第七章 三河小豆坂 其ノ二(10)
「──権六ッ!」
「はッ!」
「この戦、勝ったぞッ!」
「ははッ!」
織田勢の最前線で、十文字槍を手に下馬した三郎五郎は、柴田権六と並んで猛勇を振るっていた。
岡崎衆を先頭に小豆坂を駆け下って来た今川勢に対して、織田勢もすぐに兵を返し、双方、坂の下で激突したのである。
しかし道は狭く、これを外れれば、まだ田起こし前なのに水気を帯びた泥田である。
元来、このあたりの低地は沼や湿地なのである。
そこに踏み入った双方の兵は、足をとられていくらも進まないうち、敵の矢に狙い打たれて、ばたばたと倒れる。
ゆえに道の上が主戦場だが、織田勢の先頭にいる三郎五郎と権六が途方もなく強い。
今川方の士卒を次々と突き伏せ、斬り払う。
そして斃した敵を跨ぎ越え、また次の敵を屠っていく。
岡崎衆の先陣として三郎五郎に挑んだ石川助十郎は、構えた手槍を弾き飛ばされ、十文字槍の柄で殴られて、たちまち昏倒した。
「はッはッはッ! 仁王殿があと十年若ければ、よい敵であったろう!」
三郎五郎は大笑すると、助十郎につき従って来た年老いた小者が、うろたえているのに向かって呼びかける。
小者も陣笠と胴丸鎧を身に着けてはいるが、主人の槍などの武器を預かり、自らは脇差しか携えていない奉公人である。
「そのほうは助十郎殿の中間か小者であろう! 気を失うた敵の首を搔いてもつまらぬゆえ、さっさと主人を連れて退くがよいぞ!」
「へ……へへえっ」
小者は言われた通り、意識のない助十郎を引きずって行こうとしたが、道の上には味方の兵が、あとからあとから押し寄せて来るので、泥田へ逃がれるしかない。
そのあと助十郎がどうなったかは、三郎五郎は見ていない。
倒すべき敵は次々と現れるので、一度倒して「自分のほうが強い」と決まった相手のことは気にしていられないのである。
「はッはッはッ! 命が惜しくない者はかかって参れ! 参らねば、こちらから推して参るぞ!」
三郎五郎は敵を幾人倒してもまるで疲れる様子もなく、織田勢の先鋒の勢いは止まらない。
一方、織田勢、今川勢とも、まだ坂の途中にある中段の兵は、坂の下を狙って矢を放てば味方も危ういので、敵方の坂の途中にいる士卒に向けて矢を射かける。
しかしこれは互いに楯をかざして防ぎ、ほとんど被害は与えられない。
そして坂の下では三郎五郎と権六が今川方の兵を、次々と仕留めていく。
今川勢の隊列の後方にいた太原崇孚は、この有り様にさずがに顔をこわばらせた。
「織田三郎五郎の武勇のほどは耳にしていたのである。なれど、たった一人か二人の武勇で戦況が決まるなど、あり得べきことではないのである」
朝比奈又太郎も険しい顔で、
「敵のあの勢いを止めねば、味方の伏勢が到着する前に、我ら突き崩されますぞ。敵の先鋒に向けて矢を射かけることをお許しくだされ」
「それはならぬのである。味方を巻き込み矢を射るなど徳のある戦い方とは呼べぬのである。我らは徳のある今川なのである」
「ではこのまま耐えるほかないと」
「伏勢に回った味方を信じるばかりである」
太原崇孚は、きっぱりと答えて、朝比奈は従うほかなかった。
「……承知いたした」




