雨水(うすい)
この時、大谷吉継は知らなかった。
小西行長の陣では、兵たちが酔っぱらっていたのである。
島津義弘がおすそ分けした酒、あれが原因だった。
もとをただせば、石田三成が部下を使って「家康らしき男」を探らせた時に、島津義弘に贈った酒だ。
良い酒には欠点がある。飲みすぎてしまうことだ。
普通の状態なら、小西行長軍は適切な対応をとれただろうが、ここまで酔った状態では難しい。
狼煙と土煙。さらには馬の足音。そして、地響きの接近に気づいて、小西行長軍の兵たちは弓を構える。
しかし、矢の雨を降らせることはできなかった。へろへろの矢が、ばらばらの地点に飛んでいっただけ。飛んでいった矢の数も少なく、大谷吉継が期待していた「矢の密集射撃」にはほど遠い。
逆に今度は、迫りくる土煙の中から、何かが風を切り裂いて飛んできた。
狼煙用の松明だ。
それが「回転する手斧」のように飛んできて、弓兵の頭をあっさり叩き割る。前にいた者と、そのすぐ後ろにいた者。ほとんど同時に、二人を仕留めた。
脅威の破壊力に、周囲の者たちが動揺する。
その直後だ。
土煙の奥から、黒い馬に乗った武将が勢いよく飛び出してくる。
鹿の角を模した兜に、長い槍。黒い具足には肩から、金色の大きな数珠をかけていた。
これが誰なのかは、酒に酔っている頭でもわかる。
最悪だ。この男は東軍最強。
「本多忠勝だ!」
動揺が悲鳴へと変わった。弓兵たちの意識は、すでに逃げることに向いている。
なおも恐怖は終わらない。
土煙の奥から次々と、本多忠勝の部下たちが飛び出してきた。東軍の精鋭部隊である。
ここまで接近されてしまうと、弓では不利だ。矢を射る前に騎馬に踏みつぶされるか、槍に貫かれるか。
小西行長の陣は大混乱に陥った。




