第八章 天王向島(10)
安養寺の子院、華王院の本堂。
そこで吉法師は、滝川八郎を仲立ちとして、二人の人物を引見していた。
一人は小柄だが日に焼けて精悍な面構えの男で、いま一人は十歳になるかならないかと見える少年である。
少年もよく日に焼けており、口元に笑みなど浮かべて、まるで物怖じしていない。
吉法師は茶筅のように立てた髷を若草色と紅の紐で結い上げ、獣の皮を継ぎ当てた小袖と袴を身に着けている。
腰には最近いつもそうしているように火打ち石と瓢箪を吊り下げていた。
瓢箪の中身は弾薬と鉛玉だ。
滝川久助が堺から持ち帰った鉄炮を、吉法師はすっかり気に入って、毎日のように鍛錬に励んでいるのである。
八郎が言った。
「甲賀者の手を借りたいとの若殿の仰せでございましたが、それがしは大殿から給地をいただいております手前、表立っては動けません。そこで旧知の者を当たって、この伴与七郎殿を招きました。ともにおりますのが、同じ伴一族の太郎左殿。太郎左殿はいまだ九歳ですが護身の術は一通り身に着けておりますので、竹千代様の身近に置いていただければよろしいかと存じます」
「伴与七郎にござる」
「太郎左にございます。まことは太郎左衛門にございますが、呼びやすいように呼んでいただければ」
甲賀に縁の二人は、頭を下げた。
吉法師は「うむ」とうなずいて、
「織田三郎じゃ。しかし、おのれでは吉法師と名乗り、周りにもそう呼ばせておる」
そう言ってから八郎に目をやる。
「報酬の件は話がついておるのか」
「もちろんでございます。忍びが働くのは決してそのためばかりではございませぬが、報酬の話は避けられませぬ」
八郎が答えると、吉法師はうなずき、与七郎に告げた。
「いまのところ儂は手元不如意である。津島には儂は人の繋がりは得ておるが、運上金は全て我が父、備後守の懐に入る。熱田も同様じゃ。ゆえに諸々の掛かりはその場で用立てようが、そのほうたちへの報酬は、儂が当主を継いだのちでなければ払えぬやもしれぬ。それでも働いてくれるのか」
「その分、頂けるときには頂きまするが」
「出世払いで結構でございます、ええ」
与七郎と太郎左は答えて言う。
吉法師は大きく、うなずいた。
「のちの払いについては、しかと約定いたそう。されば儂が甲賀の衆に望むのは、この那古野の城下を守ること。ことに付け火に備えることじゃ」
「付け火にござるか」
問い返す与七郎に、吉法師は「うむ」とうなずき、
「忍びは火攻めの技に長けていよう。されば、この那古野でいかにして付け火を防ぐか、その策も立てられるのではないか」
「それは無論のこと。されど火攻めを案じられる所以をお聞かせ願いたい」
「儂の政事の落ち度を責めようと誰ぞが目論むなら、失火であれ付け火であれ城下で大火が起こることが、家来や領民にもわかりやすいであろうからよ」
吉法師は言った。
「政事が悪しきゆえ城下の者に油断があり、火事が大きくなったのだとな。それで安養寺も焼けて竹千代が命を落とすことになれば、まさしく誰ぞの目論見の通りとなろう」
「その誰ぞの心当たりが吉法師様にはございますのか」
「我が父、備後守じゃ。まことにそこまでいたすとは思いたくないが」
「恐れながら御城下には織田様の菩提寺、萬松寺もござる。それでもなお備後守様の手の者が付け火をなさるとお考えか」
「安養寺に火をかけたとして、萬松寺までは離れておるし、向こうの境内は広い。伽藍の全てが焼けることはなかろう」
吉法師の答えに、与七郎はうなずいた。
「よう物を見ておられる。拙者もこの那古野の御城下に参って、まず町割りを確かめ申した。いかなるお指図を賜わろうとも応じられるためにござる」
「では守りの肝は安養寺でよいか」
「いや萬松寺にござろう」
与七郎は、きっぱりと言った。
「御城下の菩提寺が焼けたとなれば、それがいかなる事情であれ御城主である吉法師様を責める、よき口実となり申そう。恐れながら、そこまではせぬと思うことに備えるのが、我ら忍びの守りにおける定石」
「ふむ……」
吉法師は腕組みをする。
「儂は萬松寺を巻き込まぬかたちで城下に付け火ができると考えたが、なるほど与七郎の申す通り、萬松寺を焼くほうが目論見に適うわけじゃな。では安養寺に加えて萬松寺の備えも固めるには、あとどれほど人手が必要か」
「幾人か甲賀より手の者を招きまするが、あとは配置の工夫にて。されど付け火を防ぐと申しても、那古野も小さな町ではござらぬゆえ、付け火を一切させぬことまでは叶わぬとお考えあれ。それが起きたとしてすぐに消し止め、下手人を捕らえる備えにござる」
与七郎が言って、吉法師はうなずいた。
「……であるか。全て任せる」




