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月の書架  作者: まるたかあお


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14/15

『誤算』上

1


 頭が割れそうだ。

 赤に金の装飾が施された絨毯。明るい室内。

 目に入る物全てが何かを偽っている気がする。

 青月はぎょろり、と目だけで周りを見る。

 絶対におかしいと思っている自分と、普段通りの『月の書架』だと思う自分。首の縄を強く引いてみるが、骨が軋むだけで答えが落ちてくる訳もない。

 青月はただ歩き回る。その先、本棚の隙間から、若い、少女というには少し大人びた女が見えた。

 無月だった。手を叩いて本を動かしている。青月から見てもとてもつまらなそうだ。

 青月はこの女の事を良く知らなかった。最初にこの場所に連れて来られた時の案内役。何をしていてもやたら楽しそうだった。

 自分が身体に刻んだ痕を見ても、顔色一つ変えなかった。その事だけは妙に印象に残っている。

 ――流石に歩き疲れた。どこかに座ろうと辺りを見回す。近くに、赤色の柔らかそうなソファーがあった。

 青月は仕方無くそこに腰掛けた。座り心地は良いが、何と無く収まりが悪い。

 テーブル向かいにも同様のソファーがあるが、青月は誰も近付けたくなかった。

 ぼさぼさの傷んだ髪の毛を掻き上げる。どうにもこの焼け付くような痛みが取れなくて、薬でも飲もうかと思いつく。碌な考えでないからすぐに打ち消した。

「よう、青月」

 嫌な声がした。青月は顔を上げなかった。

 目の前の椅子に誰かが座る。無遠慮なその態度は、吸っている煙草の煙にすら表れていた。

「は? 返事もしない訳?」

 苛立ちを孕んだ男の声。青月は口を結んだまま、この煙草の匂いが消えるのを待つ。じっと、じっと。身を固くして。

「マジでお前、ヤな奴だよ。陰気臭くて。このままじゃそこの花瓶の花まで陰気臭くなっちまう」

「……放っておいて」

 絞り出した声は、思ったより震えていなかった。目の前の男が鼻で笑う。

「はあ? お前そんな事言う権限があると思ってんの? ないからな?」

「あなたこそそんな権限はない! 私のことは……?」

 顔を上げた青月は、自分がはっきりと男を拒絶した事に驚いた。そして、目が合う。

 孤月だ。認識していた声の主で間違いない。

 しかし、おかしい事は続く。孤月は二人いた。

 無月にしか向けないような表情の手前の孤月と、よく見知った孤月。

 青月は何度か瞬きをして、真っ二つになりそうな脳を庇って悲鳴を上げた。

「おうおう、まーた始まった。気狂いって怖いなあ」

「うるさい、うるさい! どこかに消えて、私の前に現れないで……!」

 髪を振り乱しながら、青月はいつの間にか置いてあった近くの本を投げつける。この男を払い除けられれば何でも良かった。

 本は孤月に当たったらしく、何か声が上がったが確認なんてしない。青月は立ち上がって、とにかく逃げる為に走り去った。

 白い壁、紅色の絨毯、色とりどりの花々。

 花瓶を倒して割れても、それは一人でに元に戻る。そんな事は今の青月にはどうでも良い。

 逃げる、とにかく逃げる。

 嫌な事から逃げないと、その一心。

「うわあ!」

 前なんて見ていなかった。派手に誰かにぶつかり、青月も相手も吹っ飛ぶ。

 青月は背中を打った。強い痛みだが、すぐに引く。成層圏まで届くのではないかと思わせる天井に、青空が映っていた。

 あ、と思わず声が漏れる。

 逃げ切った。危機から逃げ切ったんだ。

 青月はそう、確信した。

「青月さん、大丈夫です? 痛いところはない?」

 ぶつかった相手は無月だったらしい。手を差し伸べてくる。青月はそれを素直に取って、起き上がった。

「……ごめんなさい。夢中だった」

「いいよいいよー。何か怖いことでもあったんです?」

 無月が小首を傾げて訊いてくる。話してしまってもいいか、という気安さが湧き上がってきたが、青月は首を振った。

「いいえ。私は貴方をよく知らないから、話せない」

「あらら、そうかあ。じゃあ、話したくなったら聞きますよー!」

 無月は嫌味なく笑い、手を振ってどこかに消えていく。

 青月はそれを見送ってから、はて、と思う。

 孤月がわざわざ自分に声をかけてきたのか?

 無月がいたのに?

 あの孤月が?



 2


「やあ青月。調子はどうだい?」

「……あ、有明、さん」

 床に座り込んだまま、どれくらいが経っていたのか。青月が立ち上がると、有明は柔和な笑みを見せた。

「無月に聞いたよ。何だか大慌てだったんだってね。大丈夫かい?」

「ああ。なんだか。……そう、なんだか、変な気持ちになってしまって。私」

「そうか。まだ君は来たばかりなんだ。そういう混乱も起きるよ。大丈夫だ」

 有明の手が、青月の乱れた髪を整えるように撫でる。青月は思わず目を細めた。

「せっかくだから今日も少しお話しようか。……皓月か無月、いるかい?」

 有明の手が離れると、青月は途端に体温が下がった心地になった。気落ちしてしまうが、誰かを探す有明にはそんな事、伝えられない。

「うん、近くにいないみたいだね。青月、悪いけど先にカウンセリングルームに行っていてくれるかな? すぐ行くよ」

「……はい」

 青月は頷き、カウンセリングルームに向かう。

 そこまではすぐに辿り着く。木製のよく磨き込まれた扉は、とても重く感じた。

 そっと開くと、中は暗闇。何もない。上の方にぽつんと光があるが、あれはカウンセリングをする、有明の席だ。離れているのに、始まるととても近くに変わる、魔法のような部屋。

 ぼんやり眺めていると、上の方で影が揺らいだ。はっとする。

 姿を現したのは有明と、皓月だった。

 カウンセリングをする側は確か二人で部屋に入らないといけないルールがある。初回でそう聞いた事を、青月は思い出した。

 でもそれが何故であるのかは分からない。

「待たせたね、青月。今から言うものを想像してくれるかな?」

「はい、分かりました」

「では。真四角の広めの部屋。壁は白、窓は高いところに二つ。床には緑色の丸いラグ。どんなものでもいいけれど、ぬいぐるみが至る所に置いてある。一人掛けのソファーが2つ、間に細長い小さなガラステーブルを置こう」

 青月は、言われた通りに部屋のイメージをする。そうすると、このカウンセリングルームは音もなく、狭く低く、そして色付く。

 有明と皓月、青月は愛らしい部屋の真ん中に立っていた。

「ありがとう。これからはカウンセリングルームにきたら、この部屋を想像してくれると助かるよ」

「なんで二人しか座れないのよ、有明ちゃん! 私の席は?」

「あれ、聞く気だったのかい? それはすまないね。見えないところに立っていてくれ」

「はあ? 酷くない?」

 皓月はむくれながら、部屋の隅の方にしゃがんでじっと有明を見ている。

「さあ青月、座ろう。……何か飲み物を出そうか。ココア、温かい紅茶、ミルクやレモンを入れてもいいね。ほうじ茶もあるよ」

「……それなら、ココアがいいです」

「ココアか。いいチョイスだ」

 有明が手を叩くと、目の前に可愛らしいマグカップ。中には温かいココアが湯気を出して揺れていた。有明はコーヒーを選んだらしい。

「ちょっと! 私にはないの?」

「好きなものをどうぞ。酒でも何でも」

 はあん、と皓月が文句を言い切れなかった声がした。

 青月はついついそちらを見てしまうが、飲み物を出した後の皓月はすう、と溶けいってしまいそうな程静かになった。

「さて、青月。最近はどうかな?」

「分からない。この間の話を聞いてから余計に、分からないです」

「この間……。そうだね、前回は少し魂の出立について話をしたね。怖い事を言ってしまったか」

「はい、とても。怖いです。私、私はずっとあんな」

「少し深呼吸をしよう。……そうだな。でも青月は、僕の話を聞いたのに、それを試そうとはしなかったんだね」

 青月はマグカップに目線を落とした。

 そうだ、有明には自分を終わらせる方法を聞いた。実は試したが、普通の方法、自分が知っているものでは死ぬことができなかった。

「いえ、私。試したんです。でも、上手くいかなくて」

「試したのかい? それはどんな方法で?」

「薬も飲んだし、首も吊りました。手首も切った。でも、全然。痛みも苦しさも、確かにあったのにすぐに消えていってしまう。普通の、私の知識では死ぬことができなかった」

「……そうか。そうなんだね」

 有明は少し天を見上げて、それから一口、コーヒーを啜った。

「しかし、飛び降りはしなかったんだね」

「それが、飛び降りても体が浮いてしまって。ふわふわ、と」

「そうなのか。うん。そうか。君はきっと、本質的にはまだ生きていたいんだね」

 え、と青月は声を漏らした。

「そ、そんなわけないです。私、わたしは、死にたくて消えたくて」

「でも何をしても消えることが出来なかった。君の奥底は、まだまだ生きていたいって思ってるんだよ」

「そんな事は……」

 有明はふふ、と柔らかく微笑んだ。

「まだ分からなくていいんだ。君が今、何を感じて何を考えているか。それが一番大事だよ」

「……そうなのでしょうか」

「たとえば、君はさっき、何かあって大慌てだったんだろう?」

「あ、はい。そうです」

 青月は先程の、孤月の件を思い出した。

 妙な孤月と本物の孤月が二人、こちらを見ていた。

「その、孤月さんが二人見えて」

「二人?」

「そう、そうなんです。いつもの意地悪で我儘な孤月さんと、何だか違う……顔は孤月さんなのだけど、全くの別人みたいな、二人がいて」

 有明が黙り込んだ。青月はまずい事を言ったのか、と思い切り手を振って、打ち消そうとした。

「いや、違くて、多分勘違いかも。私、有明さんと話す時以外は頭がおかしくなっちゃうから」

 有明が俯く。何か小声で言っているが、聞き取れない。

 こんな有明は今まで見たことがない。いつもの有明なら、知らない事があれば飛びついてくるはずだ。そんな気がする。

 青月がどうしよう、と顔を青くしていると、後ろで控えていた皓月が立ち上がった。

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