小満(しょうまん)
本多忠勝と立花宗茂が今まさに戦おうとする少し前。
関ヶ原の南西にある松尾山では、小早川秀秋軍が混乱状態に陥っていた。
服部半蔵率いる忍者軍団の仕業である。
島左近配下の者たちが東軍の城に対してやったような攪乱工作を、もっと大規模に行っていた。
今のところ、おおむね上手くいっている。松尾山のあちこちからは、狼煙に加えて、兵糧などの物資を焼く煙も上がっていた。
この様子は、他の西軍武将たちにもはっきりと見えるに違いない。その注意が松尾山に向けば、本多忠勝の方の負担をいくらか減らすことができるだろう。殿の救出が成功しやすくなる。
松尾山での攪乱工作は順調だ。
しかし、先ほどから服部半蔵は顔をしかめていた。
何かがおかしい。どうも違和感がある。
たしかに、小早川秀秋の陣は混乱している。
とはいえ、それは全体での話。個々の地点で見ると、すでに混乱を脱しているところが多い。立て直しの早さは、こちらの予想以上だ。
優れた者が指示を出している、と服部半蔵は直感した。指揮官の才覚によって、軍は「精鋭」にも「烏合の衆」にも早変わりする。
だが、そんな有能が小早川秀秋の陣営にいるとは、まったく知らなかった。
愚鈍とまでは言わないが、「小早川秀秋」は判断が遅く、その部下たちも含めて「優柔不断」。そういった印象を、服部半蔵は個人的に抱いていた。
だから、敵対することになっても、その対処はしやすいと考えていた。小早川秀秋の軍は動き出すまでに時間がかかる。奇襲には弱い。
しかし、考えを改めるべきだろう。服部半蔵は自分の不明を反省した。小早川秀秋とその軍を甘く見てはいけない。
東軍に寝返らせるために、黒田長政が裏で色々と工作をしているそうだが、相手からの最終的な返事はまだだとか。現段階において、小早川秀秋は西軍。
(これは確かめておくか)
小早川秀秋の陣営に優れた指揮官がいるのなら、その正体を把握しておいた方がいい。この機会に始末しておくことも考えるべきだ。
服部半蔵は部下たちに細かい指示を出した。攪乱工作に変化をつける。
そうすることで、計略の釣り糸を垂らした。軍の動きを探る。小早川秀秋軍の指揮系統は、どうなっているのか。優れた判断を下している者は、本陣のどの辺りにいるのか。
すると、妙なことに気づく。
いくつかの地点では、「本陣を通さずに指示が出ている」としか思えないのだ。
どうやら、探している相手は本陣にはいないらしい。別の場所で指揮をとっている。本陣を通していては余計な時間がかかるので、その無駄を嫌ったか。
ほんのわずかな隙。それを服部半蔵は見逃さない。
松尾山にいる部下の三分の一を、自分の周囲に集結させる。
標的の人物がいる地点は、だいたいわかった。
そこを今から強襲する。この作戦は時間との勝負だ。
こちらは少数。もしも強襲に失敗して、敵の大軍に包囲されれば、逃げきることは難しいだろう。
敵の有能な指揮官を叩く好機であると同時に、こちらが一気に殲滅される、そんな危険もはらんでいた。
服部半蔵は部下たちに指示する。伊賀特有の山蔓、それを編んでつくった腕輪を装着させた。
この山蔓、人の唾液が加わると、その一部がおよそ十分で赤くなるのだ。
服部半蔵の合図で、全員が腕輪をかじる。
自分の腕輪が赤くなったら、退却せよ。そして、誰か一人が退却し始めたら、他の者たちも続け。
もちろん、服部半蔵も自分の腕輪をかじった。
作戦開始である。




