タイムリープの残り香
「流行語」とは世間の価値観でありニーズでもある、とはよく言ったものだ。
だが今、世代を超えて浸透し、日常を侵食しているその言葉を、単なる流行と呼んでいいのか俺には判じかねる。
『タイムリセット』。
少なくとも、これを心の底から口にする場面を、人に見せてはならないという。
「これだからお前は!」
上司の怒号を背中で聞きながら、俺は手元の作業を進める。元来ケアレスミスの多い同僚だ。叱責は致し方ない。
「すみません……」
覇気のない、それでいて反省の色も薄い同僚の謝罪。入社以来、彼が平穏に一日を終えたことなど、一日たりとも無い。
話が終わり、彼が部屋を出ていく。残された者たちの冷めた視線。
しばらくして戻ってきた彼は、先ほどまでの沈鬱さが嘘のように、ケロリとした顔をしていた。
――またか。
俺の内側からも、そんな声が漏れる。
『タイムリセット』。
世を震撼させた、魔法にして悪魔の現象。口にすれば、望む二十四時間以内の任意の時点へ回帰できる。俺も一度だけ使ったことがあるが、確かに便利だ。ミスの帳消し、成功の呼び込み、あるいは予知。万能感とはこのことを指すのだろう。
だが、書き換えられた現実に取り残された『俺たち』の前にいる「こいつ」は、一体誰なんだ?
甘美な結末を求めた代償に、一体何が摩耗していくのか。魂の残りカスか、あるいは全くの別物か。
研究は続けられているが、いまだ解は見つかっていない。
昼休憩。喫煙所で紫煙を燻らす。
「タイムリープって、なんか怖いよな」
この一服さえ、なかったことにしてストレスだけを発散できるのだ。誰もがその悪魔の誘惑に屈するのも無理はない。
「お、池崎。溜息か?」
例の同僚が、何の翳りもない屈託のない笑顔で寄ってきた。その屈託のなさに、俺は恐怖すら覚える。
「お前、今日も盛大に怒られてたな」
目も合わせず、吐き出すように呟く。
「え? 怒られたっけ?」
「ああ」
「昨日はやらかしたが、今日はまだミスしてないぞ?」
キョトンとする彼に、俺は「そうだな」とだけ返した。
「お前はいつも冴えない顔してるよな」
いけしゃあしゃあと言い放つ彼を見上げる。正直なところ、あの堅苦しい上司でさえ、時折こうして『更新』される。今、この瞬間に起こっているすべてが、真に事実であるか否か。もはや誰にも解らない。
「仕事が終わったら、飲みに行くか」
「お、いいね!」
爽やかな笑顔。
もし俺が、あの言葉を口にすれば、俺も彼のような『空虚な幸福』を纏えるのだろうか。
「どこに行きたい?」
「いつもの居酒屋がいいな!」
駅近くの、年がら年中繁盛している店。
「そうだな」
俺は、そう答えるほかなかった。
彼は今も、ただ楽しそうに笑っている。書き換えられていく世界の中で、彼一人だけが完璧な物語を歩んでいるようだった。




