舞台裏 幸せの子守唄
ゆっくり目を開けると、望みどおりの笑顔が待っていてくれた。
「よく眠れた?」
小鳥が首を傾げた拍子に、豊かな栗毛が肩を滑り落ちた。ゆるく波打っているそれに手を伸ばすと、ふわふわと踊るように逃げていく。
顔を覗きこんでくる大きな瞳は焦茶色で、子どもの頃に秋の森で拾い集めた木の実を思い出した。
「ねぇ、黒猫ってば」
眉間に皺を寄せたしかめっ面もかわいらしい。美姫と名高かった母親を持つ小鳥は、やはり申し分ない容姿をしている。あどけなさの残る、綻びはじめた蕾のように可憐な顔立ち。長かった幽閉生活のために小柄で華奢だが、それすら庇護欲を掻き立てる儚げな印象を作り出していた。
小鳥は美しい。
だかそれは彼女の外見だけでなく、内面こそが引き出しているものだ。小鳥とまっすぐ向き合ったとき、その透明なまなざしに心揺らがぬ者はいない。
彼女は無垢だ。俺は最初、それは世界を知らずに育ったゆえの幼い純粋さだと思っていた。人が生きていくなかで失わざるを得ないもの。いつか鳥籠から解き放たれたとき、小鳥もなくしてしまうだろうと。
だがそうではなかった。罪と裏切りという汚濁を呑みこんでなお、彼女は清らかだった。
無知ゆえの白さではない。すべてを知り、すべてを受け容れ、それでも何にも染まらぬ強さ。まぶしいほどに揺るぎない心。
それこそが、小鳥の美しさ。
「返事くらいしなさいよ!」
「でっ」
ぺちりと額を叩かれ、俺は思わず声を上げた。すっかり機嫌を損ねてしまったらしい小鳥は、目覚めたときの微笑みが嘘のように冷え冷えと言った。
「起きたならさっさとどいてちょうだい」
「ひどいなぁ、小鳥」
苦笑すると、睨んでくる視線が更にきつくなる。俺は「ごめんごめん」と白桃のような頬に触れた。
「あんたの笑った顔がかわいかったから、見惚れちまった」
「……ばっ」
馬鹿、と言いたかったのだろうか。林檎も驚くほど顔を赤くした小鳥は口をぱくつかせたあと、きゅっと唇を引き結んだ。恨めしそうな目がくすぐったい。
枕に借りた彼女の膝はとてもやわらかかった。以前に比べて娘らしく肉づきがよくなってきたのかもしれない。おかげでぐっすり眠れたが、起きるのがもったいなくなってしまった。
ここのところ執務室に詰めっ放しの俺を心配して、小鳥がわざわざ様子を見にきてくれたのがしばらく前のこと。長椅子にでもいいから横になれと言うので、じゃあ膝枕してくれるかと冗談半分に訊いてみたら、恥ずかしそうにしながらも頷いてくれた。思い立ったら口にしてみるものだ。
滑らかな頬に指を這わせると、はにかむように目を細める。拭えきれない血にまみれた俺の手を厭いもせず、小鳥は愛しそうに小さな掌を重ねてきた。
あなたを信じる。そう告げた、優しく強い微笑みが忘れられない。
彼女は知っているのだろうか。あの言葉が、どれだけ俺を救ってくれたか。王であることを投げ出せず、それでも小鳥を手放したくなかった卑怯な俺を。
レイシア国王ヴランヒルト。あの男も同じだったのだろうか。王として立ちながら、ひとりの男として小鳥の母親――アニエスタを望んだ。
そして、どちらも守れなかった。
国を治める者の責務と個人の幸福は共存することがひどく難しい。俺の母は父に見初められて子まで成しておきながら、身分の差に城から去らなければならなかった。大叔母は人質として敵国に赴き、十数年もの間大叔父と引き離されていた。王族として生まれたからには、ときに自らを犠牲にしなければならない。
俺とともに在れば、いずれ小鳥にもその宿命を強いる日が来るだろう。
――それでも、俺は小鳥と一緒にいたい。
ともに生きていきたい。ともに幸せになりたい。愛し、愛されたい。
そう願うことすら罪なのかもしれないけれど。
「……なぁ、小鳥」
「なぁに?」
当たり前のように向けられる微笑みは、途方もない喜びとなって胸を満たす。
俺の名はトゥスタのアレクシオ。そして黒猫。
俺が俺である限り、命を懸けてこの笑顔を守ると誓おう。永劫不変の真実として。
「もう少し膝を借りててもいいか?」
我ながら子どもっぽい声で頼むと、彼女は困ったように苦笑した。
「しょうがないわね、甘えん坊さん」
了承とばかりにふわりと掌が下りてくる。あたたかな波のように打ち寄せてきたまどろみに、俺は再び目を閉じた。