1-01 始まり
・・・ヴィィン・・・ヴィィン・・・
最初は小さな音だった。しかし、この世界にはありえない音だった。
だから、最初に耳を澄ませたのは、臆病な生き物達だったろう。
・・・ヴィィィィン・・・ヴィィィィン・・・
音は段々と大きくなっていった。
もはや誰もその音を無視することは出来なくなっていただろう。屈強で獰猛な野獣も、4本角の牛を使って畑を耕す農民も、狩りに興じていた王であったとしても。
その日は珍しく空一面を厚い雲が覆っていた。そのため、音がする南東の海の空に目を懲らしても何も見えなかったが、その遠い海面が波立つのは確認できた。
「スコール?」
確かに遠目にはそう見えるかも知れない。しかしもし、近くで見る事ができたら、その異様な光景に我が目を疑う事になっただろう。
そう、降っているのは雨ではなかった。
雲の中から降ってくる物は、土砂、岩、樹木、瓦礫、乗り物、建物、そして・・・人・・・。
やがて、雲を突き破って現れた物は、巨大な光の円板だった。そして、その円板に支えられるようにして現れたのは、さらに巨大な建造物であった。
その建造物は、細長い円筒を3分の1に割ったような奇妙な形をしていた。円周方向に10Km、縦方向に40Km、厚さ1Kmもあるその建造物は全体を金属で被われていたが、奇妙な事に円筒の内側に街が張り付いていたのだった。
街は透明な分厚く堅い膜で護られていたが、無残にもその膜の大半は破壊されていた。街のいたるところから火災の煙が立ち上っていた。海に降っていたのは、その街の残骸だった。
「なんでこんな事に!」
マイケル=スタンレーは、『プテルス』の操縦席で絶叫する。
マイケルは運が良かった。この日は、『プテルス』の大気内翼制御航行テストのため市街地上空の飛行許可を取っていて、この災害はテストの準備中に始まったため何とか脱出できたのだ。
「マイケル!『エリアβ』に近づき過ぎだ!落下物に巻き込まれるぞ!」
後部座席からサモン=リスドールが叫ぶ。
サモンはさらに運がよかった。医者である彼は、友人であり技術者であるマイケルがテストフライトを行うというので見物に来ていたのだ。
「しかし!一人でも助け・・・」
「無理だ!こっちが沈む!『シューティングスター』を牽引している事を忘れるな!」
サモンの言う通りだ。『プテルス』は『シューティングスター』と呼ばれた純白の機体をロープで牽引しながら飛んでいるのだ。落下物に巻き込まれる危険性は高い。
マイケルは無線の全チャンネルから流れる悲痛な叫びを聞きながら何も出来ない自分を責めるしかなかった。
「誰か助けてぇ!誰かぁ!」
「火がぁ!火がぁ!」
「量子クラフトの出力を上げろ!何としても軌道上に戻せ!」
「無理だ!この量子クラフトはまだ実証実験装置だ!そこまで出力は上がらん!既に過負荷だ!クラフト面が崩壊している!」
マイケルにもそれは判った。量子クラフトが作動している視覚的な証拠である光の円板、その縁がバラバラに砕け始めていた。もう海に沈む事を止める事は出来ないだろう。
しかし、不幸中の幸いは、落下速度を抑えるられている事だ。この速度であればこの星にダメージを与える事はないだろう。
だがこの速度では『エリアβ』が着水してから海に沈むのに掛かる時間は2時間もない。一体どれ程の人がその間に脱出出来るというのだ。
マイケルは唇を噛み、サモンの忠告を無視して、巨大落下物となった『エリアβ』にさらに近づいたその時だった。
ダン!!!
キャノピーに突然衝撃が走った。マイケルは反射的に上を見上げた。その眼に映ったものは・・・。血に染まったキャノピーと・・・その向こうにいた・・・元は少女だった固まりだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
マイケルは叫びながら飛び起きた。
大きく乱れた息をゆっくり調える。
そして、しわ枯れた手で顔を覆いながら呟いた。
「あれから40年も経つというのに、まだあの時の夢を・・・」
薄暗い部屋に跳ね上げ式の窓の隙間から差し込む光が朝も遅い事を示していた。
窓の外からは、「シュィィィィィィン」という『プテルス』の水破砕エンジンの音が響いている。夢の原因はこいつの音かと思いつつも、待てよ、今日はあの日かと、窓を開けつつマイケルは思考を巡らせた。
「じいちゃん!おはよっ」
と、リーク=ライオネルは何時ものように明るく声をかける。リークの両親は既に他界しており、マイケルが孤児となったリークを小さい時から育てていた。そんなリークももう17歳だ。
「今から修理品を村に届けてくる」
リークは、『プテルス』のコックピットの下部に設置されたコンテナ(本来ならそこにはガンポッドがあるのだが)に、工房から運び出した品物を詰め込んでいく。
マイケルは、定期的に村人から壊れ物を預かり修理をしていた。他に本業はあるのだが、これまでずっと良くしてくれた村人達への恩返しとコミュニケーションをはかるためにも続けている習慣だった。もっともリークは、これを本業と勘違いしているようだが・・・
「うむ、リサ嬢によろしくな。」
マイケルの冷やかしに、リークはコックピットで赤くなる。
(全く、若者をからかうのは面白い)と意地悪く笑う。が、(しかし本当に我々と何も変わらんな)と今さらながら思い知らされる。
この星の元々の住民と宇宙から来た自分達は見た目も精神構造も見分けが付かない。サモンに言わせれば内臓構造や薬物効果等も殆ど変わらないが、遺伝子構造はまるで別物なのだそうだ・・・神は我々をどうするつもりなのか・・・
あれこれ考えているうちに、『プテルス』が離陸を始めていた。VTOL機である『プテルス』は垂直に上昇しスムーズに巡航飛行に移行する。機体が一切ぶれないのは、リークの腕によるものだ。
「『プテルス』の操縦は、もう完璧か・・・さて、いつ次のステップ、『シューティングスター』に移行するか・・・シミュレーターはもう合格ラインだったな・・・」
マイケルの思考は本業モードに移っていた。
「はーい。みんな~。今日が何の日か判りますかぁ?」
リサ=リデルは子供達に問い掛ける。
リサは、長い髪を右耳の後ろで束ねて体の前に垂らしている。16歳という年齢のわりに幼く見えるのは、僅かに残るソバカスのせいかもしれない。
ここは村の学び舎であり、リサは子供達を相手に先生をしていた。リサも子供達も床に座って勉強するというのがこの学び舎のスタイルである。
「はいはーい。今日わぁ~、第一世代の皆さんがぁ~、『天の街船』に乗ってぇ~、この星にいらっしゃった日でぇ~す」
女の子が自慢げに答える。
「はい。正解で~す。今から40年前までこの星に住む私達は、剣で闘いまじないで物事を決める生活をしていました。文字が読める人は貴重なだけでなく、この大地が惑星という物の一部であることや空に輝く星や太陽が何であるかなど想像することさえ出来なかったのです」
リサは一息ついて、子供達を見回すし、話を続ける。
「そんな私達に、知識、技術、文化、そういった文明の恩恵を与えるために、第一世代の方々は、『天の街船』に乗って私達のもとを訪れてくれたのです」
「しかし、第一世代の方々を悲劇が襲いました。この大地への到着を目前にして事故により『天の街船』が墜落してしまったのです。これにより、何万もの第一世代の方々のうち生き残れたのは、千人程でしかなかったそうです」
「それでも第一世代の方々はくじけませんでした。この世界のあらゆる国に散らばり、文明の伝授を始めたのです。そして、第二世代、第三世代と、文明の担い手が増え世界は豊かになっていったのです」
宇宙から来た第一世代達はこの星の人々に知識を伝授していった。第一世代に教えを受けた者を第二世代と呼び、第二世代に教えを受けた者を第三世代と呼ぶ。しかし、教えられるのは知識の一部であるため世代を重ねる事により知識は劣化した。
しかし、例外はあった。第一世代に全ての知識を伝授され、完璧に理解し使いこなす者もいた。彼らは継承者の称号を受け第一世代の物理的な財産も受け継いだのである。
因みに、第一世代の知識(文化的なものも含み)を持つものを総称して、技術者と呼んだ。
「では、第一世代の方々に伝えて戴いた物を言える人はいますかぁ?」
男の子が元気よく答える。
「はぁーい!マシーナ!」
「えぇーっ!それって戦争の道具でしょう!」
「だって、とっても強いんだぞ!」
男の子と女の子が言い争う。
マシーナとは、人または動物をかたどった搭乗式の多関節機械を指す。その戦闘力と威圧感の高さから各国で競って兵器として召し抱えられ、搭乗者は騎士の称号をもって迎えられた。
リサは二人の言い合いに苦笑いしながら口を開く。
「はいはい。他にもありますよ。この学び舎だって、第一世代の方々が教育の大切さを訴えたから出来たのですよ。それに時刻や暦、重さや長さを計る統一の単位だって第一世代の方々によって出来たのですからね」
そんな風に授業を進めていると、突然隣の広場に『プテルス』がエンジン音と砂埃と共に舞い降りて来た。こうなると男の子達は広場に飛び出し勉強どころではない。
「えーーーっ!!授業中にリークったら突然来て!何考えてるのよ!!もぉ!!」
リサはほっぺたを目一杯膨らませて文句を言っているが、口元と目元は緩んでいた。リークに会えるのだから仕方のない話だ。現にリサも広場に向かっていた。
コックピットが開き、リークが声をかける、
「おぉーーい!リサぁ!久し振りぃ!」
リサが先程と同じ文句で答えると、
「えっ?予定通りだぜ。村の人も来てるじゃん」
リサは慌てて手帳を確認し、頬に手を当て顔を真っ赤にして一言だけ呟いた。
「・・・あら・・・」
その頃マイケルは、目の前のデバイスがもたらした情報を凝視していた。
デバイスとは携帯型のコンピュータである。板のような単純な構造で使用時にホログラムにより空中に情報を映し出す。基本的に第一世代または継承者が持つものあり、彼らの間での無線による情報交換の道具でもあった。
マイケルに届いた通知は、この国、フォルデベルグ王国の重臣でかつ第一世代であるグライゼ=バッセルからのものであった。
「王が逝ったか・・・王の計画は予定通り開始されるようだな」
マイケルは『シューティングスター』の調整を急ぐべく、工房へ足を運んだ。
慌ただしく人々が右往左往する王宮の中で、ここだけは時が止まったように静かだった。
王の遺体が安置されているこの部屋に居るのは王の3人の子、第一子のルミエラ=フェム=フォルニムール姫、第二子のランベルト=メル=フォルニムール王子、そして第三子であるフィリア=フェム=フォルニムール姫である。
ルミエラ姫が28歳、ランベルト王子が26歳、二人とも既に王者の風格を纏っていた。
輝くブロンドの髪を結い上げたルミエラは均整がとれた顔立ちに知的な眼差し、包容力と威厳に溢れた表情は観るもの全てを魅了した。
同じブロンドの髪を短く刈り揃えたランベルトは知略を兼ね備えた勇猛な勇士といった風貌であり、彼が一声発すれば全軍が直ちに付き従うであろうカリスマ性があった。
フィリア姫は12歳。彼女はブロンドの髪を腰まで伸ばしていた。他の二人に比べて遥かに幼く愛らしくはあったが半面頼りない物足りない雰囲気を漂わせていた・・・外交的には・・・。
「フィリア、済まない。これから苦労させる事になる」
「お気になさらずに、兄様。父上が決めた事ですから」
「私達はどんな時もあなたをバックアップするから。頼ってね」
「ありがとう姉様。でも悪い噂で厭な思いをお二人はするのですよ」
「大丈夫。厭な思いをするのは臣下だけよ」
ルミエラがとぼけた笑みを浮かべ、後の二人が釣られて吹き出す。人目がない所ではただの仲の良い兄弟でしかなかった。
そして兄と姉は認め誇りに思っていた。頼りなさげに振る舞うこの末の妹が実はもっとも才溢れる存在であることを。
それから数日後、王の国葬の場において、フォルデベルグ王国を3国に分割するとの告示がなされたのである。