第七章 三河小豆坂 其ノ二(11)
天白道場の境内。
組み上がった物見櫓の上に立ち、内藤勝介は、東の彼方に目を向けていた。
丘が幾重にも連なる向こうに今川方が拠る生田城があるが、ここからでは直接は見えない。
しかし小城であるから火攻めが効果的で、味方が生田城に攻めかかれば、ほどなく煙が上がるだろう。
気がかりなのは、今川勢が生田城に入った二千だけではあり得ないことだ。
どこかに伏勢があるはずで、それを岩室十蔵の一党に探らせているが、まだはっきりとした報告がない。
「──内藤様」
櫓の下から呼びかけられた。
「岩室十蔵殿からの伝令が参りましてございます」
「おお、それを待っておったのだ」
内藤が櫓の下を見下ろすと、いま声をかけて来た若い侍の横に、母衣を背負った別の侍が地に片膝をついて控えている。
声をかけて来た若侍は持ち場である門の守りへ戻って行き、内藤は櫓の梯子を下りて、母衣を背負った侍だけが待つところへ歩み寄った。
「侍の姿じゃな」
「は……母衣衆と思わせれば戦場では馬も使って素早く動けますゆえ」
侍と見えた男は、岩室十蔵の配下の忍びである。
内藤はうなずいて、
「母衣の色を替えて敵にも味方にも化けようということか。そのほうの名は」
「孫とお呼びくだされ」
「されば、孫。岩室殿からの伝令とのことだが」
「は……それが定めの刻限になりましても頭領の十蔵をはじめ一党の者と繋ぎがつかず、かような折には内藤様へ異変をお知らせするようにと、あらかじめ十蔵より指図を受けておりました」
「なんだと」
内藤は普段の布袋尊のような福々しい顔と一変して眉を吊り上げた。
「そのほうは、どの辺りに伏せておった。また岩室殿はどの辺りを探っておったのだ」
「拙者の持ち場は、この上和田より小豆坂までの道中にござる。十蔵は岡崎城の間近に伏せ、今川方そのほかの密使が出入りいたさぬかと見張っており申した」
「では小豆坂の辺りまでは、まだ異変がないのだな。大殿に言上して、ただちに先手の兵を呼び戻さねばならぬ。ちょうどよい、そのほうその姿のまま伝令を務めよ。この内藤からの使いと申せば、すぐに孫三郎様に御目通りがかなうであろうから、いまの話をお伝えいたせ」
「承知いたしました」
「岩室殿と繋ぎがつかぬとは、よほどの変事。ここで進退を誤るわけには参らぬぞ」
内藤勝介は自身に言い聞かせるように、つぶやいた。




