立春(りっしゅん)
(まずいな)
大谷吉継は胸中でつぶやく。
松尾山の異変には、すぐに他の者たちも気づくだろう。小早川秀秋の陣が実際に攻撃されているのだ。
あれで他の西軍武将たちは、自陣の守りを固めるに違いない。
もともと、ここ関ヶ原における「西軍の基本方針」は、「持久戦」だ。
東軍と違って、西軍は根拠地が近く、補給の面で有利。ひたすら守りを固めていれば、「兵糧勝負」で勝てるのだ。東軍の方が先に飢える。
それが頭にあるので、「守りが最優先」という発想になりやすい。
そんな状況で、もしも敵が関ヶ原の東側から侵入してきたとしても、積極的に出撃しようとするのは・・・・・・。
(せいぜい島津義弘の軍くらいか)
おそらくは、それが東軍の狙いだろう。ここまでの一連の陽動、その目的は西軍の動きを制限することにある。
相手の思惑を外すためには、島津軍以外の西軍が積極的に動けばいい。
大谷吉継の軍はすでに動いているので、
(石田三成、いや、宇喜多秀家殿に、このことを伝えるべきか?)
ここからだと、石田三成の陣よりも、宇喜多秀家の陣の方が近い。
しかも、宇喜多秀家が抱えている兵数は、西軍最大の「一万七千」だ。
(たとえ他の西軍武将たちの軍が動かなくても、宇喜多秀家殿の軍が動けば・・・・・・)
だが、ここで部外者が下手に口を出すのは、慎んだ方が良いかもしれない。先ほど放った百人の使者たちは「情報伝達」を行うだけだが、今度のは「出陣の要請」になる。越権行為と受け取られる可能性があった。
(今の状況では何も言わずに、宇喜多秀家殿を信じた方が良いだろうな)
こういう時、守りだけでなく、攻めの方も意識してくれることを期待する。それができる兵力があるし、そういう決断ができる人物だ。
この直後に、新たな異変が起こる。
異変はやはり、関ヶ原の東だ。遠方で次々と狼煙が上がっている。
西で上がった狼煙よりも数が多い。場所も広く分散している。
(やはり、その方角から来るか)
ああやって場所を分散させているのは、西軍の対応を少しでも遅らせるためだろう。
たった今関ヶ原の東で上がった狼煙は、十以上だ。そのすべてに対応しようとすれば、西軍は兵を分散させるしかない。
東軍としては、西軍が警戒して動かなければ最善。たとえ動いたとしても、その兵が広く分散していれば、各個撃破を狙いやすい。
だから、見極める必要があった。
(東軍は戦力の大部分を、一か所に集中させている可能性が高い)
その攻撃部隊はどこにいるのか。
(あの中に正解がある)
それを見極める前に、大谷吉継はちらりと南西の方角を確認した。
小早川秀秋軍のいる松尾山では、先ほどよりも火事が大きくなっている。
だが、そちらに思考を割く時間はないらしい。東の狼煙に、さらなる異変があったのだ。
十以上ある狼煙が一斉に動き出す。関ヶ原のこちら側へと移動してきた。
その速さは、騎兵のそれだ。狼煙用の松明を持った兵が、馬を走らせているらしい。
大谷吉継は注意深く観察しながら、
「狼煙だけではないな」
こちらに向かってくる狼煙、そのすぐあとに大量の土煙がついてきている。
ああいう土煙は、騎馬隊が移動する時に起こるものだ。
しかし、どの土煙の中にも東軍の騎馬隊が潜んでいる、とは考えにくい。
ほとんどが擬装だろう。馬の後ろに大きな木の枝をつけて、それを引きずっている。そんな感じだと見抜いた。
枝についた無数の葉っぱが地面を広く雑に掃くことで、ああいう土煙を起こしている。兵を多く見せる手段の一つだ。
では、東軍の攻撃部隊は、あの土煙のどこにいるのか。
(それを見極める)
すぐに大谷吉継は気づいた。
土煙の大きさに微妙な違いがある。
中央から少し左寄り。あの辺りの土煙が、他よりも大きな気がする。風向きなどを考えても、やや不自然に感じた。
(もしも、あの辺りに東軍の攻撃部隊がいるのなら・・・・・・)
西軍の陣地に接近する間に、かなりの敵兵を削ることができるかもしれない。
(あの正面にはちょうど、小西行長の陣があるな)
たしか小西行長軍は、弓兵の比率が高かったはず。ここぞという場所を決めて、そこに矢を密集して放てばいい。
ただし、一つ問題があった。
(そのことに小西行長が気づくかどうか)
こうしている間にも、東軍は接近中だ。今から使者を送っても間に合わない。
小西行長が自力で気づいてくれることを期待した。




