白露(はくろ)
宇喜多秀家軍の騎馬隊が本多忠勝を追撃している頃、一人の女忍者が馬を全速力で東へと走らせていた。
レンゲである。その背中には、瀕死の服部半蔵を縛りつけていた。
すでに関ヶ原の外には出ているものの、東軍がいる城までは遠い。
小早川秀秋軍が追ってきているのは間違いなかった。この状況で追いつかれれば、自分も服部半蔵も終わりだ。
馬の後方には、血の道しるべが点々と残っている。
しかも、今逃げているのは、東軍がいる城までの「最短の道」。
普通なら敵は考えるだろう。「一刻を争う事態なら、この道を使う」と。
だから、小細工をしている。
数人の忍者たちが自らの体に傷をつけて、別々の方角へと逃げていた。そのおかげで現在、血の道しるべは複数存在している。そうやって、小早川秀秋軍をかく乱するのだ。
また、敵の追撃を食い止めるため、残りの者たちが要所要所に潜伏している。追っ手が来たら、戦って時間を稼ぐのだ。
だが、こちらは少数。どのくらいの時間稼ぎができるのかは、あまり期待できなかった。けれども、その尊い犠牲のおかげで、自分たちは助かるかもしれない。
レンゲは前を向いて懸命に、馬を走らせ続けた。
しばらくして、道の先に見つける。
まだ「黒ごま」と同じくらいの大きさだが、どうやら複数の人間がいるらしい。
(小早川軍か?)
レンゲは緊張した。
さらに近づいてみる。相手は全員、馬に乗っている。
今さら道を変えることはできないし、相手は四人。ここは強行突破するしか・・・・・・。
ところが、レンゲが武器を触るよりも早く、相手の一人が独特の動きで手を大きくふってくる。
あれは、服部半蔵配下の忍者軍団で使っている合図だ! 遠くからでも仲間を認識できる合図!
味方だと知って、レンゲはホッとする。
相手も一目で、こちらの状況をだいたい察したらしい。手をふった一人が他の者たちに、大急ぎで説明している。
そして、こちらに向かって、全員で馬を走らせてきた。
先ほど手をふっていたのは、顔見知りの忍者だ。たしか今は、黒田長政殿の元で動いているはず。
「任務ご苦労。ここから先は我々が警護する。周囲の警戒は任せてくれ」
一緒にいる他の者たちは、忍者ではなく、黒田長政配下の者たちだという。この近辺の偵察をしていて、レンゲが来るのを見つけたらしい。
「あと少しがんばれ。この先の開けた場所に、井伊直政殿が布陣しておられる」
どうやら、城まで逃げなくても済みそうだ。井伊直政殿の部隊は「東軍最強の部隊」との呼び声が高い。そこまで逃げきれば、追っ手を恐れなくてもいい。
「服部半蔵さま、あと少しだけ辛抱してください。もうすぐ味方の軍勢と合流できます」
レンゲは自分の背中に向かって囁いた。
ちょうどその頃、レンゲたちから三里ほど離れた場所で、井伊直政は城からの知らせを受け取っていた。
希代の茶人大名、古田織部からの文である。
どうやら、不測の事態が起きたらしい。




