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大正浪漫 夫婦契約致しました 暗闇の中、呪われた夫と密やかにはぐくむ愛  作者: 佳乃こはる


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7/7

自慢の花嫁

 カン、カン、カン。


 庭の鐘楼から響いた音に、陽毬は本から顔を上げた。


「あら、もうお昼だわ」


 地下では時が分からないから、この屋敷では刻ごとに鐘を打つことになっている。

 

「では、参りましょうか」

 ふたりは揃って腰を上げた。

 昼餉の膳は、陽毬が階段の上で受け取り、階下の宿禰に渡すことにしている。


 それを知らず、膳を運んできた使用人が小声で陽毬に耳打ちした。

 

「いや助かるよ。何せあ(・)の(・)化(・)け(・)物(・)だろ。押し付け合いで、ほとほと困ってたんだ」

 

 ――この男。すぐ近くに宿禰様もいらっしゃるのに。

 

 気づけば陽毬は、その場で言い返していた。

 

「まあ、大変。でしたらそのお話、お義母様たちに訴えてみては?」

 男はムスッとして黙り込んでいた。


 はじめのうち、陽毬は宿禰が地下でずっと独りきりなのだと思っていた。

 しかし、午後になるといつも、義父の会社関係の客人が、二、三人ずつ連れ立って宿禰を訪れた。

 

 そうなると、陽毬は隣の部屋に引き上げることになるのだが――

 

「……ええ、近く、英国よりも亜米利加国の相場が」

「ああ、そうですね。満州へは投資すべきかと……」

「何と、これが『慧眼』の御託宣」

 

 襖越しの話ぶりから、宿禰が商売の先を読む才を買われているのは明らかだった。

 

 部屋にいる間は、みな宿禰の言葉に熱心に耳を傾けていた。


 それなのに、廊下を足早に去る足音には、時折、侮蔑の言葉が混じって聞こえた。

 

「相変わらず、気味が悪いよな」

「社長の命令でなければ、二度と来るものか」

 

 ――宿禰様に、聞こえていませんように。


 足音が遠ざかるたび、陽毬は心臓をざらりと撫でられたような気分になった。


「……失礼します」

 そんな時の宿禰は、陽毬がそっと部屋に入ると、頭巾を外しながら、決まって肩を落としていた。

 

「ああ、陽毬さん。……今日は少し、人が多くて。すみませんね、お待たせしてしまって」

 無理に明るい声を出す、その気遣いがとても痛かった。

 

 けれど。

 一昨日(おととい)来た若い声の客の時は、そうではなかった。

 

 いつものように襖戸をわずかに開けると、笑いの混じった声のあとに、真面目な議論が聞こえてきた。

 ふたりの笑い声は、夕方の水浴び前まで尽きることなく続き、その日だけは、不思議と地下の空気が軽かった。

 

「さっきのお方は? 随分とお話が弾んでいたようですけれど」

 水浴びの最中、思い切って尋ねてみると、引き戸を隔てて、楽しげな声が返ってきた。

 

「ああ、あれは多摩川梓(たまがわあずさ)といって、学生時代の悪友です。昨年あたりから商売を始めた、今流行りの青年実業家というやつですよ」

 

 ザザァ~、と水をかける音。

 心なしか、声が弾んで聞こえる。

 

「へえ、多摩川様。お友達なのですね。そういえば今日は、頭巾も外されていましたね」

「よく分かりましたね。彼は、この姿の僕にでも、以前と変わらず接してくれる、変わった男なんですよ」


 その声があまりに嬉しそうで、陽毬まで心がぽかぽかとしてくる。

 

「そうだ! 次はぜひ、彼に陽毬さんを紹介させてください」

「ええっ、よろしいのですか? 私などを」

「はい、あなたさえよければ」

 

 ザザァ~。

 水音の後、少しくぐもった声が聞こえてくる。

 

「僕だって、人並みに陽毬さんのことを自慢してみたいんです。あなたの不名誉にならなければ、ですが」

「そ、そんな……」

 

 さて、夕餉(ゆうげ)を終えると、あとはもう眠るだけ。

 

「それではまた。おやすみなさいませ、宿禰様」

「おやすみなさい、陽毬さん。今日もありがとうございました」

 

 清らかに輝く黒い目に見送られ、陽毬は地上へと帰ったのだが。


 ――『自慢してみたい』

 あの言葉にすっかり舞い上がってしまい、その夜はちっとも寝付けなかった。


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