02_その名はヘドロ(本名は覚えていません)
「で、気づけばあの宙域で漂流していたと?」
「……はい、そうです」
俺は取り調べを受けていた。
殺風景な取調室にはアメリカのドラマとかで出てきそうな銀色の机とパイプ椅子が二つあるだけで、あとは壁の一面だけ鏡張りになっている。マジックミラーというやつで、中にいる人から悟られずに室内の様子を見るためだろう。
俺は目の前にいる人物に目を向ける。
そこにいたのは、人型ではあるものの人間ではなかった。ぴこぴことひたいのあたりから触角の生えた蟻人間(女性)が、藍色の警官じみた制服を着ているだけでもあれなのに、瞳が昆虫色まる出しの複眼でなおかつ口から尖った牙を生やしているのに俺は度肝を抜いていた。
SPACE CITIZENには亜人なんていなかったし、全員地球人と同じ見た目をした人間だったはずだ。いや、正確には有志のひとが作ったMODにはそうした種族もいたらしいが、少なくとも俺は入れたことのないものだったはずだ。
そうこうしている間にも、俺の持っていた情報端末からデータを抜きだしたらしい蟻のお姉さんが、それを卓上に置きながらこちらに目を向ける。……うっ、人間サイズの昆虫と目を合わせるの地味にきついぞ、これ。
「はぁ、そうはいっても身分証がないというのはねぇ? 身分を証明できるデータだってないみたいだし、なぜか情報端末の中のファイルも空。なーんか怪しいんだよねぇ」
「そう言われましても、気づいたらあの宙域で漂流していて、ほんと記憶だって曖昧で何もわからないんですよ」
蟻のお姉さんはどうやら身分に不相応な俺の装備を訝しんでいるようだった。……というか、木星ってなんだよ。SPACE CITIZENには太陽系なんてマップはなかったはずだぞ。
「そうだ、地球、地球はどうなってるんすか。あれが木星なら、あるんでしょう? 地球って惑星が――」
そう言うと、蟻のお姉さんは目をぱちくりと開閉する。
「あの星は昔、それなりに発展しつつあった惑星みたいでしたが、いまは核戦争で汚染されてから誰も住んでませんよ。我々、ガンダール連邦が統治下に置いてから、そこに住んでいた先住民族の方々はみんな火星か木星圏に移住しましたしね」
「えっ……⁉」
「ああ、いや、いまも脛に傷のある宙族とか、カルト宗教の支部とかがあるらしいんですけど、発見には至っていないんですよ。見つけしだい、我々、銀河警察機構が降下襲撃をかけて潰しにいくんですけどねぇ」
核戦争で滅んだ。
その言葉に、思わず蟻のお姉さんをまじまじと見てしまう。が、冗談で言っているようには見えない。だが、戦争があったというのは事実らしく、もしや第三次世界大戦が勃発して滅んでしまったのだろうか。
「つかぬことをお聞きしますが、いまって西暦何年なんですか?」
「セイレキってのが何かは分かりませんが、いまは銀河歴21124年ではありますね。あっ、もしや星歴のこと言ってます? それだったら木星歴341年、火星歴1004年ってところですね」
「…………」
理解が追いつかない。
というか、火星歴1004年って何を言ってるんだ? もしかして、初めて人類が火星に降り立ってから千年も経ってるのか? 冗談だろう?
「まぁ、とりあえず、このままだと連邦の戸籍を持っていないあなたは不法滞在者として処罰の対象になります。……が、猶予期間はあります。おそらく、あなた宇宙船の操縦とかできるでしょう?」
「いや、ゲームでの操作なら慣れてますけど、こんなリアルで操縦なんてしたことないですよ」
「げーむ? とやらが何かはわかりませんが、それだけの宇宙服を着れるだけの実力が本当にあるのなら高技能移民として、我々、ガンダール連邦が受け入れることもできます。傭兵ギルドなら体力、知能、射撃スキル、宇宙船の操縦といった審査テストを通過できればの話ですけどね」
そう言われ、俺は自分の体を見下ろす。
体力、と言われても高校のときのシャトルランではクラスの中で真ん中くらいだったし、知能も飛び抜けて良かった記憶もない。射撃スキルに至ってはVRゲームでそれなりにやり込んでいたがそこまで得意でもなかった。実はごく普通の大学生なんです、という言葉を飲み込んで、俺は蟻のお姉さんが口を開くのを待った。
「一応、移民申請をしておくだけでも損にはならないでしょう。とりあえず、名前だけも教えてください。あとはこちらで書類を作成しておきますよ」
「ああ、ありがたい。俺の名前は――」
そこで、自分の脳内に靄がかかるのを俺は感じた。
名前が思い出せない。それどころか、苗字すら覚えていない。
(まずい、名前が思い出せない……)
俺が黙ったことに、蟻のお姉さんは眉をひそめる。
慌てて、俺は脳の記憶領域(海馬)を振り絞って、名前を捻りだそうとする。やがて、ひとつの単語が浮かび上がる。
「ヘドロ……」
「それが名前ですか?」
「あ、いや、これは俺のプレイヤーネームで……」
出てきたのは、俺がSPACE CITIZENで使っていたプレイヤーネームだった。
修正しようにも本名が出てこない。仕方なく、俺は諦めてその名前を口にした。
「いや、俺の名前はヘドロだ。ファミリーネームはない」
「なるほど。いいでしょう。これで移民申請書類は作成できます。あとはこれをお好きなギルドまで届けてください。商人ギルドでもいいですし、傭兵ギルドでも構いません。審査テストの内容はギルドによって異なり、就ける職業に制限がつきます。どちらにせよすぐに試験が開始され、移民になれるかどうか決まるでしょう」
書類を記入し終えたらしい蟻のお姉さんが、こちらに見せるようにタブレットを差し出してくる。そこに表示された数字を見て、俺は首を傾げる。
「さて、これは救助費の請求書になるのですが……」
蟻のお姉さんがにこやかに口角を上げたのを見て、俺は猛烈に嫌な予感がするのだった。
***
俺は銀河警察機構の建物から出た。
すると、太陽の淡い光が顔にあたり、俺は思わず目を細めながら空を見上げる。しかし、地球にいたときよりも明らかに光量がすくない。
それもそのはず、太陽が小さいのだ。
地球からだと太陽はほぼ月と同じ大きさをしているが、いま俺の真上にある太陽はどう考えてもその半分……いや、それをさらに半分にしたような極小の点でしかない。
ヘルメットをフードのように脱いで、頭の後ろにぶら下げながら、俺は日差しを遮るようにひたいに手のひらをかざした。
「クソッ、救助費五十万エーテルとか、ぼったくりだろ……」
脳裏ではいまだに『踏み倒そうとしたら、賞金稼ぎと人狩りに追われますからね~』と脅しをかけてくる蟻のお姉さんがにこやかに手を振っている。
「…………」
しかし、眩しい。
というのも、ここらの住宅や建造物のほとんどが白く塗られていて、太陽の光を反射しているのだ。どことなく、ギリシャの地中海にあるサントリーニ島を彷彿とさせる建物たちに、俺はまるで海外旅行に来たような浮かれた気分になる。
どこからともなく、潮の臭いのする風が吹き、俺の体を通り過ぎていく。俺はその風に誘われるようにして足を踏み出すと、近くの路地へと歩きだした。
【ネオ・サントリーニ島へようこそ!】
「宇宙汎用語だったか? 大学もサボってたから第二言語のドイツ語だってろくに読めないのに、なんで理解できるんだか……」
道中、アーチ型の看板に書かれたアラビア語にも似た文字を見上げながら、なぜか読めることに俺は気持ち悪さを感じながらも、路地裏を抜けていく。
曲がりくねった路地を右へ、左へ……カフェのようなオシャレな店に、見たことのない花を並べる店まで、人通りが少ないことをいいことに道端の店を物色しながら進んでいく。
そして、ついに開けた場所に出た。
島の斜面に白い住宅がところ狭しと並んでいる。だが、注目すべきはそこではない。藍色の海、水色の空、さらに水平線にあるのが――
「うおぉ……、こ、これが木星…………」
そこにあったのは、空に浮かぶ異様なほど巨大な木星だった。
今にも落ちてきそうなほど巨大な木星に、俺は思わず圧倒される。目を凝らせば、大赤斑を含めた模様が刻一刻と動いているのが見える。
地中海に似た気候もあいまって、心地の良い潮風が俺の体を通り過ぎていく。海は青く、雲ひとつない空は透き通っていて、木星だけが圧倒的なブラウン色の存在感を放っている。
「おいおいおい、マジかよ」
俺は鼻腔を刺激する潮の臭い、肌に密着する宇宙服の重み、そして明らかにグラフィックには見えない本物の木星。
俺は漏らすようにして思わず呟いた。
「もしかして、これって現実……?」
海洋衛星カリスト。
それが俺が初めて降り立った星の名前だった。
【用語】
賞金稼ぎ《カウボーイ》は生け捕り専門。賞金の額で獲物を決めるグルメが多い。
人狩り《マンハンター》は殺し屋。暗殺者ギルド経由で依頼された人間を殺す。




