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あそびの社のよもやま話  作者: 華蘭藤
第一章 霜月の旅人
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08.鬱葱と茂る杜の中

 木々の葉や枝で、緑の天井ができている森の中は、岩場や崖のようになっているところもある。木々や岩には苔がむし、じめじめと湿気が多い。

 (ふう)はそんな森の中を慣れた調子で駆けていた。


 それもそのはず。この森の見回りは、諷の日課の一つである。

 森の中を、さやさやと鈴の音が渡っていく。心なしか、木々も楽しげに葉を揺らす。葉から水滴の落ちる音、川のせせらぎ、風の声。閑かな森のささやかな合奏。

 諷は鼻歌交じりに森の中を進んでいく。


「っと、あそこか」


 諷の前方、いくらか向こうに、黒い(もや)が群れをなしている。速度を落とし、ゆっくりと慎重に足を運ぶ。

 番傘を閉じ、近くの木に立てかけて置く。

 木の陰から、諷はその黒い影を覗き見た。


「今日は多いな? 『まれびと』の影響か?」


 木々の隙間でうごめく黒い影に、諷は眉をひそめる。


  『空、切られ、蕾落つ。

   花、追われ、人来たる。』


 神託の通りならば、どこかからこの(もり)に、『まれびと』がやってくるはずだ。


 『まれびと』とは、他の場所や世界からやってくる、聖なる人や神のことだ。

 一説には、日本神話において、八島を作り出したイザナギ・イザナミノミコトも、『まれびと』としての扱いを受けるという。

 詳細については、折口信夫氏の著書を参照されたい。

 ともかく、来訪神は、外から幸福をもたらす存在でもあるという考え方がある。


 それの通りなら、この杜にも何か新しい風が吹くらしい。

 とはいえ、相も変わらず神さまは大事なことは教えてくれない。

 困ったものだと苦笑して、諷は、いや、と考えを改める。


「昨夜は収穫祭(はろうぃん)だったはずだし、それのせいか」


 思えば、今回の『まれびと』来訪も、それの影響なのかもしれない。



 諷のいるこの世界は、「あそびの(もり)」と呼ばれる、異界である。

 神さまが作り出し、諷が管理している世界だ。

 諷は、寝床にしている屋敷と、この森、そして、現世(うつしよ)につながる鳥居、社殿と、いくつかの場所しか知らない。けれど、聞くところによれば、もっと広い世界らしい。


 その広い世界には、諷と、神さまくらいしか暮らしていない。

 もしかしたら、諷の知らない誰かが、どこかにいるのかもしれないが、長くこの世界にいる諷が会ったことがないのだから、その可能性は低いだろう。

 たまにやってくる友人も、居ついているわけではない。


 よって、この世界には魂魄(たましい)がとても少ない。

 そのせいか、他の世界から魂が流入しやすくなっているのだ。


 迷い込んだ魂は、様々である。死者の魂から、生きている人の体から離れた魂、どこかの流離神(さすらいがみ)、果ては誰かの記憶や、希望、夢なんかも、ふらりと迷い込む。

 そうした魂の大半は、この広い杜の中にやってきて、ふわふわ、ふらふらと彷徨(さまよ)い続ける。

 そのような魂の道しるべとなることが、諷の仕事の一つだ。


「とすれば、やはり」


 諷は金色の瞳を(きら)めかせる。

 あの黒い影こそ、杜に流れ着いた魂だ。それも、力が弱まっているほど、濃く黒い影となる。

 黒い影は(けが)れを孕む。そして、そういう魂ほど、ふらふらとどこかへ行きやすい。


 木の陰から姿を現した諷に、影たちが向く。何かを求めるように、ゆっくりと近づいてくる。

 諷はパンッ、と一つ手を打った。

 すう、と深く息を吸う。体に気が巡る。


「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊祓へたまひし時に生りませる祓戸の大神たち、諸の禍事、罪穢れ有らんをば、祓へ給い清めたまへと白すことを聞食せと、かしこみかしこみも白す」


 いくらかの影が、霧散した。

 それは、まるで悪いものが祓われ、取り除かれたように見える。もちろんそういう場合もある。けれど、諷は影たちが、息吹を受けて、力を取り戻したのだと考えている。

 祓詞(はらえことば)を以て、気が巡るならよし。そうでないなら、実力行使。

 諷は左手を刀にかける。そして、黒々とした集団をまっすぐに見据えた。


「あるべき姿に、あるべき場所に、かえり給え。……参るっ」


 恐れることはない。こちらも、あちらも。

 諷は柄に手をかけ、駆け出した。抜き打ちの一刀で、手前の影は霧散する。右を向いて袈裟に斬り下ろし、返す刀で奥にいた影を切る。右肩に構えて左を突き。抜くと同時に後ろに向き直って真向。囲ってきた影を左に突いて、右に体を向けて左脇構え、切り上げ、上段に構え真向。周りを一瞥して、左にとり、腰の高さで水平に斬る。

 刀に触れた影は、塵のように霧散する。そして、光となって、しゃぼん玉のように空に昇っていく。

 いくらかそうしていれば、あたりの影はすっかり祓われ、森は先程より少しだけ、明るくなる。

 諷は刀を納め、木の陰に立てかけてあった番傘を取りに戻った。


「もう少しこう、散らばっていてくれればいいものを」


 影は生き物ではない。実体もない。もちろん会話はしないし、何か害をなすこともなければ、善をなすことだってない。影たちはただ、迷い込み、彷徨い続けるだけの存在だ。

 とはいえ、それは『影』として成ってから、時間が経っていなければの話。影として定着してしまった魂は、荒魂(あらみたま)と呼ばれるようになる。呼んでいるのは諷と神さまだけだが、要するに、現世にて荒魂と呼ばれるものと同じような存在になるのだ。

 荒魂は災いを引き起こすともされる。だから、そうなる前に祓い清めるのが諷の仕事なのだ。


『鏡は映す。(はる)かに地の有るを。

 鑑は綴る。(はる)かな(うた)(うた)うを。』


「還った魂魄(たましい)の行き先なんて、諷は知らないけれど」


 諷は再び傘を開き、緑の天井の隙間から、灰色の空を見上げた。


「いつかまたここに来るならば、もっと光に満ちたものであってほしいものだ」


 影となる魂は、力を失った魂である。この社の近くにやってくる魂は、影となったものばかり。まるで救いを求めるかのように、この森を彷徨う影たち。それがどうして哀しくないと言えようか。

 諷が魂を祓わずとも、この世界には諷と神さましかいないのだから、厄災が起ころうと大きな問題にはならない。それでも、神さまが影を還すことを諷に頼むのは、諷がそれを諾と言うのは、行き場も知らず彷徨う影が、せめて次の行き先を知り、力を取り戻し、未来へ進んでいってほしいと願うからだった。

 諷はふいっと踵を返し、また森の奥へと足を進めていく。森は広い。遠くまではいけない。それでもせめて、諷の足の届く範囲だけは、手の届く場所は、と、諷はそう願うのだった。

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