感染者(ゾンビ)と死者(ゾンビ)と追放された悪役令嬢とその他大勢 第37局
「3七歩」
「3七歩と……」
「じゃあこっちは4六船で」
「4六船と……」
康大はアビゲイルとリアンのやり取りに従い、ボードに配置された駒を動かす。
駒は船と将棋の駒の二種類あり、後者は製作者のアビゲイルの意匠が無駄に施され、イカの頭のようなエンペラがついていた。
ボードに関しても「むしろ足す方が面倒」というアビゲイルの主張により、一から作られ、より正確に現実の動きを反映させられる構造になった。
(しかし……)
康大は思う。
状況を逐一報告し、囮の船をボードに出現させ動かしているのはアビゲイルだ。
そしてクラーケンの動きを読み、王将クラーケンを丸裸にしようと指示を出しているのはリアンである。
自分はただ声のままにボードの駒を動かしているだけなので、他の仲間達同様この時間は休んでいてもいいのではないか、と。
いちおう真剣に様子を見守っているが、究極的には何もしていない。
康大は隙あらばサボることばかり考えていた。
「5五玉……大分王将を前線まで引きずり出せましたわね」
「7六船……そろそろ準備しておいた方がいいと思うっすよ。大将は指呼の距離っす」
「では康大さんもそろそろ準備を」
「・・・・・・は?」
突然話を振られ、康大は間抜け面をさらした。
将棋で例えるなら、今まで記録係をしていた人がいきなり「次から自分の代わりに打ってほしい」と言われたようなものだ。唖然としない方がおかしい。
「……なにを? ていうかなんで?」
故にこんな情けない反応をしても康大を責めることはできない。
「申し訳ありません。言うのを失念しておりました。実は昨晩、より詳しく調べた際に分かったのですが、どうも船の上から魔法を使うだけでは、王将クラーケンに対してだけ効果が足りないみたいなのです」
「ええ~……」
「そこで康大さんにお願いしたいことがあります。私の魔法を強化させるための紋様があるのですが、それを王将クラーケンに康大さんが直接刻んでほしいのです」
「いやな予感がしたと思ったらこれだよ!」
康大は文字通り天を仰いだ。
心の底ではこのまますんなり物事が進むとは思っていなかった。偵察して帰って報告して終わりでは、今までと比べて楽すぎる。
ただその分都で苦労もしてきたので、差し引きではむしろマイナスではと自分を納得させていた。
やはり考えが甘かった。
海の水はセカイを問わずこうも塩辛いのに。
「そういうわけでよろしくお願いいたします」
「最初から拒否権がない……」
「紋様が上手く描けるか心配なのはわかります。ですがご安心ください。これを」
アビゲイルは康大に華美な装飾が施されたナイフを渡す……というより押し付ける。
この船に乗ってから康大は選択肢を提示された記憶がない。
「これをクラーケンに刺せば、自然に紋様が刻まれる仕掛けを施しました。例の如く他の方ではまともに近づけないので、これは康大さんだけにしかできない、非常に、大事な……」
そこまで言ってアビゲイルは顔を背け、そして肩を震わせながら顔を隠す。
「アビゲイル殿もコータに責任を負わせることに申し訳なさを感じているのだろうか……」
「アレはむしろ笑いを堪えてるように見えるっす」
ハイアサースの好意的な意見にリアンはすぐにツッコミを入れた。
康大もリアンと同意見だ。
「それではよろしくお願いします。こちらの準備ができ次第連絡を入れるのでご安心を」
「全く安心できないんですけどぉぉぉぉぉお!?」
康大は再び問答無用でアビゲイルの魔法で船の上から吹き飛ばされ、海の上に戻される。
海面を歩ける魔法を知らない間に再びかけたのか、それとも切れていなかったのか、いずれにしろ康大の苦労は変わらないが。
「……なんか初めて会ったときはただ怖い人だったけど、今は別の意味で怖い人だな」
康大は思わずそうつぶやき、霧の中を再びあの鬼火に導かれるまま歩き出した。
再び対面したクラーケン達の配置は、康大の目から見ても大分変っていた。
前は軍隊のようにしっかり並んでいたイカ達も、てんでばらばらにしか見えないように泳いでいる。
その先には言うまでもなく船があった。
船は康大の目にはとても幻には見えず、実際クラーケンの触手による一撃で沈没させられている。もし康大が普通の人間同様にその存在を意識されたら、船と一緒に即叩き潰され、辺り一面ゾンビ魚介類の海となっただろう。
ただ、海にばらまかれた残骸はすぐに霧散し、また別の場所にとってつけたようにそれなりの規模の船が現れた。
見ると聞くとは大違いの、なかなか派手な魔法である。
確かにこれは並の魔術師には不可能だろう。
――と感心する康大の前をかなりのスピードで何かが通り過ぎた。
「これは……」
たいして視力も動体視力も良くない康大にも、それがイカの頭部――おそらくえんぺら――であることはすぐに理解できた。
クラーケンは泳ぐ際にも、わずかに頭部が海面から飛び出しているが、巨大であるためそのわずかでも当たれば無事では済まない。
康大はクラーケンの進路を遮らないよう注意しながら、王将クラーケンに近づいていく。
「遠い――」
しかし康大の歩みは遅々として進まなかった。
海面に出ているクラーケンの頭部が予想以上に多かったのだ。
必要なこととは分かっているのだが、大勢を一斉に動かすと海域はクラーケンの暴走地帯となる。
例えるなら、信号がない都心のスクランブル交差点の真ん中に立たされたようなものだ。そこから目的地へ向かえというのだから危険極まりない。
さらにクラーケンの移動によって発生する波が前方に壁となって立ちふさがっている。
ただでさえゾンビ化して運動神経が不安になっている上、揺れる海面に翻弄されているこの状況では、進むどころかクラーケンを避けるだけで精いっぱいだった。
「……そうだな」
康大は方針を変え、その場で待機することにした。
結局王将クラーケンが接近しなければ魔法が使えないのだから、リアンもそのように誘導しているはず。だとしたらわざわざ自分が近づくより、向こうから近づくのを待った方が得策だろう。
あまり遅すぎると魔法の発動より遅くなってしまうので、近づいたらすぐにする必要があるが、自分から向かうよりはマシだ。
それからはまるでゲームだ。
横から来るクラーケンを縦に避け、斜めから来るクラーケンを縦に避け、縦に来るクラーケンをどうにかして避け。
そんな展開が数分間続く。
康大の主観だと数時間は続いたと思われる古のゲームウオッチ的な展開が続いた頃、
【聞こえていますか康大さん。聞こえていたら素直に私の事を性的な目で見ていると白状してください】
アビゲイルの声が脳内に直接響いた。
康大は思わず「ふざけんな!」と怒鳴りそうになったが、冷静に考えると否定できなかったので、実際には口にしなかった。中身に問題があっても、あの艶やかなドレスに強調された巨乳は、年頃の男子高校生にとって破壊力抜群だ。
【……聞かなかったことにしておきます】
「何も言ってないし!? ていうか本題!」
【そうでしたわね。まもなく金クラーケンに解呪の魔法を発動するので、そちらに王将クラーケンが到着します。王将クラーケンの再洗脳が終わる前にナイフでの攻撃を】
「りょーかい!!!」
2体並ぶと金玉だなとくだらない下ネタを考えながら、康大は渡されたナイフを構える。
金クラーケンの位置は判明している。
康大のすぐ隣で、仲間に押さえつけられているのがそれだ。
すでに頭の金は消えているので、作戦が成功すれば金玉は永遠に不成立である。
そこに急接近する巨大な三角。
言うまでもなく王将クラーケンの頭だ。
王将クラーケンは他のクラーケンよりわずかに大きいので、見える範囲も当たる範囲も大きい。
危険は増すがそれはチャンスでもあった。
「すれ違いざま切りつける!」
的は大きく、相手から近づいくのは今だけ。
康大は王将クラーケンの移動中に、勝負を決める判断を下した。
クラーケンの群れに飛び込むよりは、そちらの方がまだ安全で成功率も高い。
突進力はすさまじいが、ゾンビの力ならなんとかなる。
康大にはそう思えた。
だがその考えは甘かった。
「うわっ!?」
王将クラーケンの突進力は想像以上で、片手に持ったナイフがえんぺらに当たった瞬間、その衝撃で体ごと吹き飛ばされる。
さらにナイフも弾き飛ばされてしまった。
そこまでしても王将クラーケンの体には傷1つつけられない。
「ちっきしょう!」
康大は慌てて落ちたナイフを探しに周囲を窺う。
幸いにもナイフにも水上移動の魔法がかかっていたので、見つけるのはそう難しい事ではなかった。
問題は距離だ。
ただでさえ時間がないというのに、落ちたナイフを拾いに戻ってまた王将クラーケンの元に向かっては、洗脳解除にどう考えても間に合わない。
残されたチャンスは、再洗脳完了後、王将クラーケンが定位置に戻る時だ。康大のいる所は元の位置への帰還ルートにあるので、嫌でも再対峙することになる。
だが、あの突進力をどうにかできない以上、同じ結果になる事は明白だった。
「ホントどうしろってんだよ!!!」
焦る康大。
けれど、康大の頭は焦れば焦るほど、追い詰められればられるほどクリアーになっていく。
その証拠に、ナイフが波の効果で自分に向かって飛んで来るを完璧に予測し、顔面に刺さる前にしっかり右手で柄をつかむ。そのままなら眉間をナイフが貫き、避ければナイフはそのままあらぬ方向へ飛び、再び見つける事は不可能となっていただろう。
ナイフを掴みながら振り返ると、すでに洗脳解除の作業が始まっていた。
王将クラーケンの触手が解除された金クラーケンの頭部に当たると、徐々に何もなかった頭部に字が浮き出てくる。
当然出てくる文字は"金"だ。
やはり洗脳解除までに、ナイフを突き刺す余裕は全くなかった。
だが康大の脳裏には未だ焦りはない。
まだ予定していたチャンスは終わっていないのだ。
焦る理由などない。
そうゾンビ化した思考回路が訴えていた。
作業完了を確認すると、王将クラーケンが向きを変える。
しかし、その後とった行動は康大の予想を大きく裏切った。
「マジかよ!?」
王将クラーケンが定位置に戻る最短距離に、他のクラーケンがまだ大勢いたため、突如迂回ルートを取り始めたのである。
昨日実験で試した時は、ここまでクラーケン達を誘導していなかったため、帰還の障害になるクラーケンがおらず、素直に一直線に戻っていた。
康大はここまでボード場が混乱していても、同じように戻るものだと思い込んでいたのだ。
王将クラーケンの新しい帰還ルートは康大が今いる場所を通らないため、このまま立ち止まっていれば今までの行動が全て無駄になる。命からがら突進するクラーケンをよけ続けた康大に、それは絶対に受け入れられない。
ならば残された方法は一つだけ――
「・・・・・・」
――そう思った康大はナイフを投げる構えを取る。
「・・・・・・」
だが、それを寸前で止めた。
投げたナイフが王将クラーケンに当たる保証はない。康大はゾンビの腕力は信じていても、投擲能力までは評価していない。
また、運よく刺さったとしても、かすり傷なら効果はないのだ。
向かってくるクラーケンに弾き飛ばされた際、ナイフをすぐに手放したものの、いちおうは当たっていた。
それでも現状紋様が見られないことから察するに、ある程度深く突き刺さないと、効果がないのだろう。
そして一番の問題は失敗した場合、確実にナイフが失われるという事である。
ナイフが無くなればここでできることはもはや無くなり、今までの詰将棋のすべて無駄になるどころか、いったん幽霊船まで戻らなくてはならない。
そこで再びアビゲイルにナイフを用意してもらうわけだが、それにはどれだけの時間がかかるか分からない。
最悪一品物のナイフで、またそこそこ広いセト海を捜索させられるはめになるかもしれない。
ウエサマの軍勢がいつ港に来てもおかしくない以上、時間を延ばせば伸ばすほど危険は増していくというのに。
ならば、ここは無謀な挑戦をするより地獄のゲームウォッチを繰り返し、またアビゲイルとリアンに血反吐を吐きながら詰将棋をやり直してもらった方が、マシなのではないかと。
康大の色々な意味で腐った脳みそはそう結論を出した。
だが抵抗を完全にあきらめてわけではない。
康大は王将クラーケンの帰還ルートを予測し、そこに向かって走り出す。
今回の場合は、波に向かって走るのではなく波と並行して走っていたため、そこまで無茶な競走ではない。
とはいえ、康大の走力では到底間に合いそうもない。
けれども動き続ければ万が一何かが起こる可能性もある。
意識的にはギャンブルで始めたダッシュ。
無意識的には10割勝算があって行ったとも知らずに、康大は走り続けた。
徐々に王将クラーケンに近づいていく。
それでもまだ100メートル以上は距離があり、もはや世界記録保持者が走っても間に合わないであろうタイミングとなった。
康大も諦め、さすがに速度を落とそうとする。
これ以上のチャンスはもう考えられない。
あとはまた2人にがんばってもらって――。
そう他力本願を誓った時、霧の向こうから二筋の光が、康大の怠慢を咎めるように飛び出してくる。
その光は康大の投擲とは違い、完璧に海中を泳いでいた王将クラーケンの頭部に突き刺さった。
霧の先はクラーケンには認知できないため、反応できなかったのも必然であった。
突然の予期せぬ攻撃に海中から飛び出し、暴れる王将クラーケン。
一応痛覚はあるようだ。
しかし、他の取り巻きクラーケン達は王将クラーケンを守ろうとはせず、それぞれの持ち場に機械的に戻っていく。
まさにプログラミングされた行動だ。
明らかに必要と分かっていても、命令がなければ実行中の行動を止めることはない。
果たして攻撃した誰かもそこまで読んでいたのか。
康大にはわからなかったが、ナイフを差せる時間が稼げたならそれで十分だ。
だが、簡単に刺せる状況でもない。
クラーケンは暴れ続け狙いは定めづらく、触手を嵐のように振るい、そのせいで波が立ち海面は荒れに荒れている。
それでも康大は近付いた。
ここで決めなければこれ以上のチャンスは二度と訪れないと本能が訴えていた。
「うわっと!?」
すぐそばの海面にたたきつけられた触手を、康大はなんとか避ける。
圭阿のように華麗な回避ではなく、無様で大仰な回避だ。
それでも当たらなければ結果は同じと、内心で避けた自分を褒める。
「それはそれとして――」
このままでは接近してナイフを突き刺すことは不可能だ。
結局王将クラーケンが定位置にいた時と状況が変わらない。
違う事と言えば、先ほどの謎の攻撃で痛みを感じているのか大暴れしていることぐらいだ。
このまま攻撃を続けて物理的に倒せばいいのにと康大は思っているが、どうにも連射はできないらしく、霧から第二激が放たれる気配は全くない。
このまま放っておいたら、暴れるクラーケンのとばっちりで殺されるかもしれず、自分でどうにかするしかなかった。
「……たまにはゾンビらしくやってみるか!」
康大は狙いをクラーケン本体から、2本の巨大な触手に変える。
普通のイカ同様クラーケンも10本脚の中で2本だけ長い脚があり、それを何度も持ち上げ海面に振り下ろしている。
ただ、重力の影響は顕著で俊敏に動かすことまではできず、どんくさい康大でも避けることができた。
康大は海面に叩きつけたばかりの、そのうちの一本に飛びついた。
そして思い切り噛みつく。
本来ゾンビは人間を噛んで感染を広げる。
だとしたら、自分も血をこすりつけるより、こうして噛んだ方が効果的なのではないかと。
今まで生理的な嫌悪感から噛みつくという行為は出来なかったが、相手がイカならギリギリ許容できる。
もし成功してもゾンビ化が進み暴れている間、これまで以上に死に物狂いで避けなければならないが、今自分が持っている手札では、これ以上の事が思い浮かばなかった。
噛んでる間、
(ていうかこれで感染するなら、普段の食事からみんなとっくに感染してるよな……)
と、大皿料理が多く適当に取り分けているこのセカイでの食事事情を思い出す。
冷静に考えれば、無意味な行為だった。
あまり美味くはなかったクラーケンの触手を噛みちぎりながら、康大は安易な決断を心底後悔する。
この無意味と思える行動は、土壇場で起動するスーパーコンピューター並の脳が導き出した答えであるとも気付かずに。
もうこうなったら噛み殺すつもりでと、もう一度触手に顔を近づけた時、康大は気づいた。
今まで暴れていたクラーケンが突如脱力していたことに。
触っている巨大な触手も明らかに生気がない。
今までのゾンビ化とは真逆の反応だ。
康大はその理由を考える前に、触手から口離して走り出した。
理由は後で考えればいい。
今はただ目的を果たす。
思考回路はあくまで合理的だ。
王将クラーケンがおとなしくなったことで、波も穏やかになる。
康大は今までとは打って変わって簡単に王将クラーケンの胴体に接近し、渾身の力でナイフを頭部に突き刺す。
それと同時に、すさまじい速さで体全体に広がっていく紋様が見えた。
とりあえずゾンビ化を待たずに作戦は成功した……らしい。
【さすがですわ!】
立案者のお褒めの言葉も脳内に聞こえ、王将クラーケンに向けての解呪の魔法が始まる。
王将クラーケンはだいぶ船から離れたような気がしたが、迂回したおかげでまた解除魔法の射程範囲だったようだ。
康大は徐々に薄くなっていく王将クラーケンの「王」の字を見ながら、安どの息を吐く。
そしてその数秒後、
「……結局霧の中から俺以外誰も出られない以上、自力で戻らないといけないんだよな」
これから始まるわずかな苦行に、安堵とは全く反対の息を吐くのだった……。




