物やら宇宙服やらが散乱しており、俺は床に寝っ転がりながら様子を見る。
『とりあえず、近くの星の銀河警察機構の支部に寄るので、衝撃に備えてくださーい!』
「あ、ああ……」
あいもかわらず、宇宙服内にはキンキンとした女の声が響きわたっていたが、俺はハッチが閉じ、倉庫内に空気が注入されてもなおヘルメットは脱がずに硬直する。いかんせん、ハッチが閉じているように見えても、実は閉じていないバグで一度殺されたことがあるため、それを警戒しているのだが――
『しめしめ、これであとで救助費をふんだくれるぜ』
『あっ、先輩、通信つけっぱっすよ!』
『しまった! け、消さないと!』
続けて、宇宙服の中に聞こえてくる声に、俺はバグに警戒する自分がアホらしくなり、壁に寄りかかりながら舷窓から見える木星を眺める。
木星とは別のガス惑星かもしれないと思ったのは、よく写真で見る角度とは違うものだったからだ。正確には上から見下ろしていた、と言えばいいのだろうか。宇宙船が木星から離れていくにつれ、見知った大赤斑が現れ、俺は安堵するようにため息を漏らす。だが――
「いや、チョット待て。SPACE CITIZENには太陽系なんてマップはなかったはずだぞ……」
一人目のヒロインは10話で登場します。




