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第12話 「計算が、合わない」

数は、嘘をつかない。

でも今夜の数は、何かがおかしかった。


御堂律視点。武蔵国府・多摩方面の巡回路から、番所まで。


等差数列は、天然の穢れには現れないはずだった。

御堂(みどう)律が観測記録を見直し始めたのは、先週の報告書を出した直後だった。


 きっかけは些細な数値のずれだった。先週の発生地点を地図上に並べた時、三点が一直線に近い配置になっていた。天然の穢れは、地脈の副流路に引き寄せられることがある。直線的な配置が出ることは珍しくない。異常と断言するには根拠が薄い。


 だから律は気にしないことにした。そのつもりだった。


 でも翌日、今月の記録を引っ張り出した。先月も、先々月も。


 一週間あたりの発生数を書き出した。三体、七体、十二体。


 並べた時に止まった。


 等差だった。公差が約四から五。ばらつきはある。でも三点のデータが揃って同じ方向に動いている。偶然の一致である確率はどのくらいか。三点のデータで等差数列が成立する確率は、完全なランダムよりは低いが、「異常」と断定するには弱い。


 律は計算した。ばらつきの範囲を考慮に入れると、偶然の偏りとは言い切れない。でも「気のせい」として片付けるには、少し引っかかりが残った。


 今週の観測データが取れれば、判断できる。


 四点目が揃った時に等差の傾向が続いていれば、「偶然では説明しにくい」と報告に加えることができる。律はそう判断して、今夜の巡回に出た。


---


 十月の多摩方面は、夜になると空気が変わる。九月との違いは温度だけじゃない。質が変わる。湿気が抜けて、空気が乾いて、穢れの感知が少し鋭くなる感覚がある。冬服のジャケットに手を差し込みながら、律は巡回路の南側を歩いた。


 懐中時計(かいちゅうどけい)を確かめた。二十一時十四分。開始から四十三分。


 今夜の感知は平常通りだった。肩甲骨の間が少し引き締まる感覚。皮膚の表面が熱を帯びる感覚。第四等以下の範囲内で、地脈の流れに沿った配置だった。


 発生地点を頭の中で記録しながら歩いた。今夜はここまでで二地点。先週の同じ曜日は一地点だった。


 また増えた。


 一体ずつ増えている。


 律は歩きながら計算した。先週が一体、今週が二体なら、来週は三体か。あるいはもっと増えるのか。等差数列として見るなら、来週は三体から五体の範囲に収まるはずだ。


 その計算を自分でしていることに気づいて、律は少し立ち止まった。


 穢れの発生数を一週間単位で等差数列として予測できるとすれば、それは天然の発生ではない。天然の穢れは地脈の乱れや気象・月の満ち欠けに連動して変動する。変動の規則性は地脈の副流路の構造に従うものであり、週単位で一定の増加を示す理由がない。


 「天然の穢れの発生は不規則なはずだ。これは違う」


 声には出さなかった。頭の中で言葉として整理しただけだった。でもその言葉が来た瞬間、この問いを今夜中に処理することはできないと理解した。観測が足りない。判断を下すには、もう一週分のデータが必要だ。


---


 南側の折り返し地点で、第四等の穢影を一体処理した。


 冬の路地に立つ穢影は、夏より輪郭が鮮明に見えた。気温が下がると穢れの輪郭が安定する、という説があるが律は確認したことがなかった。今夜の一体は生前の習慣的な動作を繰り返していた。同じ場所を行ったり来たりしていた。悲しみの形として読める。


 指揮刀を翳した。銀色の薄い残光が軌跡を描き、一撃で穢影の核を露出させた。穢影の動きが止まった。


 「下がっていてください。浄化をお願いします」


 短く指示を出すと、後ろに控えていた幸魂の番員が前に出た。両手から柔らかい光の粒子が滲み出した。淡い金色が、穢影の核に染み込むように広がっていく。押しつけるのではなく、溶け込むように。温度が戻った。静かになった。


 番員がうなずいた。律もうなずいた。


 天然の穢れ特有の「誰かがいた」という余韻は、浄化が終わると消える。今夜の感触は普通だった。律はそれを確認して、手帳を開いた。


 発生位置を手帳に記録した。


 その時、気づいた。先週の同じ区画にも穢影が出ていた。先々週も、この区画だ。


 律は手帳を数ページ遡った。この区画の発生記録が三週分並んでいる。同じ位置ではない。でも同じ区画内で、わずかずつ位置がずれながら発生している。


 これは何だ。


 天然の穢れは、発生位置が毎回変わる。地脈の流れが変われば場所も変わる。同じ区画内でパターンを持って移動する理由がない。穢れの「移動」という現象は理論上存在するが、それは高等級の怨塊以上の事例に限られる。第四等の穢影が週単位で移動しながら発生する事例は、律の記録にはなかった。


 「意図的な配置に見える」


 今度は、声に出た。


 誰もいない路地に声が落ちた。律は自分が声に出したことに少し驚いた。「見える」という表現を使ったことにも気づいた。確認できていない。断定していない。「意図的に見える」というのは推論だ。推論を声に出すのは、律の習慣ではなかった。


 判断を保留した。来週も同じ区画で発生するようなら、その時に報告に加える。


 懐中時計を確かめた。二十一時四十七分。


---


 千燈教官への式紙を書いたのは、番所への帰り道だった。


 「穢れの発生密度を先週・先月・先々月で並べると等差数列に近い。天然の穢れの発生は不規則なはずだ。これは違う。発生位置に規則性が見られる区画も複数あり。要精査」


 書き終えて、少し読み返した。「天然の穢れの発生は不規則なはずだ。これは違う」の部分に引っかかった。「これは違う」は観測結果ではなく判断だ。式紙に判断を書くことを律は避けてきた。観測事実だけを書いて、判断は口頭で補完するのが律のやり方だった。


 でも今夜は書いた。


 書かないと次につながらない、という感覚があった。その感覚が何なのか、律には整理できなかった。式紙を放った。


 返信はすぐに来た。


 千燈教官の式紙の波長は、いつも薄い靄のように揺らいでいる。つかみどころのない、奇魂らしい波長だ。でも今夜届いた式紙は、その揺らぎの奥に、いつもより高密度の芯があった。受け取った情報の重さを、律は指先で確かめた。


 「他の班も同様の報告あり。続報を」


 律は式紙を開いたまま止まった。


 他の班も。


 「同様の報告」が何を指しているのか、千燈教官は詳しく書かなかった。発生密度の増加か、それとも発生位置の規則性か。あるいは別の観測か。「同様」というのは意図的に曖昧にした表現かもしれない。律が把握していない観測データが、他の班から上がっている可能性がある。


 でもそれで十分だった。


 自分の観測ミスではない。


 その確認ができれば、次の判断に進める。千燈教官が「他の班も」と書いたということは、式部に報告を上げる根拠として使える情報が、今夜の時点で複数存在するということだ。律の観測は、その中の一つになった。


---


 番所に入ると、六番隊の番員たちが後処理の記録を付けていた。律は自分のデスクに座って、三か月分の観測記録を一枚の紙に書き出した。


 今夜の巡回報告を先に片付けた。所定の書式に、今夜の発生地点・等級・処理時間を記入した。式部提出用の形式では、この段階で「異常なし」とチェックを入れる欄がある。律はそこに手を止めた。


 「異常なし」ではないかもしれない。


 でも「異常あり」と書くには根拠が足りない。今夜の単独観測では判断できない。律は「継続観察」という欄に丸を付けた。それが今夜できる最も誠実な判断だった。


 報告書を出した後、私用の手帳を開いた。一週間ごとの発生数を並べた。三体、七体、十二体、十八体——


 等差だった。公差が五から六の範囲で安定している。ばらつきはある。でも傾向として明確だ。


 律は数値を見ながら考えた。


 何らかの「供給」が行われているとすれば、公差が安定する説明はつく。電力の消費量と穢れの発生が同期しているという報告が、他の班から上がっていたことがあった。そのデータと今夜の観測を重ねたら、何かが見えるかもしれない。


 でもそれは推論だ。


 証拠がない。上層部に「等差数列だ」と報告するだけでは根拠が薄すぎる。「人為的な意図の可能性あり」と書き添えるには、もう一週分のデータが必要だ。律は判断を急かすことをしない。判断は証拠が揃った後にする。それが律の仕事のやり方だった。


 懐中時計を取り出した。


 開いた。数字のない文字盤が見えた。秒針だけが動いている。


 閉じた。


 また開いた。


 今度は少し長く見た。閉じた。


 もう一度開こうとして、律は手を止めた。


 三回、開いていた。


 三回は初めてだった。何がそうさせたのか、整理できなかった。


 「計算が合わない」


 声には出さなかった。頭の中で来た言葉だけだった。


 数値として出ているのに、それが何を意味するのか断定できない。意図がある、と言いたい。でも意図があるとすれば、その意図の主が何者かを特定できていない。データは揃っている。でも結論が出ない。


 律はそういう状態が苦手だった。計算が合わない状態が、いつもより少し長く続いていた。懐中時計を三回開こうとした、ということと、この「計算が合わない」という感覚に関係があるのかもしれない。でも今夜はそこまで整理できなかった。


 懐中時計をポケットに戻した。手から離した後も、時計の重さがしばらく手に残っていた。


 来週も同じ区画で発生したら、報告に加える。それまでは観測を続ける。


 記録用紙を折りたたんで、手帳に挟んだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


御堂律の視点でした。データを積み重ねながら世界を見ている律が、「計算が合わない」という最初の違和感に気づく夜でした。懐中時計を三回開いてしまった理由——自分の感情の揺れ——を、律はまだ整理しきれていません。


次は綾乃視点に続きます。同じ予兆を、別の感覚で受け取っている話です。どうぞお付き合いください。

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