第五章 美濃井ノ口(10)
萬松寺の本尊、十一面観世音菩薩像を前に、吉法師は端座する。
住持の大雲永瑞には坐禅をしたいと告げたのだが、
「曹洞禅は只管打坐。一人になって考え事をしたいと顔に書いてある吉法師殿に坐禅は無用にござろう」
「む……」
「またこの境内で吉法師殿を一人にして差し上げられる場所もないが、十一面観世音菩薩なれば、吉法師殿の胸の内をお聞きくだされよう。存分にお話しなされるがよい」
そう言って吉法師を本堂に案内して、ほかの者を遠ざけてくれた。
これは、神仏が相手でもなければ──勝千代や万千代ら気心の知れた者にも、言えぬことであった。
(父上は、意地が悪すぎる……)
吉法師は、そう思っていた。
あえて悪人を装っているのかと思おうとしたこともある。
武士が善人であって得をすることはないからだ。
狡知に長けた悪党であればこそ、我が家、我が領地を守れよう。
だが、備後守の言動には底意地の悪さが透けて見えていた。
人を軽んじていた。
我が意のままにできる駒としか見ていない。
(山城入道が美濃中で嫌われておるなどと笑うてはおられぬ)
人には、それぞれ感情がある。
武士には、なおさら意地がある。
ゆえに損得ばかりでは動かない。
感情に突き動かされて、他人には思いもよらぬ方向へ進むこともあるかもしれない。
(儂もそれは肝に銘じておかねばならぬ)
吉法師は自身も感情的な性格であると理解していた。
気持ちが顔に現れてしまうことを、抑えきれない。
だが理由もない好悪の情を他人に向けることは避けようと思っている。
(我が憎むのは、我を憎んだ者だけよ)
そうでなければ無駄に敵を増やすことになる。
それはそれとして、いまは備後守のことだ。
強い領主が上に立つことで、領地は富み、民は豊かになるのだと、ずっと吉法師は考えてきた。
それは、いまも変わっていない。
だが備後守は、どうなのか。
松平次郎三郎を屈服させて、三河を我が物にした。
いや、そうなってはいない。
確かに次郎三郎は嫡子を人質に差し出して来たが、いつでも離反しかねないことは備後守自身が承知している。
今川が、三河を狙っている。
ならば美濃になど手を出す前に、まず三河を完全に掌握するべきではなかったか。
次郎三郎をはじめとする三河各地の領主たちを懐柔し、今川に従うよりも備後守の味方でいたほうが利があると思わせる。
各地の城や町、湊の守りを固め、今川勢の襲来に備えさせる。
知多の佐治家と渥美の戸田家は、三河における海上交易の利権を巡り長年の対立関係にある。
だがこの両者を今川という共通敵の前に和睦させ、熱田と津島を絡めた尾張・三河交易圏の利益を分かち合わせる。
そうしてこそ尾張と三河を強くて豊かな領国として、まとめ上げることができたのではないか。
(父上は、ただ戦がしたいだけなのか……)
美濃とは和睦を考えているという。
山城入道という大敵の息の根を止めないまま、もとから利害の合わない朝倉も巻き込んでの、その場しのぎの和議である。
そして再び三河で戦をしようというのだ。
次郎三郎がいつ裏切るかと疑いながら、それを懐柔する手も打たないままで。
(……父上には強く豊かな国は作れぬやもしれぬ)
そう思い至った。
ならば、どうするか。
(やはり儂が我が力で、父上を踏み越えてくれるほかはない)
そう覚悟した。
いますぐのことではない。
だが、やがてそうするべきときが来るはずだと思った。




