チー牛、海イベに行く6
「チー牛さん、お楽しみ中のところ失礼します」
後ろを見ると、師匠の使いの者だった。
「アイジェンがお呼びですが、どうされますか?」
「ア……アァ……い……行きます」
俺は使いの者に返事をし、一度みんなの方を振り向きお辞儀をした。
「アザッシタ!」
「おつかれ~」
「ナイスラップ!」
「またやろうぜー」
「うい~っす」
「バイブスやばめだったねー」
みんなサラッと返事を返してくれた。人生でこれほど快く受け入れてもらえた瞬間はあっただろうか?
必ずクラスに1人はいる誰にでも分け隔てなく接してきてくれる爽やかイケメンですら、小学生の頃は何度か話しかけてきてくれた事があった。
俺は無趣味だったし何の特技も無かった。共通の話題も無い。小学生の話術なんて知れているしすぐに俺という人間の魅力の無さに気づかれ、いつしか話しかけられる回数も減っていった。
それが今日、俺は韻踏みを始めてラップが少し出来るようになって自分に自信が付いたからなのだろうか。昔の俺なら自ら人の輪に入って行こうなんて誘われてもしなかったというのに、気づくとサイファーに参加していたのだ。そして人に認められたのだ。
うまく言葉に出来ない。気づくと視界が涙で滲んでいた。使いの者の後をついて行くが、涙で前が良く見えない。こんなに感情を表に出した事も初めてだった。
手で涙を拭いながら歩いた。
師匠はステージ裏にある控え室のような関係者以外立ち入り禁止の場所にいた。師匠は出演者や関係者と雑談をしたり一緒に写真を撮って楽しそうにしていた。俺は場違いな気がして居心地の悪さを感じていたが、使いの者が俺を師匠のところまで案内してくれた。
「オッス!チー牛!アタシのライブどうだったよ?」
「め、めちゃめちゃかっこよかったッス」
「でしょー。てかチー牛、泣いてんの?」
俺は指摘されて慌てて眼鏡を外し目元を手の甲でゴシゴシとこすった。
「いや、これはアレッス。なんでも無いッス」
涙を流すなんて経験もあまり無かったので自分の顔がどうなってるかわからなかったが、そんなにパッと見てわかるものなのか?
「ふぅん。あ、そうそう。CDとかグッズあるから一式持って帰っていいよ。ちゃんと聴いてね?」
「も、もちろんッス!てか師匠、有名な人だったんすね!知らなかったッス」
「いやいや、帰国子女の若手新人って事で事務所が売り出しやすいからなのよ。大人の事情ってやつ……よね?」
卑屈そうに笑いながら師匠は使いの者を見た。前々から師匠が繰り出す英語がやたら流暢過ぎたのは帰国子女だったからなのか。
「ハハハ、そんな事は無いですよ」
使いの者は笑ってはぐらかしたように見えた。会話の流れから使いの者は事務所の人間……もしや師匠のマネジャーという奴ではないのだろうか?業界用語で言うところのジャーマネか?
「いいわ。ネームバリューなんか無くったって実力だけで人気になってやるんだから!」
師匠が一人で意欲に燃えているようだった。自分は音楽業界なんて全くわからないが、売れるだけじゃダメなんだろう。
なるほど。なんとなく関係性が見えてきた。が、一番疑問に思っていた事を師匠にぶつけた。
「ところで師匠」
「なに?」
師匠が俺の方を見た。なんとなくだがいままで自分の知っていた師匠のようで、どこか遠くの人のようにも見えた。
「師匠ってネトラで管理人までしてたから、ステージの上で突然歌い出してびっくりしたッス。ラップはしないんですか?」
「おーー。そういう事ねー」
うんうん、とひとりで納得されても困る。
「アタシ、子供の頃から10年くらいアメリカに住んでたから、日本語ももちろん喋れたんだけどね、リハビリも兼ねて日本語が出来るもの無いかなーって思って偶然見つけたのがネトラなのよ。相手を言い負かすためのワードセンスに、韻を踏むためのボキャブラリー、日本人向けのメロディーラインも勉強になったわ」
確かに、ラップもそうだが特にネットライムは韻に重点を置いている人が多い。自分の言いたい事を、韻を踏むという制限の中でやらないといけないのだ。伝えなくても韻が合わないと評価が下がる。
英語だと「fish」と言う言葉のみだが(fishを英語でfish以外の呼び方を思いつかないのは自分の英語のボキャブラリーの問題かもしれないが)、日本語なら「さかな」「うお」「フィッシュ(日本人にも伝わる)」など、選択肢が多い。韻に合わせて言葉を置き換えられるのだ。
そう考えると師匠がネトラに目を付けたのはなかなかいいアイデアかもしれない。
「そうなんッスね。ライミングも上手いんだからせっかくなら曲に取り入れ無いんですか?」
納得はしたがせっかくライミングも出来るのだ。曲に取り入れれば最強ではないか。
「入れたいんだけどねぇ~。事務所が許さないわけよ」
「大人の事情ってやつッスね」
「そーなのよ。子供相手に大人の事情押し付けんなよ、って感じよねぇ~?のびのびと育てて無いと良い大人にならないぞー?」
師匠はジャーマネを見ながらぶーぶーと不満をこぼしている。
「子供?」
「アタシまだ19だからねー。大学生だけど未成年っしょ?」
「え?師匠、俺より年下っ??」
俺20歳で、もうそろそろで21歳になるんだけど。師匠は俺より年下だったのか?
19歳でステージ上であれだけの人数を相手に圧巻のライブをし、CMで使われるような曲を何曲もヒットさせ、音楽事務所と契約してメイクマネーして帰国子女で、韻乱闘城という掲示板で管理人をしてみんなをまとめて……超人か貴様!
「そだよ?あれ?チー牛にアタシの年言ってなかったっけ?あ、年上なのにタメ語でごめんねーハハハ」
「いや、全然大丈夫ッス」
いや、全然大丈夫じゃない。師匠は年下だが完全にヒエラルキーの上位の人種だ。ただ生きているだけの俺とは違い、全てに置いて俺の上だ。俺が勝る要素が見当たらない……俺なんて無価値な人間なんだ……
違う!!
これはライムバトルと同じだ!
単純なスペックの優劣だけが勝敗じゃない!
師匠はラップがしたくても出来ないでいる。俺はさっきサイファーをしてきたんだ。俺だって師匠にないものがあるじゃないか!
「師匠、実はさっき……」
「あーあ。後1年アメリカに住んでおけば良かったわ。そうすればアタシもアメリカにいた時みたいにストリートでフリスタのライブしたり『マイメン(my men)=仲間』とサイファーしたいわぁ……。ん?チー牛、何か言いかけた?」
「ウッス!何でも無いッス!流石は師匠ッス!」
師匠め!俺の頭の中までハッキングでもしてんのか?先回りして俺の唯一師匠に勝てそうな可能性の芽までむしり取られた。
師匠に勝とうだなんて千万年くらい早かったのだ。俺には何の魅力も無いただのゴミクズなのだ。
師匠と偶然知り合いに慣れ、こんなに仲の良くさせてもらえる異性なんていなかったので浮かれてしまっていたが、師匠は雲の上の存在。俺なんて師匠にとっては何者でもないのだ。
「アタシも今は『オーバーグラウンド=メジャー』でやりたい事もやれずに活動してるけど、いつかは『アンダーグラウンド=ローカル、マイナー』で自由でのびのびと活動していきたいの。オーバーグラウンドで事務所や世間の目を気にしてまで音楽をやっていたくないし、一生音楽で食べていけるなんて甘い考えは持ってないわ。普通に仕事して、週末にクラブでライブして好きな事言って生きていたいわ」
「そーいうもんなんすか?」
「そーいうもんよ。チー牛、アンタはいい意味で無個性で真っ白だわ。だからアタシが1から教育して、アタシがいつかアングラに潜った時に一緒に活動出来るようにしっかり土台を作っておきなさいよ!二人でアングラで天下取ってオーバーグラウンドに殴り込むわよ!」
「え……それって……」
「何?みっちり教育してやってるんだからバシッとしてよね?期待してるわ」
し……師匠に期待されていた……?
俺なんかを見下す事もなく、むしろ期待してくれているし、同じクルーとして活動していってくれると先々の事まで考えてくれていたのか……?
「自分頑張るッス!!」
「当たり前よ。アタシもこっちの世界で色んな事を学んでくるわ」
「ウッス!!」
それから師匠のサイン入りのシングルCDとアルバムCDの2枚をいただいた。
師匠はジャーマネと一緒に事務所に寄らないといけないらしかったので俺はバスで帰ることにした。
帰りのバスの中で『neji-y』について調べてみた。
「―――――――――――――――――――――
年齢19歳。本名未公開。アメリカからの帰国子女。
英語と日本語のバイリンガルで自身で作詞を行い、若い女性の恋心を歌った歌詞が同世代の女性からの指示を集めている。メディアへの登場は避けているとブログでコメントしている。
ファーストシングルがラジオで流れ徐々に話題となりCMへの起用が決定された事で問い合わせが殺到した。
セカンドシングルはドラマにタイアップされ、初登場ランキング10位。
サードシングルはネット広告に起用され、レーベル公式動画サイトの再生数600万回を記録した。初登場ランキング8位。
―――――――――――――――――――――」
謎多き期待の新星といった感じだった。CDのジャケットでも顔ははっきりと写っておらず、ネットでも顔写真は出てこなかった。
師匠、モデルとしてもいけそうな可愛さなのにもったいない。
クソ!師匠の写真撮っておけば良かった……
そんな事を考えながら帰宅した。




