航宙船長「まる」 番外編01:珈琲豆進宙!
2026年6月12日。
本編再開の前に、随分前に書いていた外伝を投稿しようと思います。一度、極めて部数の少ないコピー本同人誌の形でも発行したのですが、多くの方に読んでいただくのは、おそらく今回が初めてだと思います。一応、連載掲載に挟み込む形で投稿します。
この「珈琲豆進宙!」は、第1話末にわずかに触れていた、中型貨物航宙船〈ハニー・ブッシュ〉船長だった「まる」と、そのクルーたちが、「独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉」に初めて搭乗する際のお話となります。
本編をまだ読んでおられない方でも読んでいただけるように工夫はしています。楽しんでいただけたら幸いです。
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21世紀の読者から、750年昔と言えば鎌倉時代の最中、6代将軍宗尊親王の治世になるだろう。公家社会が終わりを告げ、武士や商人が台頭する、そんな一つの区切り目の頃である。
この750年余をベクトルを逆にしてみれば、西暦にして2760年。何度かあった全面戦争や滅亡の危機を乗り越えた地球人類は、順調に宇宙に進出し、その版図を大きく広げていた。居住惑星は36を数え、6000光年の宇宙空間で活発な活動をし、異星人との文化文明の交流も進んでいる。そして、この時代、人類は。いや、人類社会の生み出したものは、新たな段階へと向かおうとしていた。
これはそんな、時代の区切り目に当たる、はるか未来の時代の物語の中の、ほんの1シーンのお話である。
古の地球から2550光年離れた場所にある〈琴の輪太陽系〉。その4番惑星が、惑星〈種子島〉である。
この星は数少ない、改造なしで人類の生息が可能な「天然居住惑星」だった。
人類の生息が可能とは言え、発見当初から火山活動が活発な星であり、異星人から伝えられた技術により、火山活動をある程度は安定化させてはいるものの、その勇壮な火山そのものと、天然に溢れる温泉が観光資源という事もあり、完全に地殻活動を安定化させてはいないため、地震の絶えない激しい惑星ではあった。
この星で、ありえない事態が発生しつつあった。
星にある主要な5つの大陸には、それぞれ地殻活動を検知するセンサーが設置されており、異常な活動を検知次第、大掛かりな冷却装置を使ってマグマの活動を抑えることで、大災害を未然に防ぐ仕組みになっていた。そして、センサーは異星人から仕入れたNBT(Never break technology=絶対に壊れない技術)製品の筈であったため、万が一にも故障は無いと思われていた。
そう、センサーは壊れていなかった。
そこに繋がる地球人類製の観測基地が壊れてしまっていたのだ。
惑星〈種子島〉の中で、1000万人が暮らす大きな「火縄大陸」の北部連山は、数か月前から異常活動を始めていたが、「種子島公国」の惑星管理機構は、まだそのことに気が付いていなかった……。
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全長165mという、ありふれたサイズの恒星系間貨物航宙船〈ハニー・ブッシュ〉は、今日も無事に貨物を依頼主に届け終え、その母港のある〈らせんの目太陽系〉に向かうため、虚空に浮かぶ、惑星サイズの巨大なリング状の建造物……超空間ゲートの前にひしめき合う、何十万という航宙船の列に加わろうとしていた。
彼らの積荷は用途別にフォーマットする前のナノマシンや、特産品、歴史的に稀少な物品等が多かった。今日の積荷は21世紀の日本の一点物のハンドメイドフィギュア10体。たかが人形と馬鹿にしてはいけない。1体で〈ハニー・ブッシュ〉そのものよりはるかに高額な人形である。船員たちはその保全で神経症になるのではと思ったほどだった。
さて、この〈ハニー・ブッシュ〉の中心部は、船体前部にあるドラム状のブリッジである。
このブリッジは、ゆっくりと回転して、疑似重力を作り出している。そこで、餌でも待っているのか、妙にそわそわしている三毛猫が床を行ったり来たりしている。猫は、時折ブリッジの計器に前脚を乗せて身を乗り出しては、動きに気を取られるのか、首を長く伸ばしてクルクルと動くその映像を目で追ったりしていた。周りの船員はそんな猫の動きに慣れているのか、叱りもしない。むしろ微笑ましい目で見ていた。
猫を目を細めて見ているのは、190cm位の身長で、ガチムチというほどでは無いけれどそこそこ筋肉質で、一言で言えば偉丈夫という言葉がぴったりきそうなイタリア人男性。その右前方の席に座って、笑いをこらえているのは、一見すると若い、すらりとした日本人男性である。
「間もなく、〈らせんの目太陽系〉への超空間ゲートが開きます」
計器を見て真顔になった若い日本人が言うと、イタリア人も頷いた。猫も雰囲気を察知したのか居住まいを正す。
超空間ゲートは約2時間ごとに10分間、空間と空間をつなぐ回廊装置だ。開きっぱなしではないのは、膨大なエネルギーを消費するからである。
今〈ハニー・ブッシュ〉が居るのは、人類が発祥した惑星〈地球〉を擁する〈太陽系〉から約2000光年離れた〈ペリカン太陽系〉である。ここから、地球から660光年離れた〈らせんの目太陽系〉に向かう超空間ゲートが、今まさに開こうとしていた。
「船長、いよいよですね」
イタリア人男性が、前方を映すモニターを見ながらひとこと話した。
だがブリッジには、先程の日本人男性のほかは、左後方で通信コンソールを弄っている小太りの日本人男性と、右後方で貨物リストをチェックしている眼鏡をかけたおかっぱの日本人女性がいるだけだ。2人は作業の内容からしても、船長ではない。
イタリア人男性は自分の言葉への返事も待たず、中央やや左側の席に座った。
すると、先程まできょろきょろそわそわとあちこちを歩き回っていた三毛猫がその隣にとととっと走り寄った。そして、床を軽く撫でるように触ると、床が開いて、小さな、やや手前に傾いた跳び箱のような、沢山の計器の付いた、不思議な格好の椅子がせり上がってきた。三毛猫はその跳び箱にひょいっと飛び乗ると、丁度猫の腰を受け止めるような形の窪みに、またがる形にするっと腰を下ろした。
「ええ、いよいよね。ラファエル副長」
その声は、三毛猫の両耳の付け根に装着されている、小さなユニットから発せられていた。ユニットは左目側にやや大きめな箱状の装置、右目側には筒状の装置が付いていて、お互いがワイヤーで結ばれている。左側の装置の先端からはレーザー光の様なものが両目に向けて照射されて、目の中にデジタル画像を写像していた。三毛猫はこの装置の事を単純に「ヘッドセット」と呼んでいる。
そして、よく見ると、三毛猫の前脚には銀色に煌めくブレスレットの様なものがはめられていて、その前脚で、跳び箱状の椅子の前面に並んでいるボタンを器用に操作していた。三毛猫はこちらの装備を「マニピュレーション・グローブ」と呼んでいた。
「じゃあ〈らせんの目〉に帰りましょう」
猫が言うと、ラファエルと呼ばれた男性は頷いて答える。
「そうしましょう、まる船長」
そう、この三毛猫こそが、この船の船長「まる」だった。
今は28世紀半ば。地球人類の生存圏は6000光年に広がり、4つの巨大な〈通商圏〉からなる社会を構成していた。まる船長は、その中にあってなお数少ない、「知性化された猫」である。
今から89年前、彼女は不慮の事故で、航宙船から剥がれ落ちた展望デッキに、たった一匹で取り残され、そこにたまたま存在した睡眠学習ユニットにより、サバイバルの為に脳を強化された上で知性化され、その英知で生還したのだった。
以後、彼女は独立を目指して航宙船の船長となり、飼い猫から飼い主氏のパートナーにも昇格した。だが、彼女が船長であることは公には伏せられている。この商売、舐められてはやって行けないからだ。だからいつもは副船長のラファエルが、対外的に船長として振る舞っていた。
先程皆が笑っていたのは、外部との通信直後であり、まるが普通の猫の振りをしていた所為でもあった。
今、まるが搭乗している航宙船〈ハニー・ブッシュ〉は、まるの元飼い主であり、現在はビジネスパートナーである土岐忠雄氏が経営する「白浜航宙運送」所属の貨物航宙船であり、搭乗員は83人と1匹。これといった武装もない船だったが、これまで30年ほど、まると仲間たちで実績を積んできた船であった。
彼女と共にこのブリッジにいるのは、この船の副船長「ラファエル・チンクアンタ」。
右斜め前のすらりとした男性は、一等航宙士「太田大輔」。
後ろで通信コンソールを操作している小太りの男性が「渡辺市太郎」。
在庫の確認をしていたのは経理の「垂髪薫子」である。
「超空間ゲートに突入します」
太田が言った。
超空間ゲートを通る何十万という船が、ゲートが開く10分という短い時間に、一斉に青白いエンジンの輝きを煌めかせながらゲートを通って行く、その光景は圧巻だった。もっともゲート自体は、船に乗っている側からすれば、通過は一瞬で、いつ通ったのかもわからない程度ではあったが。
そしてゲートを通り抜けると、そこはもう〈らせんの目太陽系〉だった。
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相対論によれば、距離を離れた場所の同時性は保証されないという。通信など、間接的な手段で繋がれて初めて、時間の同時性や、ずれを認識することになる。
そして、この時代の亜空間通信でさえ、通信速度は光速の2万倍の速度に留まっている。唯一最も速い通信は超空間ゲートを経由した2時間ごとのパケット通信である。超空間ゲートを経る数が増えるほど、このタイムラグは開くことになって仕舞う。
惑星〈種子島〉では、ようやく地震観測基地の異常に気が付き、対策が練られ始めていた。
そして、観測データを見て、彼らは仰天することになる。未曽有のマグマだまりが噴火直前の兆候を示していたのだ。噴火を止める為の冷却機構は、観測基地の故障により、動作させる前にマグマの浸食を受けて連鎖的に故障していた。大至急、冷却機構を取り換える必要があるものの、巨大な冷却機構は特注品であり、〈大和通商圏〉では、首都機能を持つ惑星〈星京〉の多重地殻の第3層にストックされているものしか現存はしていなかった。
緊急を告げる連絡と、冷却機構の発注の方は、直ちに〈星京〉のある〈らせんの目太陽系〉に送られたが、〈種子島〉のある〈琴の輪太陽系〉と〈らせんの目太陽系〉は直結していないため、連絡には片道4時間を要することとなった……。
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まる達が所属する「白浜航宙運送」は、名前の通り惑星〈白浜〉にその籍を置く運輸会社である。惑星〈白浜〉は、直径6000光年の地球人類圏にあってさえ数少ない、天然のままで地球人類が居住可能な星のひとつであった。超空間ゲートは〈白浜〉から数光時の距離にあるため、帰港する為にはワープドライブを使わなければ半日以上の時間が必要になって仕舞う。
ワープドライブ。それは、亜空間の繭=ワープシェルで包み込んだ物体を、その繭ごと、最大で光速の1000倍の速度で移動させる超光速航法の名前だった。
ワープはいくつかの制限事項がある。特に大きな制限は4つあり、ひとつは、他のワープシェルと重なる形ではワープシェルを展開できない事。2つ目は惑星レベルの巨大な物体の傍でワープシェルを展開すると、重力震を引き起こしてしまう事。3つ目は一方通行的に、光はワープシェル内部に伝わり、ワープシェル自体を光の圧力で押すことが出来てしまう事、4つ目は、ワープシェル内の物体は外の物体に干渉しない。つまり、その気になれば、ワープ中の船は惑星や恒星を突き抜けることも可能、ということだった。
これを実現するのが「ワープナセル」と言われる船体から離れて設置されている長い棒のような機関だ。今〈ハニー・ブッシュ〉のワープナセルは青白い光を放ち始めている。
『船長、ワープの準備整っています』
機関制御室から技術部長の「秋風高志」が連絡を入れてきた。
「了解、秋風君もお疲れ様。あっちの作業もあるから大変よね」
まるは気さくに答える。機関制御室では秋風が自動工作装置を使って何かを作っていた。彼は渡辺と双子のような体形である。黒縁の眼鏡をかけ、オタク然とした雰囲気を隠そうともしていない。いや、彼にとってそれはむしろ勲章の様なものだった。
『まあ、FERISを本船から「あれ」に移植するために必要な事ですし』
「あれ呼ばわりはひどいわね、来週から私たちの新しい家になる場所よ?」
まるは抗議をしたが、その合成音声には楽しそうな響きがあった。FERISとは、この船の中枢コンピュータの呼称である。だが、数日前には既に取り外され、別の場所への移送が決まっていた。
「太田君、惑星〈白浜〉にコースセット、ワープシェルを展開して最大速度でワープ」
言われた太田航宙士はパネルを操作しつつ復唱した。
「了解。惑星〈白浜〉にコースをセット、ワープシェルを展開して最大速度でワープします」
〈ハニー・ブッシュ〉のナセルが青黒く光ると、その船体は黒い霧で覆われるように見えなくなった。次の瞬間、黒い霧のあったところから虹色の筋がはるかかなたに伸びていた。
「さて、我が家まで数分」
そう言いながら、ワープ中の船内で、まるは先程まで座っていた跳び箱……猫用の船長席を収納すると、
「ラファエル、船をお願い」と一言副長に声を掛けた後、すとんと床に降り立つと、ブリッジの床にあるゲートから落ちる感じで外の通路に降り立った。
まるが今から向かうのは地上で土岐氏と共に過ごしていた我が家。その我が家を、今日は引き払う日なのだ。
<いよいよ土岐さんから独立する日が来た>
まるは心の中で感慨にふけった。偶然の出物とはいえ、独立船として登録できる船が手に入ったのだ。
独立船――それは、25世紀に生まれた制度である。一定規格以上の自給自足可能な船に関して、自治権を与え、実質上の小国とみなす制度だ。まるの所属する〈大和通商圏〉だけではなく、他の〈連合通商圏〉や〈欧蘭通商圏〉にも存在する制度で、惑星に縛られない地球人類圏の振興のために緩やかに行われている。〈地球通商圏〉にも類似の制度はあるようだが、28世紀の人類社会を構成する4大通商圏のうち、〈地球通商圏〉だけは混とんとした状態が続いていて、〈通商圏〉としての制度に関しては今ひとつ不明瞭な点が多かった。
まるはブリッジを離れて、船の中心を貫くリフトに取りつくと、無重力区画を通って格納庫に向かっていた。その途中、船内通信が鳴り響く。
『船長、目的地接近しました。重力影響エリアに入る前にワープアウトし、亜光速航宙に移行します』
まるはリフトの床を軽く蹴ると、最寄りのコンソールに泳ぎ着いて、装着しているヘッドセットを接続した。このヘッドセットは、頭がよくて長寿なだけのただの三毛猫である彼女が、その前脚に装着している銀色に光る腕輪の様なもの=マニピュレーショングローブ、と同時期に独自に開発した装置で、猫の目の弱い視力を増強して人間より細かなものを見れるようにしたり、彼女の微妙なジェスチュアを読み取って音声信号に変えたり、人語を彼女が聞き取りやすい音波に修正したりする働きがある。前脚に装着しているマニピュレーショングローブは、個別に動かしにくい猫の指の動きを、ヘッドセットからの信号で補正して、自在に人間用の機材を操れるようにするものだ。この装備のお蔭で、彼女は人間の船長並みに船内の機材や通信を操る事が出来るのである。
「ワープアウトして亜光速航宙、了解」
まるはコンソールからそう告げると、再びコンソールの床を蹴るとリフトに飛び乗り、格納庫に向かった。今日は大事なものを土岐氏から受け取る手はずになっているのだ。
格納庫に急ぐまるの心は躍っていた。
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惑星〈種子島〉からの緊急報は、一旦〈ペリカン太陽系〉の超空間ゲートを経由して、〈らせんの目〉太陽系へと送られつつあった。
一方、〈種子島〉の噴火危険レベルは上昇を続けていた。既に大陸からの避難は開始されたが、規模と、緊急の事態であることから、作業は遅々として進んでいなかった。そして、残り時間は7時間を切っていた。
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格納庫には既に整備を終えた降下艇〈川根焙じ〉が出発準備をして待っていた。まるは無重力エリアで、器用にリフトから一足飛びで〈川根焙じ〉のエアロックに飛び込んだ。床を歩くために粘着靴を使う方法もあるのだが、まるは歩きにくい靴が嫌いだったし、もう30年も一緒にやってきた船だったから、軽業師の様な跳躍も日常の一部だった。ごくたまにドジって目標を離れることがあるのだが、彼女はそういう時は慌てず、腹部に装着している「シークレットポーチ」から小型の空気ジェットを取り出して、軌道修正していた。この時代でも、宇宙船乗りにとって、無重力はごく当たり前の事だった。
まると共に〈川根焙じ〉に乗り込むのは、総務の若く見える眼鏡の女性「定標那由多」と、壮年の外見の細身の男性である、物流部長の「五条新太」、本日付で警備部から砲術長に転属したドイツ系のすらっとした美人「ドーラ・ボーテ」の3人だった。
「地上に降りたら、土岐さんの別荘に向かうわね」
まるはそう言いながら猫用操縦席をポップアップさせ、ヘッドセットをコンソールに接続すると、ブリッジと連絡を取った。
「こちら降下艇〈川根焙じ〉のまる、出発準備完了したわ」
ブリッジからも丁度待っていたかのような返事が返ってくる。
『お疲れ様です、現在本船は減速中。間もなく惑星〈白浜〉周回軌道に入ります』
「了解、周回軌道に乗り次第〈川根焙じ〉で降下します」
まるはそういうと、手元の計器と外を写すモニターの両方に注意した。モニターにはゆっくりと格納庫のゲートが開く様子が映し出されていた。ゲートは特定の大きさより大きい物だけを通す特殊な力場で仕切られている。空気や人などはそのままでは通り抜けないので、格納庫のゲートは無くても実質上の問題はない。敢えて言えば、中の船体などが衝撃時に飛び出さないようにするためにある、フェイルセイフ的なものだ。
『貨物航宙船〈ハニー・ブッシュ〉、周回軌道に乗りました』
「了解。降下艇〈川根焙じ〉出ます」
船体は微かな振動音を上げながら浮上すると、ゲートから外に出た。眼下にはほとんどを青い海に覆われた美しい星がまばゆく光っている。
「降下地点確認。コース上に他船なし。地上の天気は午前中で快晴、風は微風。気象上の問題なし。オールクリア、コースセット」
そこまで読み上げながらコースを設定すると、後はもう、基本的には機械任せだ。
操縦席で大きな欠伸をするまるに、那由多が錠剤と、チューブに入った水を差しだす。
「船長、投薬お忘れですよ」
気が付くと、まるが覚醒薬物を摂取する時間が過ぎていた。彼女が抱えるもう一つのハンデ。それは猫としての睡眠時間の多さだった。まるが摂取している薬物は実質ほぼ無害に、彼女の活動時間を人間並みに伸ばす効果がある。ただし、一日2回の投薬が必要で、経口摂取だった。
「面倒臭いから、延命薬物みたいにインプラント化できないかしらねえ」
延命薬物は、宇宙船乗りと、その家族に与えられる特権の様なものだ。光速を超える航宙が実現できたとはいえ、その旅はいつ百年単位の漂流にならないとも限らないのだ。猫用もあり、まるはおよそ800歳までの寿命を得ている。ちなみに、人間用では数千年の延命効果があると言われている。残念ながら、まるの覚醒薬物は使用期限が短いため、インプラント化は難しいらしい。ただ経口摂取に関しては、彼女のホームドクターが改良を提案していた。
「今日薬研先生も来られるんですよね、成果を聞かれては如何です?」
「そうねえ……」
薬の苦さに顔をしかめながら、まるは水を舐めた。チューブは猫が無重力状態でも効率よく水を飲めるように顔の下半分を覆い、猫の舌の動きに合わせて水を送り出す仕組みになっている。だがまるは、どうにもそのチューブが好きではなかった。なんとなく息苦しい感じがするし、第一、口の周りが濡れてしまう。
「間もなく降下目的地点」
〈川根焙じ〉のオートナビゲーションの機械音声が知らせてきた。船内には重力が徐々に戻ってきている。
「よし、到着ね」
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まる達が着陸した場所からさほど離れていないところに、波打ち際に建てられた、白い平屋建てのコテージが有った。
そこから壮年の男性が、青と白のアロハシャツを着て、にこやかに歩いてきた。
「やあ、まる。お帰り」
まるは走り寄ってその腕にダイブした。
「ただいまっ、土岐さん」
4.5kgは重たいとは言わないが、それでも小さな米袋を投げつけられるようなもので、土岐氏は砂浜に押し倒される形になった。
彼にしても、外見は壮年だが、年齢は200歳を超えている。延命薬物の所為で、宇宙船乗りの年齢は外見では判断できない。そんな中にあって、好きで初老の外見を選ぶ人もいる。
「やれやれ、元気な嬢ちゃんだね。100歳に届こうって年齢とは思えないな」
そう言いながら、コテージから出て来た男性は、土岐氏とまるをニヤニヤしながら見た。
「薬研先生!」
まるはそう叫んで、土岐氏の腕から飛び出すと、初老の男性の元に走って行った。
「ご無沙汰ですな。あとで体の調子を確認してあげましょうか」
「私は健康そのものよ。先生もお元気そうで何より」
「ああ、私にはこれがあるからね」
薬研幸次郎。彼は土岐家のホームドクターであり、専属の獣医でもあった。人間、動物いずれをも見ることが出来る才能は、まるにとっては重要で貴重な人材だった。だが、その医者には、悪癖が有った。
「先生、また『プレイジー』なんて……」
「プレイジー」はアイスバーとして加工される合法の嗜好品である。依存性はないことになっているのだが、ハマる人はハマってしまう。
「いやあ、ここは熱いからな。老体には冷たいものが欲しくなるものさ」
「好きで老体やってる人に、言われたくはないですわね」
まる自体、薬研のこの悪癖だけはどうにも好きになれていないので、言葉はどうしても辛辣になった。何しろ、これから彼に、400人の健康をお願いしようという時でもあったのだから。
頭を掻く薬研を見ながら笑っていた土岐氏が、ふと真顔になって、アロハの胸に付けている小さなボタンに触れた。
「土岐です。……ああ、これは〈星京〉の。いつもお世話になって……え、緊急の件? 大型貨物船が必要……惑星規模災害!? 分かりました。直ぐにお伺いします」
土岐氏はまるの方を向いて叫んだ。
「済まない、緊急の仕事だ。独立一発目だが、やれるかね」
まるは振り返って耳をピンと立てると、即座に返答した。
「「やれるか」はご挨拶ですね。任せてください」
まるは用件も聞かずに引き受けた。
「薬研さん、それとアレクシアさんも呼んできてくださいな。すぐ出発します」
言っている傍から、フランス人女性が土岐のコテージから出てきた。
「ああ、まるさん、お久しぶりです。奥に食事の用意が――」
「アレクシアさん丁度良かった。今からすぐ出発です、食事は御免なさい」
「分かりました、じゃあすぐに準備します」
アレクシア・アレクサンドル。土岐氏が懇意にしていた客船の料理長を務めていた人物だった。まるとも縁があって、今回の独立に際して、声を掛けることになったのだった。彼女も、細かい事情は一切聞かずにまるに従った。
一同は俄かに慌ただしく動き出した。
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「火縄大陸」では、火山性の地震は、マグニチュード9.8を記録していた。地震を前提とした都市はびくともしていなかったし、津波対策の、スーパーウォールと名前が付けられている150mの超巨大堤防も、正常に機能している。
だが、火山弾や火砕流に関しては、話が別だった。小規模の噴火により降り注ぐ火山弾による火災被害は徐々に報告件数を増しており、人々は危険回避用のシェルターへと、避難を進めていた。
中規模以上の噴火になれば、本格的な火砕流が発生してしまう。フォースフィールドで補強されたシェルターは強固だが、広範囲のフォースフィールドは、耐熱に関しては限界があった。
「冷却装置は無事届けられるのか!?」
「分かりません、それより何より、冷却だけでは追い付かない可能性も出ています」
「うむむむ……」
〈種子島公国〉の災害対策室には、重苦しい空気が流れ始めていた。
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降下艇で〈ハニー・ブッシュ〉に戻りつつも、様々なやり取りが行われていた。
「とにかく、積荷はすぐにその船に積んでください。え、進宙がまだだから難しい? イレギュラーな緊急事態なんです、そこは融通を効かせてください!」
土岐氏はやれやれという顔で通信を切った。
「役人ども、こういう事態に及んで何を愚かなことを言ってるんだか」
「進宙前ですけど、各部のテストは済んでいますし。これを邪魔したら、下手をすれば国際問題になるくらいの頭は働かない物なのかしらねえ」
「仕方ない、奴らの頭は硬直化してるが、それが良い場合もあるわけだし」
「そうね……間もなくドッキングします」
『船長、ドッキング次第航行を開始します。無慣性航法に入る前に、短時間4Gほどの加速が掛かりますので対G姿勢を取ってください』
ブリッジからラファエル副長の報告が入る。
「4Gか、ちょっときついわねえ……ドッキング完了」
まるが応えるが早いか、〈ハニー・ブッシュ〉は加速を開始した。猫の体に4G加速はなかなか辛いものがあったが、まるは長年航宙艇や、航宙船を乗りこなしてきている。もっときつい加速でもやってきた実績がある。
「うぐ……」
加速はわずか10秒ほどだったが、長い長い時間を思わせた。
『これより無慣性航法に入ります、船長と土岐さんはブリッジへ、他の方も待機用船室へどうぞ』
ラファエル副長の指示に従い、皆は無重量の中、粘着靴を履いたり、慣れているものはそのまま空中を飛んでリフトに向かった。
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惑星〈星京〉は、〈らせんの目太陽系〉の第2の居住可能惑星である。複雑なテラフォーミング技術により、7層の多層地殻を持つ姿となったその星は、〈大和通商圏〉の首都機能を担う星であると同時に、工業的な生産拠点でもあった。
今、その軌道上に、乳白色に輝く巨大な航宙船が、出航の時を待っていた。
独立武装貨物航宙船。だが、この船に名前はまだない。今、まるは文字通り寝る間を惜しんでその船の名前を考え、登録の準備を進めていた。登録自体は、まるの元で法務を担当している「瀬木忠志」が〈星京〉にある巨大施設で準備を進めていてくれた。問題は名前だ。
『船長、まだ名前、出来ていませんか?』
「ちょっと待ってよ、候補はいくつか決めて来たの」
瀬木にせっつかれて、まるは焦っていた。他の処理は新穂や五条が進めてくれている。だが、命名は略式でも船長の役目だった。
「ブルボン・ピーベリー、好きな名前なんだけど、ちょっとイメージに合わないわよね。うーん」
「ブルーマウンテン、は既に登録されていますしね」
一緒に考えているのはラファエル副長。まるはその主義として、自分の乗る船にはすべてお茶、珈琲などから名前を付けることにしていた。新造船は、見るからに珈琲豆のような恰好をしていたから、名前は珈琲一択であった。
「そうなのよねえ。……あら、この名前良いわね、凄く特別な珈琲の名前ですって」
「コピ・ルアク、ないしは、コピ・ルアック。ですか」
「よし、決めた。航宙船〈コピ・ルアック〉。良い感じね。送っちゃうわ」
「あ……」
ラファエル副長は止めようとした。何しろ、「コピ・ルアック」の説明に、「ジャコウネコの糞から取り出した豆を洗浄した」という一文を見つけたからだった。だが、一瞬遅かった。
「え? 何か拙かった?」
「……ああ、いえ、良いと思います」
ラファエル副長は落胆していた。多分まるから送られてくる登録情報を待ち構えていた瀬木は、すぐさま登録手続きに走っただろう。
この時もう少し熟慮していたら、後々色々とまるは頭を抱えなくてすんだかも知れなかった。しかし、後になると、まるや船員たちはこの名前自体に愛着が湧いていたから、例え時間を遡れても、やはり変えようとは思わなくなっていた。歴史はこの時、固定されたのだった。
こうして「独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉」は誕生した。
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本来は、式典を行って進宙する予定だった。真空中でも栓がいきなり抜けないシャンパンも買ってあった。だが、すべてはお預けとなった。
400人搭乗する筈だった船員も、船内の整備活動を行っていた50名と、〈ハニー・ブッシュ〉で到着した80名のうち、〈ハニー・ブッシュ〉を管理するための10人を除き、土岐氏を加えた計121名で飛び立つことになった。
2隻はエアロックで接続され、71人と1匹は足早に続々と乗り込んでいった。
「噴火予測時刻まで残り4時間と30分、ギリギリね……」
「恐らくは冷却装置の設置は間に合いません」
「ええ、やるしかないみたいね」
ブリッジに向かう巨大な中央リフトの中で、ラファエル副長とまるは話し合っていた。同じリフトには、ボーテ砲術長、太田一等航宙士、新たに着任した薬研医療部長、そして、土岐氏と渡辺ネットワーク部部長が居た。
〈コピ・ルアック〉は全長1kmの巨大な船だ。その本体はやや細長くドーム状で、底面には一本の筋がある、一言で言えば珈琲豆を伏せたような恰好をしていた。その大きさ約800m。その片方の端からは太く平たい柱が伸びて居り、その柱からやや平たい放射状に更に4本の柱が伸び、柱の先端には、ロケットブースターを思わせるような、やや四角い筒状の装置――ワープナセルが、珈琲豆状の船体を取り囲むように配置されていた。
中央リフトはその巨船の中心を貫いている直径6mほどの筒に、6つのシャフトが並んでいて、それぞれのシャフトに、任意方向に稼働可能なリフトが4台ずつ。通常は交通制御されていて、自分の乗りたい方向のリフトに案内され、6本全てが使用中だと待たされてしまう。エレベータよりは、乗れるリフトの数が多いため、滅多に待たされることはないのだが。
船内のリフトが通過する空間には、左右に直径100m、長さ400mの巨大な円筒状の施設が1つずつ並行に納められている。そこは船内居住区であり、双方が逆向きに回転して疑似重力を作っていた。その後方にはいくつかに仕切る事が出来る横600m、奥行き300mの広大な空間。これが貨物を積載させる貨物室であり、〈コピ・ルアック〉を貨物船たらしめている場所だ。船の前部には食糧庫と食糧プラント、船内循環システムと、ブリッジがある。
ただし、船体下部と周辺部にはおよそ貨物船に似つかわしくない物があった。船体をぐるりと取り囲むのは30門の強力な重核子砲。船体下部には文字通り敵や目標物を「消し飛ばす」次元転移砲が1門、設置されていた。これは、〈コピ・ルアック〉が建造時には軍艦であったことの名残であり、「武装」貨物船である証でもあった。
ブリッジに到着した一行は、どの時代の機械にも何故かある、新品の臭いをさせているコンソールに座った。まるはいつものように床から猫用の船長席をポップアップさせると、そこに落ち着き、ヘッドセットを接続して、船内放送につないだ。
「搭乗するクルー全員、耳を傾けて頂戴。船長のまるです。緊急事態は通達が回っていると思います。これより本船は、略式進宙式、及び緊急ワープに入ります」
船内の全員が顔を上げ、放送に耳を傾けた。
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積荷は巨大だった。直径250mの円筒状をした装置が二つ。100mほどの複雑な装置が一つ。
「これが惑星を安定化させる冷却装置ですか」
土岐氏は興味津々で、搬入される貨物を眺めている。同じく貨物を見ている〈種子島〉の駐留大使は、気が気では無い顔だ。
「冷却装置と、破損している観測施設の補修部品です。送られてきた資料によれば、もう時間的余裕はほとんどありません」
「分かっていますよ。積み込みはあと数分で終わります。終わったらすぐに軌道を離れた後、最大ワープで超空間ゲートに向かいます」
「お願いします。1000万人が生命の危機に晒されています」
「100%の安全は保証できませんが、最善を尽くします。さあ、私たちも船室に行かないと」
土岐氏に促されて、駐留大使は後ろ髪を引かれながらリフトに向かった。同じころ、ブリッジも慌ただしく準備を進めていた。
「秋風君、惑星〈種子島〉の現状解析の進捗は?」
まるは、ラボで作業している秋風技術部長を呼び出した。すぐに秋風の立体映像がブリッジに出る。
『完了していますが、思わしくないですね。冷却装置を設置する前に、一度地下のマグマだまりを落ち着かせる必要があります』
「観光資源だから、完全に安定化はさせたくない。とのことだけど、どうしたものかしらねえ……」
『まあ、出来るだけやってみましょう。ダメなら観光資源、ある程度諦めてもらうしかないですが』
まるが秋風と話していると、太田航宙士が割り込んできた。
「船長、出航準備完了です。略式進宙式と出航のアナウンスをお願いします」
「分かったわ」
まるは船内放送によるアナウンスを開始した。
「これより略式進宙式を開始します。全員、その場で起立!」
全船員は起立の姿勢を取る。
「私まるは、船長としてこの船を〈コピ・ルアック〉と命名します。当船の名称は〈大和通商圏〉の船籍名簿に受理されました。なお、この船は他に所属の無い『独立船』です。これをもって、この船の正式名称は、『独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉』となります」
まるはここで一息ついた。合成音声なので、このまま朗々と読み上げることも可能だが、ここは緩急をつけるのが習わしだからだ。
「我々航宙船の船員は、安全な航宙と経済の振興のために、日々の活動をもってこれに当たります。航宙船〈コピ・ルアック〉。進宙!」
太田が先に着席して、パネルを操作する。船は軌道離脱の為のゆっくりとした旋回を開始した。
「全員、持ち場について活動開始。当船はこれより亜光速で軌道を離脱後、直ちに超空間ゲートに向けたワープを行います」
まるの宣言に合わせて、太田が復唱する。
「了解、亜光速で軌道を離脱。コース・オールクリア、発進します」
太田の操作に基づいて、機関室に指令が渡り、各部署があわただしく作業を開始した。〈コピ・ルアック〉のワープナセルが薄青く光り出すと、船は一瞬で軌跡を残して掻き消えた。実際には、無慣性航法により、一瞬で亜光速に到達したのである。
こうして慌ただしく、独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉は、広大な宇宙に旅立ったのだった。
§
一方の惑星〈種子島〉では、危機的状況が進行していた。
制御の壊れた地下活動の活性化は、他の地域の地下活動にも影響を与え始めていた。他の4つの大陸では観測基地も冷却装置も正常に動作していたが、活性化の影響で、各地の地下活動が、冷却装置のキャパシティの限界値に近付きつつあったのだ。このまま限界を超えると、連鎖的に各地の冷却装置が破壊され、惑星全体の存亡の危機につながる可能性が出て来ていた。
報道では最悪の方向性は伏せられていたものの、度重なる地震や火山弾の飛来、津波対策のスーパーウォールの稼働などから、悲観論が蔓延し、惑星脱出を図るためのラッシュも起きていた。
だが、いきなり全員が脱出できるだけの航宙船がある訳もなく、観光で訪れていた他の星の人々の船まで奪い合いになるような、パニックも起き始めていた。
「冷却装置はまだか?!」
「いや、仮に届いても今の状況では……」
「うちの猫知りませんか!」
「誰か、誰か何とかしてくれ!!」
人々は、はるか彼方からの救いの手に、一縷の望みを掛けた。
§
「〈琴の輪太陽系〉への超空間ゲート、開きます」
太田航宙士が冷静に報告する。
「よし、太田君、ゲートに進入。ボーテ砲術長、準備は?」
まるは各所に忙しく命令を下していた。恐らく事態はもうギリギリ、または取り返しのつかない点を超えている可能性もある。だが、少しでも救えるならば、まだ可能性があるならば。
<でも、うちは本来は貨物船なんだから、そこまでの責任はないのよねえ。これで成功したら、少しくらい箔でも付くかしら?>
頭の中では割と下世話なことも考えているまるだった。それを察知したのか何か知らないが、土岐氏はボソッと呟いた。
「まる、これで一生懸命やったとして、見返りはあんまり望めないかもだよ」
「まあねえ、せいぜい箔でもついてくれればと思うわ」
「この船を購入した借金もまだ完済していないから、暫くは大変だと思う」
「覚悟の上よ」
まると土岐氏は船の運営者同士の話をして、土岐氏は苦笑いを返していた。まるも、皮肉に嗤えるのならそうしていた事だろう。代わりに彼女は尻尾を不安げにぐるぐると動かしていた。
「お話の途中済みません、亜空間通信が入っています。惑星〈種子島〉からですね」
「あら、よくこの船の事が分かったわね」
まるの疑問には土岐氏が応えた。
「ああ、この船に駐留大使も居るからじゃないかね」
「ふうん。取り敢えず、ラファエル副長、船長代役お願い」
「分かりました」
まるは船長席を床に収納し、土岐氏の肩によじ登ると、ヘッドセットを収納し、飼い猫の振りに徹した。
「こちら独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉。船長のラファエルです」
『こちら惑星〈種子島〉の火縄大陸代表補佐官、浅野と申します。各地で噴火が始まって、被害が広がっています! いつ到着されますか!?』
「こちらも全力で其方に向かう途中です。あと数分だけお待ちください」
『数分が命取りになりそうな状況です、お願いします!』
まるは土岐氏の方で会話の相手が写っているスクリーンを眺めた。〈コピ・ルアック〉のブリッジは巨大で、小型の上層ブリッジと、たくさんの乗員が働く予定の下層ブリッジに分かれ、そこを吹き抜けの様に巨大な球体スクリーンと、並ぶように配置された3Dスクリーンがぶち抜いている。下層ブリッジは、薄膜状の縮退物質によって、地上と同じ重力を得られるようになっている。だが、上級船員のいる上層ブリッジは重力は0.5Gほどしかない。だから、まるが少しモゾモゾするだけでお尻が浮くような感覚になる。まるがお尻をポンポンと浮き上がらせているので、土岐氏は振り返ってまるを見る。
「まる、どうした?」
だが、ヘッドセットを外しているまるは喋る事は出来ない。だが、そこは飼い主時代を経てビジネスパートナーまで長い付き合いの二人。まるはその前脚でトントンと肩をたたいた。モールス信号ではなく、二人で取り決めた簡単な合言葉の様なものだ。その合図に土岐氏はウインクで返した。
「ちょっとよろしいかな」
通信に土岐氏が割り込む。
「私はこの件の依頼を受けた白浜航宙運送の社主を務めている土岐です。お急ぎの件、少々無茶をしても構いませんかな?」
『何でも構いません。星に出る被害さえ最小にして頂ければ』
「だそうです。船長? ちょっと無理をしてでも間に合わないと意味が無いですしな」
土岐氏の悪戯っぽい顔に、ラファエルは苦笑いをした。大体何を考えているかを察したからだ。
「分かりました、じゃあ、ちょっと荒っぽいですが」
『よろしくお願いします』
ラファエルが通信を切ると、まるは即座にヘッドセットを装着すると太田に指示を出した。
「太田君、惑星〈種子島〉への直進コースで最大ワープ。重力震限界ギリギリでワープアウト後、戦闘用フォースフィールドを展開して亜光速で惑星周回軌道に突入し、予定の行動に移る」
太田は流石に目を丸くした。惑星などの大質量物体の傍でワープシェルを展開したり、ワープアウトするのはほぼご法度だ。時空構造に激しい衝撃を与え、「重力震」という災害を引き起こしてしまうからだ。
――だが、それは非常事態の現状には当てはまらなかった。
惑星〈種子島〉は、既に災害対策は万全だった。〈コピ・ルアック〉がギリギリの位置まで接近してワープアウトしても、多少の重力震が起きて地下活動が活発化する可能性はあるが、何とか持ちこたえる筈であったし、そこで〈コピ・ルアック〉が、地震活動そのものを抑えてしまえば問題はない。
太田は唾を飲み込むと、復唱した。
「惑星〈種子島〉へ直進コースで重力震限界まで最大ワープ後、戦闘用フォースフィールド展開後、亜光速で惑星の周回軌道に突入します」
船は、暗い霞の中に消えると、瞬間的に掻き消えた。まるは矢継ぎ早に次の指令を出す。
「ボーテ砲術長、重核子砲、並びに次元転移砲用意。重核子砲で火山弾を掃射しつつ、マグマだまりを転移砲で撃て!」
「Ja,Mum」
「ドーラ、船内の公用語は日本語で」
「失礼しました、船長」
そうこうしているうちに、〈コピ・ルアック〉は惑星〈種子島〉近傍の空間にワープアウトした。すると、その乳白色の船殻は、見る間に黒褐色に変わって行く。戦闘用のフォースフィールドの為せる技で、見た目からすると生豆が焙煎豆になったように見えた。
次に起きたことは一瞬だった。
ボーテ砲術長は指定された目標に座標をロックさせ、細かい目標は自動照準に任せた。そのまま船は亜光速で接近。周回軌道上に到達するや、減速して大気圏に突入し、そこから重核子砲で火山弾を狙い撃ちしつつ、降下を開始した。
〈コピ・ルアック〉は、海面すれすれを飛んだ。激しい水しぶきが上がる。そのさなか、地下のマグマだまりを探すと、火縄大陸の北西の海中40kmに、目的の物はあった。
「発見したわ。次元転移砲、最少出力で照射!」
まるが指示した座標目がけ、ドーラは海底下にあるマグマだまりを狙い、次元転移砲を照射した。
次元転移砲とは、目標方向の一定距離までの空間の中にあるものすべてを、原子分解したうえで異次元に飛ばしてしまう、強力無比な兵器だ。マグマだまりは、〈コピ・ルアック〉前方下部の海水もひっくるめ、消滅してしまった。だが、そこにあった物体が転移した結果、残ったのは真空だった。
「転移で消失した重量の場所に海水が大量に流れ込みます! 本船も巻き込まれそうです!」
「急速浮上!」
「了解、急速浮上します!」
怒涛の様な荒波に揉まれながら、海から飛び立とうとする〈コピ・ルアック〉は、何度も沈みかけたように見えた。だが、その船体が完全に水没した十数秒後、航宙船は水飛沫を振り落としながら海上に浮かびあがり、堂々とその巨体を黒光りさせつつ、戦闘用の黒褐色から乳白色に変わりながら、ゆっくりと浮上していった。
§
あれほどひどかった惑星〈種子島〉の噴火活動は、「栓を抜いて中身を取り除かれた」お蔭で、嘘のように静まった。
地殻構造に深く穿たれた穴については、地質学者が調査を行ったが、「現時点で問題は認められない」との結論に至ったらしい。
まる達(といいつつ、残念ながら、まる自身は表舞台には立たなかったが)は無事、冷却装置の納品と設置を済ませると、帰路につこうとしていた。
「まる船長」
オブザーバー席に座っている土岐氏は、船長席で出発の準備を進めるまるに対して声を掛けた。
「何でしょう? 土岐さん」
「進宙式は、やり直すのかね? 私の所為でこんなドタバタした始まりにしてしまったが……」
「別にこのままでいいですわ。ただ、残った船員の受け入れを済ませたら、船内パーティは開こうと思いますけど。その時は出席いただけますよね?」
「ああ、喜んで」
答える土岐氏の端末に通信が入る。まるは耳を寝せた。
<また緊急の仕事だったりしたら……それはそれで稼ぎにはなるけど、ちょっとは休ませてほしいわ>
だが、どうも知りあいからの電話らしい。
「ああ、阿於芽がまた……、羽賀さん、やっぱりあなたに全面的にお任せしたほうがいいかもしれませんね」
まるはまだこの時は知らない。その二つの名前が、自分に深くかかわる事になるだろうことを。だが今は、この新しい船の運営の事で頭が一杯だった。自分と秋風が設計した最新式のコンピュータ「FERIS」の設置やら、まだまだ色々やらなければいけない事は沢山ある。
「船長、出発準備整いました」
ラファエル副長が報告する。
「有難う、ラファエル。じゃあ、土岐さんを送りに『らせんの目太陽系』に向かいましょう。進路は超空間ゲートに向けて、ワープ最大船速で」
こうして、三毛猫と珈琲豆の、波乱万丈の航宙が始まった。
終わり
〈コピ・ルアック〉の冒険は、最初から波乱万丈。いかがでしたでしょうか。
まもなく本編連載も再開の予定です。なお、「番外編02:孤影悄然の阿於芽」も準備中。こちらもよろしくお願いしますね。




