農園の朝
目が覚めると、天井がいつもより近かった。
白い壁紙に囲まれた部屋。子供の頃から見慣れたはずなのに、何年も離れていたせいか、少しだけよその家のようにも見える。
僕は布団の中で瞬きをし、耳を澄ます。エアコンの音はない。代わりに聞こえるのは、どこかで鳴く鳥の声と、窓を撫でる朝風の音だった。
まどろみの中で、自分がどこにいるのかを思い出す。ここは、実家だ。
僕、高橋真琴は、昨日の夕方、電車を乗り継いで田舎のこの町に帰ってきた。上京して十三年、盆と正月以外で帰ってきたのは、初めてだった。
仕事を辞めたわけではないが、続けられる状態でもない。会社から勧められた休職である。医者から言われた療養、そして逃げるような気持ちで選んだ帰郷だった。
僕は布団の中で小さく息を吐いた。胃の奥が重い。胸のどこかに固まった鉛のようなものが、何年もかけて溜まりに溜まってずっと沈んでいる。
下の階から物音が聞こえる。食器の触れ合う音と、母さんの足音だ。父さんの低い咳払いも続く。
懐かしい朝だ。実家を出て働く前まではこれが日常だった。日常ではないのは、僕だけだ。
起き上がり、着替えを済ませて階段を下りる。居間に入ると、母さんが振り返った。
「あら、おはよう」
昨日も今日も変わらない朝であるかのような、明るい声だった。
「よく眠れた?」
「おはよう。おかげさまで、まあ」
「そう」
それ以上は、母さんはなにも聞かなかった。僕がなぜ仕事から離れて帰ってきたのか。なにがあったのか。母さんはなにも尋ねなかった。
僕が「突然だけど帰省したい」と一報入れたときも、理由も聞かずに「帰っておいで」とだけ言った。
母さんが台所の鍋から味噌汁をよそう。父さんは新聞を読んでいる。僕が席に着くと、ちらりとだけ顔を上げた。
「おう」
挨拶はそのひと言のみで、僕も小さく会釈しただけだった。
両親からは叱られもしなければ、励まされもしない。それがかなりありがたくて、少しだけ苦しかった。
朝食を終えたあと、僕は家の外へ出た。十一月の空気はひんやりと肌寒くて、冬の足音が聞こえる。
庭先から果樹園が見えた。リンゴの木が並んでいる。実は赤く色づき始めていた。
僕の実家、高橋農園はリンゴ農家である。本州の北の端に位置する小さな町で、たくさんあるリンゴ農家のうちのひとつを担っている。
果樹園が僕の視界を埋め尽くす。ここで育った僕は、幼いの頃には当たり前だった風景だ。今は、どこか懐かしい絵葉書を見ている気分になる。
僕より先に朝食を終えていた父さんが、果樹園の木々の中で作業していた。脚立を動かしたり、枝を確かめたりしている。
僕は声をかけようとして、やめた。なにを話せばいいのか分からない。仕事を休んで帰ってきた三十一歳の息子に、「手伝うよ」と言う資格があるのかも分からなかった。
そんなことを考えていると、ふと、違和感を覚えた。近くのリンゴの木の枝の先に、赤い実が並んでいる。
いや。並びすぎている。うちで栽培する種のリンゴが赤くなるには、まだ早いはずだ。
僕は目を細めた。
ひとつの実が、ふるりと揺れた。
「え?」
次の瞬間、その赤い実は翼を広げた。ぽふっと、丸い体が枝の上で膨らむ。小さなくちばしに、黒い瞳。
それはリンゴそっくりの色をした、鳥だった。
「えっ、なにこれ」
しかも一羽ではない。二羽、三羽、よく見ると、木のあちこちにいる。丸く膨らんだ赤い羽毛に、ところどころ黄色い斑模様が交じった、ハトほどの大きさの鳥。
赤い実だと思っていたもののいくつかが、鳥だったのだ。
「な、なにこれ!?」
今度は少し、大きな声が出た。見たことのない鳥だ。こんなリンゴそっくりの鳥、知らない。上京前はこの町で果樹園の息子として暮らしていたけれど、こんなのは初めて見た。




