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月の書架  作者: まるたかあお


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15/15

『誤算』中

3


 ――有明がおかしい。

 青月が真っ青になって、あたふたとしている。

 皓月は溜息をついて、立ち上がった。

 ブランデーを入れたグラスがカラカラと音を立てる。青月が一瞬、こちらを見た。

「有明ちゃん! カウンセリング中に自分の世界に入らないの!」

 皓月が有明の背を叩く。叩いた感触は軽く、まるで存在しないようだ。

 有明は意識を取り戻したように、顔を上げた。そして、表情を元に戻す。

「ああごめんごめん。少し考え事をしてしまった」

「その癖直しなさいよ。青月ちゃんが怖がっちゃって可哀想よ」

「うん、肝に銘じるよ」

 さて、と有明が再度カウンセリングに戻る。皓月はまた部屋の隅に戻って、今度は座らずにブランデーを一気に流し込んだ。

 熱は喉を転がるが、体を焼きはしない。青月は少し引き摺っているように見えたが、再び有明と話し始めていた。

 指定がなければ、カウンセリングの付き添いは話の内容を忘れる。皓月はそもそも聞いてすらいない。

 少し経つと、顔色が戻った青月と、有明が立ち上がった。今回のカウンセリングは終わりらしい。

 青月が先に扉から出て行く。皓月も続こうとしたが、有明に呼び止められたため、振り返った。

「なあに、有明ちゃん。デートの申し込みか何か?」

「違うよ。フォローありがとう、と」

「あら、それが私の仕事だもの。いいのよー」

 皓月が手を振ると、有明は大人しく頷く。

「青月ちゃん、有明ちゃんとしか話せないから。もう少し話してあげなさいよ?」

「そうなのか」

「そりゃそうよ、有明ちゃんのその、心を安定させるっての? 貴方自身が強い薬みたいな感じじゃない」

「……分かった、なるべく頻繁にカウンセリングが出来るようにするよ」

 よろしく、と皓月は掌をひらひらさせて、扉を開けた。

 青月の姿はもう無い。どこかに歩いていってしまったようだ。皓月も仕事に戻ろうと辺りの様子を確認する。

 書架の中は非常に賑やかだった。何かのトラブルが起きたわけでもないのに、アクセス権を持っている魂たちが多数集まってきている。

 それでも余りあるこの『月の書架』の広さにうんざりしたような顔をしながら、皓月は元の位置に戻るために足を進めた。

「あ、皓月! またサボってますね?」

「無月ちゃん、残念ながらカウンセリングの付き添いをしてたのよ。貴方と違っておサボりじゃないわ」

 無月が、通路の向こうからひょっこり現れる。皓月はそれを追い払おうとしたが、無月は隣に移動してきた。

「誰の? 私も行きたかったなあ」

「青月ちゃんよ。お呼ばれしなくて残念だったわね」

「あの子かー。なんか辛気臭いんだよなあ」

「貴方も大概よ?」

「ええ! そんな事ないもん! 私は」

「はいはい、分かったから行きなさい。私も忙しいのよ」

 幼い顔立ちがむくれる。皓月はそれを一瞥してから、自らの背中の向こうに置き去りにした。



 4


「痛かったなあ」

 孤月は腕をさすって溜息をついた。

 明らかに様子がおかしい青月に本を投げつけられ、逃げられる。何だか悪い事をした気分だった。

「俺、何かしたっけなあ」

 座っていた様子のおかしい青月に声を掛けただけのつもりだったが、酷く怯えさせてしまった事だけは分かった。

 しかし、覚えはない。青月を探して彷徨うくらいしか出来ない。

 ――やはり、『月の書架』内部は大きく変わっている。

 本棚は背が低めになっている。別に円形に配置されている訳でもなく、天は青空に残月が映っていて、とても明るい。

 さて、どうするか。今日はやたらと白い影がたくさんいる。これはアルが言っていた死んだ魂なのか、それとも迷い魂なのか、何なのか。いるのは分かるが声は聞こえない。

「あら、孤月ちゃんじゃない。どうしたの?」

「あ、皓月。いや、青月を探してたんだ。体調悪いみたいだったから」

「あらー、すっかりいい子ちゃんになって。青月ちゃんならあっちの方で見かけたけど、無月ちゃんもいたから遠回りして行きなさいな」

 皓月が手振りでルートを教えてくれる。孤月は頷いて、素直にそれに従った。本棚の隙間を縫って、指していた所に辿り着く前だった。

「あ! 孤月くん!」

 ――しまった、と思ってももう遅い。無月が背後から声を掛けてくる。

 嫌な感じはしない。でも安心感もない。

 無月は愛らしい表情で、孤月の手を取った。

 やはり冷たくて、生きている人間の感触ではなかった。

「なんで、来てたなら声掛けてよー。寂しいよ」

「あ、ご、ごめんな。ちょっと散歩してて、その」

 どういう風に振る舞ったらいいのか分からない。この無月は孤月のことをどう認識しているのか、全く知らない。

 無月は頬を膨らませて、抱きついてきた。孤月は驚いて、体を硬くしてしまう。

 体温が下がる。震えが来そうだ。しかし、何とか堪える。

「だめだよ。孤月くんは私のなんだから。誰かの所にいっちゃだめよ?」

「え、ええと」

「もう、いつもは孤月くんがそう言ってくれるのに、最近変! 私、今の言うの恥ずかしかったんだよ?」

 頬を染めて上目遣いの無月。とても可愛らしいのに、早く離れたくて仕方が無い。孤月はなるべく優しく振り解くと、無月から一歩離れた。

「お、俺。皓月から頼まれてるんだ。そうだ、だから行かなきゃ。……またな、無月」

「ええ! そんなのいいよ。ただでさえ、孤月くんはあんまり来ないんだから。私と一緒にいて?」

 甘えた声を出す無月が、異質な物に感じられる。

 無月はこんな事を言わない。無月はこんなに女を出してこない。何故なら――

 どうして、こんな風に思うかは分からない。あの書架長の無月が残っているからなのか?

「本当に、本当に悪い! また来るから!」

「あ、ねえちょっと!」

 孤月は、無月を背に駆け出す。ぬるりとした汗が噴き出て、身体中が冷え切っている。

 怖かった。書架長の無月に感じるものとは違う。得体の知れない恐ろしさだ。

 残された無月が何か言ってくるのを感じたが、振り返らない。振り返れない。



 5


 孤月が本棚の影で息を切らしていると、誰かがぬ、と顔を出した。

 ひ、と勝手に喉が鳴る。

 女だった。髪が長い、はっきりした顔立ち。そこに化粧をしているものだから、少しきつい印象を与える。

「……あのー。君、孤月くんだよねー?」

 しかし、声は気が抜けていて、間延びした話し方のせいで余計にそう感じる。孤月が頷くと、女はにこりと微笑んだ。

「わあ。初めましてー。私、朧月っていうの。長いから朧って呼んでー」

「あ、ああ。朧さん、ね。ごめん、何で俺のこと知ってるの?」

「知ってるよー。超我儘な無月ちゃん大好きっ子でしょー。みーんな噂してたからー。ふふーん」

 朧はほにゃほにゃと笑って、孤月の前に座り込んだ。レザーのセットアップが艶やかだ。

「でも、今は鬼ごっこしてるのー? 無月ちゃんから逃げよって感じかなあ? 楽しい?」

「いや、別にそんな事は」

「これが恋の駆け引きってことなのかなー? おねいさん、楽しくなっちゃうなあー」

 朧はうっとりと空中を眺めている。孤月は彼女の人物像が掴めず、困惑した。

「あ、のさ。皓月、知らない? 俺、皓月を探してて」

 咄嗟に皓月の名前を出したが、朧は「ふうん?」と不思議そうな顔をした。

「皓月くんさー、今忙しいみたいよー。青月ちゃんのカウンセリング行っちゃった。でも青月ちゃんと二人だったと思うけどなあー? 変だと思わないー?」

「え? な、何が変なの?」

「カウンセリングルームのルールだよー。カウンセリングルームは三人で入らないといけないんだってー。おねいさん、青月ちゃんと皓月くんしか見ていなかったよー。なんかもやもやしていた気がするけどねえ」

 はあ、と孤月は息をつく。

 何を言っているのかよく分からない。

 というかさー、と朧は続ける。

「今日、なんかここの雰囲気違くなーい? 結構久しぶりに来たんだけどー。もっと青くなかったっけー」

「え! あんたもそう思うの?」

「おねいさん」

「あ、はい。おねいさんもそう思うの?」

 圧に負けた孤月が言い直すと、朧は満足そうに頷いた。

「うん。ということは孤月くんも思ってるのかあ。こんなに壁白くなかったしさ、プラネタリウムっぽくなかったっけ?」

「そうそう、そうなんだよな。俺もそう思ってた」

「やっぱりー? 何があったのかなあ。無月ちゃんに聞いてこようかなー?」

「あ、それはやめた方がいいかも」

「ん? ……あ、分かったー! 孤月くん、無月ちゃんと喧嘩しちゃって逃げてるんだねー! 無月ちゃんのご機嫌斜めだからやめた方がいいってことねー」

 話が早いのか早くないのか、朧は納得したように頷いた。孤月はどうでも良くなってしまった。


 6


 朧は「ちょっと見てくるー。また来るから遊ぼー」と言って、どこかに行ってしまった。また来るつもりらしい。

 孤月は安心感を得た。

『月の書架』内部で自分だけがこの状態を訝しんでいるわけでは無いと言う事。それが、少し怪しい女だとしても。

 孤月は無月に遭遇しないよう、なるべく影の方を歩く。静かに静かに。

 その内に、一度だけ入ったカウンセリングルームの扉の近くまで来た。様子を伺っていると、そこから青月が妙にすっきりした顔で出てくる。思わず隠れたが、見知った青月の面影が出ていて、「声を掛けるなら今か?」、という考えが過る。

 しかし、その後に出てきた皓月を見て考えが変わった。皓月は白いもや、影のような物と出てきた。そして別れて、こちらに向かってくる。

 皓月が連れていたのは、周りに無数にいる白い影たちと同じようなものだった。これが何か知っている可能性がある。

 孤月は棚を挟んで、彼を追う。無月に会わないようにする為だが、何故自分が隠れなくてはいけないのかと考えてしまう。

 しかしこの行動は正解だった。少し進んだ先で、皓月は無月に捕まり、何かを話していた。

 これでは近付けない。無月には会いたくない。

 もう気がない恋人に会いたくないような、それ以上の嫌悪のような、妙な心境だ。

 今来た道を戻るが、これでは皓月ともまともに話せない。

 無月に警戒しながら、情報を何とか得るにはどうしたら。


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