第52話
「ねえ――」
調べるといっても一体どこから手をつければいいのやらと、夜の帳が降りた空を見ながら考える。ブーゲンビリアに行けば新しい情報も手に入るのかもしれないが、教師の仕事がある以上頻繁に行き来は不可能だ。
「ちょ――」
それに今はレイノが一番の心配だ。一体何がどうしてしまったのかがわからないが、だからこそ担任としてしっかりと向かい合い、対話を重ねていかなければならないのではないかと、そう思う。
「聞いて――」
とにかく帰ったらまずはレイノと話をしよう。魔物化現象について調べるのは、それからでいい。
「こっちを見なさいよ!」
「うわっ」
「うわじゃないわよ!」
大きな声を耳元で出されて思考の世界から現実世界に引きずり戻されると、視界が頬を膨らませたウェリカの怒り顔で埋め尽くされていた。魔力制御の特訓もしなければならないし、考える事が多いな。
「何だよ」
「色々聞きたいのだけど、とりあえず宿とか行かなくていいの!? もうすっかり夜じゃない!」
「『宿とか決まってないならここに泊ってもいいよ』ってノーネが言ってたし、今日はここで寝泊まりしようと思うんだけどいいか? 浴場なんかも好きに入っていいって言ってたし」
「いいけど……」
ウェリカがなぜかもじもじしだしたが、ともかく俺とウェリカは現在ホプキンス家の屋敷の来客用の部屋で過ごしている。ノーネはルトラさんと何かやるからとか言ってどこかに消えていった。二人とも妙にウキウキしていたので何をやるつもりなのか尋ねて見たけど答えてはくれなかった。
「その……ノーネ様って、前からあんな感じだったの?」
ウェリカがどこか心配そうに言った。
「元々そんなに明るい性格では無かったな」
「そう……」
「だけど誘拐事件があってからは学校と寮の往復しかしなくなって、より一層口数もどんどん少なくなっていった。何とか卒業までは漕ぎつけられたけど、家から一歩も出られなくなったって聞いて……正直もっとヤバい状態だと思ってた」
だから、ぎこちない部分があったりしたけれどもちゃんと話が出来て安心した。ウェリカは俺の言葉を咀嚼しているかのように、無言になった。
「……だから、お前もあんな風になっちゃうんじゃないかって、すごく不安だったんだ」
そんなウェリカに、俺は本心を伝える。
一方的に望まない結婚を強制されて、人ではなく道具であるという扱いを受けて。心がすごく傷ついているのは痛いほどわかった。
でも、俺に救える力は無くて。結局俺ではない他の誰かが助けてくれたお陰で、俺たちは今もこうして一緒にいられる事が出来て。
それが心のどこかで引っ掛かって、悔しくて、情けなくて、申し訳なくて。
「……あたしは」
お互い沈黙する時間が続いた後、やがてウェリカがゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「あんたが死ぬんじゃないかってなった時が……怖かった。あたしの末路の事よりも、あんたが死ぬ事の方が、ずっと怖かったの」
ウェリカが俺の手をぎゅっと握り、翡翠色の瞳に俺の顔が映る距離まで近づいてきて、
「だから……生きて……。ずっとあたしの……そばにいて」
消え入りそうな声で、そう言った。
「……妹、だからな」
俺も微かな声でウェリカに言った。そもそも急場しのぎの設定だったし、今はただの教え子の設定でしか無いけれど。
「えっと……あた……あたし…………」
ウェリカの頬が段々と夕暮れの空の如く朱色に染まっていくのを見ていたら、部屋のドアが開き、ノーネがひょっこりと隙間から顔と相変わらず無防備な胸元を見せた。
「しょ、食堂に来て……って……」
ノーネが俺とウェリカを見て、声を詰まらせる。
「あー、これは……」
「…………大人の関係……なんですか……?」
「違う! 断じて違う!」
「……よかった……じゃ、じゃあ……廊下で……待ってます……から」
再びドアが閉められた。それを見届けてから、再びウェリカと顔を合わせる。
「あんなに必死に否定しなくても……」
「いや、でも、誤解されたら大変だし……」
ウェリカが悲しそうな顔をしたので必死に取り繕う。ていうかなんで悲しそうなんだ。もしかして。
「俺と、大人の関係になりたいのか?」
……なんて言えるはずが無いだろ。気持ち悪すぎる。
喉から出かけた言葉を押し戻していると、ウェリカが俺から離れ、ドアを開けた。
「呼ばれたんなら、さっさと行くわよ! もう!」
そうして一人でそそくさと部屋から出て行こうとしたので、
「わかってるよ」
俺もドアへと向かった。
教師と担任、兄と妹。後者はただの設定でしかないけど他は一体どんな関係があるんだろうか。
「じゃ……行きましょ……」
「行くわよ変態!」
「へんた!?」
罵る側と罵られる側……!?
もしかして、ノーネの胸に目が行っていたのがバレ……!?
いや、バレていない。そういう事にしておこう。
「変態じゃねえよ!」
そういう事にしておこう。




