立夏(りっか)
一瞬の間があって、トラカドの体が地面に落ちた。戦っていた場所から横に、十メートルくらい移動した場所だ。そこから新しい土煙が上がっている。トラカドの馬もすぐ近くに倒れていた。
ミササギは考える。本多忠勝の攻撃は、真上からのものだった。あれであんな風に横に吹っ飛ばされたりはしない。しかも、馬ごと。
つまり、これをやったのは・・・・・・。
ミササギは視線を元の場所へと横移動させる。そこには、謎の人物がいた。トラカドに代わって、本多忠勝と対峙している。
ミササギは目の前の戦い(本多忠勝対トラカド)を見るのに集中していて、あの人物の接近に気がつかなかった。これは不覚。
突然現れた謎の人物は、黒い覆面をしているので、その正体はわからない。島津軍の具足を着ているが、あの人物に心当たりはなかった。乗っている馬にも見覚えはない。あれは誰だ?
しかし、すぐにミササギは気づく。
謎の人物が持っている槍は、かなりの名品だ。あれほどの槍は、この戦国の世でもなかなか手に入らない。本多忠勝が持つ名槍と、同格くらいはあるかも。
(まさかとは思いますが・・・・・・)
島津軍の者以外でなら、その正体には心当たりがある。
(でも、あの御仁は現在、近江の大津城を攻めているはず)
ここ関ヶ原にはいないはずだが・・・・・・。
「お楽しみのところを邪魔して悪いな。割り込ませてもらうぞ」
いけしゃあしゃあと、謎の人物が言う。
それに対して、本多忠勝が答えた。
「いいだろう」
そして、名乗りを上げる。
「拙者は本多忠勝と申す」
互いに名乗りを上げるのは、一騎討ちの作法だ。
ふとミササギは思う。
この作法、トラカドの時にはなかった。
つまり、本多忠勝にとって、あれは「一騎討ち」ではないらしい。たぶん、「単なる肩慣らし」くらい?
さて、今度は覆面の人物の番だ。
「俺は――」
ところが、そこで口ごもる。
さすがに、ここで「俺は立花宗茂だ!」と名乗るわけにはいかないようだ。それができるのなら、そもそも覆面なんてしていないし、島津軍の具足なんて着ていない。
その様子を見かねて、
(仕方がありませんね)
ミササギは助け船を出すことにした。今は同じ西軍だ。
「・・・・・・あの、人違いかもしれませんが、あなたは私のお兄さまですよね! 私は島津軍のミササギです! お久しぶりです、お兄さま!」
対峙している二人、その目が同時にこちらを向いた。ミササギの発言の意味、それを何とか理解しようとしているのが、どちらの目からも見てとれる。
ミササギは不安だった。「お前は誰だ?」などと返ってきたら、自分の助け船は水泡に帰す。ものすごく恥ずかしい結果になってしまう。
そんな緊張の時間が過ぎていき、
「そうだった、そうだった。俺はお前のお兄さんだ」
きた! 相手が乗ってきた!
かなり棒読みではあるものの、ここで演技指導をするわけにもいかない。他の西軍が見ている。
覆面の人物は再度、本多忠勝の方を向くと、
「それでは、あらためて名乗りを上げさせてもらおう。えーと、俺はそこの女の、えーと・・・・・・」
一回で覚えろよ、と内心で思いつつも、再び助け船を出す。
「島津軍のミササギです! 次忘れたら斬りますよ!」
「そう! それっ! そのお兄さんだ! ミササギ、ミササギ、ミササギ、ミササギ。よし、覚えたと思う。俺はマササギのお兄ちゃんだ」
「ミササギです!」
「すまん。人間誰しも失敗はあるものだ。斬るのは勘弁してくれ」
黒い覆面の男、立花宗茂は軽く咳払いをすると、これから戦うべき相手に対して、
「ということで、よろしく頼む。勝負といこうぜ。どちらが死んでも恨みっこなしな」
「いいだろう。相手にとって不足なし」
本多忠勝が槍を構えた。
立花宗茂もだ。
両者の構えを見ただけで、ミササギは身震いした。あの二人の内側から染み出してくる闘志は、明らかに達人のもの。見ているだけなのに、全身の肌がひりついてくる。
ついに実現するのだ。「東軍最強」対「西軍最強」。
両雄が関ヶ原で激突する。




