2 ―戦士の分析―
――― まえがき ―――
お馬鹿小説の第二話です。
もしも一話を未読の方がいらっしゃいましたら、
とっても短いので是非一話からご覧くださいませ。
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幼稚園の門が開くまでは、あと数分といったところか。
私はおもむろに眼鏡を外し、リュックからこの日のために取り寄せた『EyeGuard』を取り出して装着した。
これは人間工学に基づいて開発されたアスリート用のMEGANEであり、激しい動きでも決してズレたり外れたりすることの無い優れものだ。
頭の後ろでゴムの強度の調節し、パチッと頭にフィットさせると、この四ヶ月分の小遣いをやりくりして手に入れた黒縁の新たな相棒は、私にこの上ない信頼感と漲るファイトを与えてくれた。
私は軽く手足や首を動かして身体を暖気させつつ、迅速に周囲のライバルの最終確認をおこなった。
私の前に並んでいるのは五人。そのうち四人は寝袋持参だから徹夜組だろう。
残りの一人は、私が昨夜二十五時から並び始めたことを考えると、寝袋こそ持参してはいないが、ほぼ徹夜組みと考えてよいだろう。
私の後ろでライバルとなりそうなのは、前から数えて十番手に位置するケンちゃんパパあたりか……
ケンちゃんはウチの娘と同じ年長組の『あおうみがめ組』で、とても仲良しだ。
そのケンちゃんのパパは、私より若く元気のよいスポーツマン系父兄だ。彼は毎戦トップこそ逃すまでも、コンスタントに二番手、三番手の戦績をあげる強敵だ。実際、私はこれまでの戦いで 彼に勝利した記録はない。
だが今回はチャンスだ。
これまではいつもスタートの時点でケンちゃんパパに遅れを取っており、そのため辛酸を舐めてきたが、今回は私のほうが前列に位置している…… 勝てる…… 彼に!
一瞬ケンちゃんパパと目が合った。
ケンちゃんパパは私に気づき、腕のストレッチをしながら、きまりが悪そうにやや自虐的に笑った。
さては昨日飲み過ぎて寝坊したな? それはあまりにも軽率だぞ。ケンちゃんパパよ。
だからといって決して手は抜かない。それが認め合った者同士の礼儀だ。全力で勝ちに行かせてもらう。
ケンちゃんパパは、ああ、勿論ですよ。こちらも簡単には負けませんよ? とニヤリと笑った。
さすがは娘のお気に入りのケンちゃんのパパだけのことはある。本物だ。認めよう。
だが先日、ケンちゃんがうちの娘をお嫁さんにすると約束したようだが、それは認めない。断じてだ。
となると、問題はやはり私の前の五人ということになりそうだ。
寝袋持参のうちの二人は有名だ。
先程から何度も代わり代わりに席を外して、列の少し離れたところでタバコを吸って戻っての繰り返しをしている。
この間もお遊戯会で時間ギリギリに来ておいて前方の席が取れないとかで園の先生方に難癖をつけていた。その他、様々な行事で問題を起こしている要注意人物だ。
大方、お遊戯会の一件で腹を立て、この運動会には調子に乗って寝袋持参で徹夜したのだろうが、所詮実戦の経験のない新兵だ。
そんなヒヨッ子がいくら前方に陣取っていても障害にもならない。恐らく門が開いた後、どこに向かうかのルート設定すら満足におこなっていないだろう。
モンペは所詮、二人揃ってもただのダブルモンペである。
接触事故等、いちゃもんの口実を与えないよう注意すれば問題無いだろう。
それにしても煙い。普段タバコを吸うことをどうこういう気はないが、場所くらいは弁えてほしいものだ。
寝袋を持っていない痩身で長身の一人は良く知っている。
この男もプロの一人だ。
行事ごとでは常に早くから並んでいて、ルート設定その他準備や作戦も緻密にして精巧だ。
そして何よりマナーが素晴らしい。
なにぶん、この戦いは事前の待ち時間が苦しいのだが、彼は苦しさを表に出したりして周りに不快感を与えることは一切ない。
それどころか彼は自分の気配をギリギリまで薄めて空気と化せるのである。
また、彼はゴミ等一切出さない。飲食もしない。トイレにも行かない。
正に存在感を消しているかのごとく景色に溶け込んでしまうのである。
実際私は、今この最終確認をするまで彼がいたことに気がつかなかったのである……
一見非の打ち所が無い彼だが、決定的な弱点がある。
それは体力が絶望的に無いのである。
門が開いた後、美しいまでに完璧に計算されつくしたルートをローギアのまま走行する。決してギアがあがることはない。彼のギアボックスにセカンド、よしんばトップなどといったギアは存在しない。
もしも彼に人並みの体力があったなら、きっと園史にその名を残す人物となっていたであろう。実に残念である。
ところで実は、彼の息子のカケルくんは園内イチの俊足スポーツマンである。
遺伝というものは解らない。
その時、ちょうど前から二番目に位置していた寝袋の男が目を覚ました。
もぞもぞと緩慢に寝袋から這い出て、その横方向に大柄な身体を伸ばしている。
見かけない顔だが、誰だったかな?
どちらにしろ一見して彼は論外だ。
彼の寝袋の周りには彼の持ち込み品と思われる備品で散らかっていた。
その中には大きなカメラバッグが二つとレンズケースがあり、これを見ただけでもう彼が素人であることが解る。
機動力が命の席取りにおいて、余計な荷物を持つことほど愚かなことは無い。
荷物などは後から来る家族が持ってくるか、迅速に席を確保した後、一度家に取りに戻ればいいのだ。
ちなみに私は後者だ。別に家族が持ってきてくれないわけでも、言い出しにくいわけでもない。
ほんとに。
まあ、多数の荷物を持参している時点でアウトだが、更に彼はこの入場間近の時間で起床するという愚行を犯している。
とてもじゃないが、数分後に全力で激しい運動ができるとは考えられない。
睡眠をとる場合でも二時間前には起床して栄養補給と準備運動は終えておくのがセオリーだ。
見たところ初参戦のようだから、今回のことは彼にとっていい経験となるだろう。
――となると、
やはり一番の強敵は彼のようだ……
門の目前で、すでに準備万端な状態で目を閉じて両腕を組み、最早定番のポールポジションに悠然と屹立し、静かに開門を待つ金髪の男。
これほどまでにポールポジションが似合うのは、セナとシューマッハと彼くらいであろう。
彼こそがこの三年間、席取り戦争において一度も一番手を譲ったことの無い伝説の男、ポールパパである。
いや、別に冗談で言っているわけではない。
彼の息子は年長組みのポール君。
いわゆるハーフで、父親である彼がオーストラリア人なのである。
ちなみにポールパパは日本語がペラペラであるが、TPOに応じて英語と日本語を綺麗に使い分ける。彼のことを良く知らない人が彼に話しかけるとき、外国人の彼は自分に何を求められているのかよく理解している。オー!ワカリマセーンと答えるときが、一番客の反応が良いと彼は言っていた。だがそれはカタカナになっているだけで英語じゃないし、そもそも客ってなんだ?
彼はその卓越した実力をもって、常にトップであり続けた。
私たちプロの間では、尊敬の念をこめて彼のことを『皇帝』または『カイザー』と呼んでいる。
彼が三年もの間、一番手で在り続けられたのには理由がある。
その最たるものは、彼には四人の子供がいたという事実であろう。
兄弟はそれぞれ四歳違いであり、ポール君は実は末っ子で、お兄ちゃん、お姉ちゃん達は既にこの園を卒園している。
ということは、彼にとっては今回で実に十二回目の運動会ということになる。
これは大変驚くべき実戦回数である。
通常の家庭が多くても六回ほどしか経験を積むことができないところを、彼は実に十一回という恐るべき数の実戦を経験してきたのである。
この豊富な実戦経験と、オーストラリア人が持ちうる『オージーパワー』なるものが絶妙に融合され、今日の彼の地位を不動のものとしているのである。
特に今回は彼にとっても幼稚園での最後の運動会となり、これまでの集大成である。
皇帝としての意地とプライドにかけて、トップでのチェッカーフラッグを狙いにいくことは想像に難くない。
以上の観測結果から、やはり今回も厳しい戦いになることは容易に想像できる。
今リストアップした人物以外にも、今回の戦いのために密かに訓練を積んできた者もいるかもしれない。そういうダークホースが存在するという可能性は否定できない。
これは戦争なのだ。甘い常識や、楽観的な思考など通用しない。
私はそう自分を戒めると、腹に強い緊張を感じると同時に、胸の中から湧き上がる妖しい高揚感に身を震わせた。
―――あとがき―――
次話、いよいよ開戦……かな?




